ヒノキの棒と布の服

とめきち

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第五十六話 うわさ

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 ありゃ?
 今回、おっさんしか出てこない?


 ストラスブール辺境伯領では、麦の豊作に沸いていた。
 新年の祝いには、仕込みのすんだ新酒も蔵出しされ、大いに住民の喉を潤したのだ。
 王国ではもっぱらワインが主流で、果実の酒はどこにでもある。
 しかし、帝国風のエールもこの地方では作られるのだ。
 帝国から流れてきた農夫が作り始めたと聞くが、詳細は定かではない。
「酒なんかウマけりゃなんでもいいんだよ!」
 住民は、その謂れなどにはあまり興味はないようだ。
 その分、酒場のネーチャンの尻を追っかける方が魅力的だ。

 オッフェンブルクから逃れ、山を越えて逃げ込んだストラスブールの様子に、帝国の農夫は涙を流した。
「なんだこれは!天国か?」
 三年の飢饉に加え、蝗害に苛まれて逃げ出してみれば、振る舞い酒に酔いしれる農民たち。
 教会の前では、円をえがいて民謡を踊る人々。
 賑やかな楽器の音や、太鼓の音に、みな浮かれている。
 軽快なタンバリンを叩きながら、輪になって踊る農夫たち。
 手に手に、酒のジョッキを掲げ、何度も交わされる乾杯。
 この世の天国を見るようだ。

「どうしたにーちゃん、湿気たツラしてよう。」
「あ、ああ。」
「ほれ、喰えよ。今朝獲れたイノシシだぜ。」
 おっさんは、串に刺さったイノシシ肉を焼く係りのようだ。
「うあああ」
 農夫は、イノシシの肉に齧りついた、自然涙が出る。
「が!がはっがはっ」
「おいおい、慌てるなって、喰いもんは逃げたりしねえよ。」
 差し出されたワインの木のコップを、むさぼるように飲む。

「なんでこんなに喰いもんがあるんだじゃ!」
 帝国なまりの叫びに、一同目が点になった。
「「「あははははははは!」」」
「なんで笑う。」
「王国じゃ、聖女さまの加護があって、どこに行っても豊作豊作だ!」
「おお!聖女さまに乾杯!」
「おお!オシリス女神にかんぱ~い!」
 王国じゅうが作物に恵まれて、小麦は倉に入りきらない。
 倉の建て増し建て増しで、地所が足りないほどに。

 ストラスブールでは、スラムもないほどの繁栄を謳歌している。
 だって、スラムでくすぶっているより、畑で働く仕事があるんだから。
 稼ぎだって安定している。
 多少体がきかなくても使ってくれる。
 病人以外は、働いたものが得する。

 二日もなにも喰えずにやってきたストラスブールは、まさにこの世の天国だった。
「マルセルよう…アニーよう、お前らここに来れば餓死することもなかったんだ。」
「餓死?ぶっそうだな、どうしたんだ?」
 道端でベンチに座って話していた男がそちらを向いた。
「ああ…」
 農夫は、それまで起こった帝国の災難を、とつとつと語った。

 ベンチの男はいきなり立ち上がり、大声を上げた。
 なんだなんだと、人が集まってくる。
「たいへんだ!代官所に連絡だ!おい、だれか代官所の役人を呼んでくれ!」
「「おお!」」
 若い衆が連れだって走り出した。

 農夫がようよう落ち着いた頃、代官所の手代が走ってきた。
「帝国から来たというのはお主か?」
「へえ、帝国のオッフェンブルクの百姓で、ハイルツと言いますです。」
「そうか、腹はふくれたか?」
「へえ、こんなに喰ったのは何年ぶりだか・まいね。」
「そうか、それはよかった。あるけるか?」
「へえ、はらえっぺえだ、どこにでも行けますだよ。」
「よし、ハイルツ、一緒に代官所に来るが好い、悪いようにはせん。」
「へえ。」

