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第六部

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「――どうして。どうして諦めないんだ!」

 師匠は、彼の近くにあった机の上にあったものを、根こそぎわたしたちの方へ向かって滑らすように落とした。まるで、子供が癇癪を起こすように。
 ベッドに寝かされているイエリオは勿論、わたしにすら物が届いて当たることはなかったけど。

 師匠のこんな姿、初めて見た。

「お前は、実の両親が病気になったときだって『しょうがない』って諦めたのに! だから、今回だって、死ぬなら、しょうがないって――なんで、どうして――ぼくは、こんな魔法を作ってしまったんだ」

 絞り出すように、師匠は言った。頭を抱えて、うつむいて、その表情は見えないけれど、声は酷く震えていた。

 こんなに、動揺するなんて思ってもみなかった。いつだって師匠は、どんな人でも、魔法を学びたいと言えば自身の家に招いて魔法を教えていた。独立する、家庭の事情でこれ以上は魔法を学ぶ時間がとれないから、と、弟子が師匠の元を出ていくことになっても、「そうか、がんばってね」とだけで済ませて、さみしくなるな、の一言も言わなかった。送迎会みたいなものも開かないから、二、三日経ってから「最近あの人来ませんね」と師匠に声をかけて、ようやく辞めたことを知ることだって、多々あった。

 それなのに。

 師匠から見て、わたしがいなくなって――千年。彼は、ずっとこんな調子だったのだろうか。

「師匠、どうしてわたしにそこまで固執するんですか? 他の弟子のときは――」

「他の奴らと、お前が、同じなものか!」

 ひと際、師匠が声を荒げた。――これだけ、怒鳴り散らかしても、イエリオが目覚める気配はない。

「お前だけは、特別だったんだ。お前がどれだけ、ぼくを救ってくれたことか」

 顔を上げた師匠の頬には、涙が伝っていた。

「ぼくがまだ若い頃に作って、くだらないと馬鹿にされた魔法を見て、目を輝かせたことが。ささやかな魔法一つ覚えただけでおおげさに喜んだことが。いつも、魔法を覚えたら一番にぼくへ見せに来て笑うことが。――後ろ暗くて汚い魔法の使い方ばかりしてきたぼくに、どれだけ救いになったことか」

 師匠が見せてくれた、彼曰く、くだらない魔法。覚えている。たしか、降ってくる雨を飴に変えるものだった。しかも、飴玉じゃなくて、飴。ちょっとどろっとしている。甘くておいしいし、絵本みたいな魔法にもっとやって、と、ねだったはず。
 まわりにはべたべたになるし、植物や洗濯ものが駄目になる上に、虫がよってくるから本当にやめろ、とすごく不評だったけど。

 わたしが初めて覚えた魔法も、わざわざ魔法でやらなくても、自分の手でやった方が早いような魔法だった。でも、前世では魔法なんて実在するものじゃなかったから、他人からみたら覚える必要もないような魔法一つでも、自分が使えることが嬉しくてたまらなかった。

 徹夜明けで寝ている師匠を叩き起こして、覚えたばかりの魔法を自慢したことなんて、数えきれないくらいだ。でも、師匠はいつだって、「すごいな、よくやった」って笑って褒めてくれるから。何度だって見せに行きたくなった。

 ――わたしだって、覚えている。全部。
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