 二人は連れ立って、代官所に向かった。

「なんだべ?あいつ。」
「ああ、オッフェンブルクの百姓だと。山越えてきたんだとさあ。」
「なんとまあ、ひと山とは言え、えらい難儀じゃのう。」
「オッフェンブルクまで、なんぼあるんじゃ?しかへでけろ。」
「でぇてえ二〇キロとちょっとでねえべか?」
「それにしちゃあ、めちゃくちゃ痩せてねえか?」
「なんでも二日喰ってねえだと。」
「ほ~、そりゃせつねえなあ。」
「いま聞いたら、帝国じゃあ三年も飢饉で、麦がとれねんだとさあ。」

「わいは~、そらえれえこってねえか。」
「なんでも、今年は冷害に加えて、蝗害が出たんだと。」
「うひゃ~、剣呑剣呑~。」
「三年も飢饉では、餓死も出るなあ。」
「よくもまあここまでたどり着いたべ。」
「まったぐだあ。」

 一方代官所では、狭い一室にハイルツは案内された。
「なにもないが、お茶でもどうだ?」
「へえ、ありがとない。」
 簡素なテーブルに、これまた飾り気のないカップが置かれた。
 役所でも、もう少し気を使えよ。

 ずるずると、熱さに閉口しながら茶を飲むハイルツ。
 そこへ、代官の副官が顔を見せた。
「オベルネ騎士爵だ、わざわざすまんな。」
 オベルネは、ここから少し南にある領地だ。
「いえ…」
「噂では聞いていたが、帝国の飢饉はそんなにひどいのか?」
「へえ、もう三年冷害が起こって、麦の収穫は例年の半分以下…」
「な、なにい?」
「先日は、イナゴが大量発生して、作物には大被害。」
「イナゴ…」
「イナゴは、軍隊とかが出て、焼き払ったのですが、その火が村に飛び火して、ほぼ全焼して村は全滅。」

 オベルネ騎士爵は、ハイルツの肩に手を当てて、優しく言った。
「よく頑張ったな…」
「へえ、ひっひっ」
 ハイルツは、オベルネ騎士爵の言葉に、嗚咽を漏らし始めた。
「なんとかしようとがんばっただよ、でも日当りは悪いし、雨は続くし…」
 ハイルツは、机に突っ伏して泣き始めた。
「年寄りや子供が、ばたばた死んでいくのに、なにもしてやれねえ。」
 オベルネは、ハイルツの背中をなぜてやることしかできなかった。

「おい、この人を仮眠室に案内しろ。」
 横にいた兵士に指示を出す。
「はっ!」
「丁寧に扱えよ。」
 小声で指示した。
「かしこりました。」
 ハイルツは、王都などから伝令が来た時の仮眠室に案内された。
「ここで休むといい。」
「へえ、ありがとうごぜえます。」

「大変だっただろうが、ここは安全だ。ゆっくり休んでくれ。そこのベッドも使って良いから。」
「へえ。」
 ハイルツは、ようよう休むことができた。
 低い山だが、八〇〇メートルほどもあり、だらだらと長い坂が続く。
 森は深く、そんな道を、獣におびえながら歩いて来たのだ。

 余談だが、ハイデルベルクの奥方が買った麦も、もとはと言えば王国の麦だったのだ。
 帝国ではどこも高くて買えない。
 王国のアグノー子爵領から、こっそりと密輸された。
 正式な外交筋からの輸入では間に合わなかったからだ。
 ハイデルベルクの西には、やはり一〇〇〇メートル級の山が間をへだてている。
 なんとかアグノーからカールスルーエを経て、ハイデルベルクに運び込んだ。
 兵士二〇〇名を護衛に付けての、大規模な密輸となったが、わらってごまかした。

「城に入れてしまえばこっちのものよ。」

 マルレーネ=ディートリッヒ=フォン=ハイデルベルクは、高らかに笑った。

 それから三日を経ず、魔法の鳥の通信文は王都に届いた。
 異例の速さと言うべきだろう。
 ストラスブールから王都までは、直線でも五〇〇キロは離れている。
 途中、中継基地で引き継ぎながら飛んだのだろう。
「ほほう、帝国では三年の不作か…」
 宰相トルメスは、手紙を開いて顎をなぜた。
「蝗害、大地震、火事…」
 オヤジはどうした?

「だれかある。」
「ははっ。」
「至急、外務大臣と内務大臣をお連れしろ。」
「はは。」
 小姓は、あわてて王宮を移動した。
 小走りで移動する小姓に、王宮内の官吏は首をひねっていた。

 王宮の一角にある宰相の執務室は、お世辞にも広いとは言えないが、それでも十五畳ほどもあろうか。
 執務机の向かいに、応接セットがある。
 三人掛けソファを二つ並べて、テーブルをはさんでもう二つ。
 一人掛けを五基ずつおいてある。
 小さな会議ならここでできる。
 小姓に呼ばれて、すわ推参なりと、二人の大臣がやってきた。

「宰相殿、お呼びであるか。」
 内務大臣・ジュリアン=リヨン伯爵は、開いているドアから声をかけた。
「おお、リヨンどの、ささこちらへ。」
「恐縮です。」
 リヨンは三人掛けソファに腰を下ろした。
 すぐに宰相付き侍従がお茶を運んできた。
「宰相殿。」
「なんでござろう?」
「火急とは?」

「まあ、外務大臣が来られてからでござる。」
「う~ん。」
 リヨン伯爵は、宰相の歯切れの悪い言葉に、悪い予感しかしなかった。
 やがて、小姓に伴われて、外務大臣ユスラン=ナント伯爵が部屋に来た。
「お呼びに寄り参上した、ナント伯爵でござる。」
「おお、お呼び立てして申し訳ない、ささ、こちらにお座りくだされ。」
 ナント伯爵は、リヨン伯爵の向かいに座った。

「お呼び出しの仕儀はほかでもござらん。」
「まて、宰相殿、扉は?」
「ああ、どうせすぐに知れ渡り申す、内密な話ではないので開け放してござる。」
 リヨン伯爵の声に、宰相は笑って流す。
「そはなにごとか?」

「ありていに申せば、帝国との今後についてでござる。」
「はあ?」
 ナント伯爵は、素っ頓狂な声を上げた。
 外交問題については、自分が窓口であろう。
 それが、宰相からの要請とは?

「ストラスブール辺境伯領の代官よりウナ電がござった。」
「ストラスブール辺境伯領?帝国との国境ではないか。」
 ナント伯爵がうなる。
「さよう、オッフェンブルクからやって来た農夫が言うには、帝国南部は三年にわたる冷害で、穀物が大打撃を受けた。」
「なんと!」
「ナントでござる。」
「あ、いや、今のはなしで。」
「承知。」
「詳細は後に伺うとして、そもそもそんな話は漏れ聞こえてきておらん。」
 内務大臣にしても、寝耳にミミズである。

 にょろり

「それがしも、初耳でござるな。」
 外務大臣にして、この状態である。
「帝国が、抑えに抑えていたのでしょうな。それが、こたびは蝗害まで発生するに至り、上手の手から水が漏れた。」
「ううむ。」
「帝国は疲弊しておるな。」
「軍務大臣に漏れたら、すぐに侵攻とか言いそうで困ったものだ。」
「ま、そこは和平が一番でござるよ、国の金は無限ではない。」
「宰相のおっしゃる通りですな、では、今回は帝国に貸しを作るおつもりで?」
「いつまでも大きな顔をされてはのう。」
「外務省としましても、その線がよろしいかと存ずる。」
「「「うふふふふふ」」」

 おっさんたちは、いやな笑いを浮かべていた。 
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