上 下
366 / 452
第五部

362

しおりを挟む
 かえる――帰る? どこに?
 帰ろう、というメルフの言葉に、すっと頭が冷えるのが分かる。

「きりすのところ、かえろぉよ」

 キリス。師匠の名前だ。
 師匠の元へ帰る? いくらなんでも今師匠が生きているわけがない。じゃあ、どこへ――もしかして、千年前の、シーバイズに、帰ろうって言ってるの?
 そんなこと、出来るわけ……。

 ――本当に?

 精霊は、どんな魔法も『正しく』使うことが出来る。わたしは転移魔法に失敗して、千年後の世界にいる。裏を返せば、魔法の力で時間を移動することは可能ということだ。そして、おそらく精霊であるメルフは、その魔法を知っている。時を超え、わたしを連れて帰る魔法を。

 ――だから、帰ろう、なんて、気軽に言えるのだ。

「……やだ」

 わたしは一歩、二歩、と、後ずさる。メルフから距離を取りたくても、帰らないといけないかもしれないという恐怖から、足が上手く動かない。
 それでも、しゃがみ込んでしまったら、本当に逃げきれなくなってしまう気がして、どうにか踏ん張って立つ。

「まれえぜ、かえろぉ、かえろぉおよ」

「や、やだ、帰りたくない」

 わたしはまだ、皆に何も言えていない。返せていない。言葉も、愛情も、貰うだけ貰って、そのままだ。
 ――ううん、そんなことがなくたって、わたしは皆と離れたくない!

「なんでええ?」

 いやだ、と繰り返すわたしに、メルフは不思議そうな声を上げる。

「きりすも、でぃんべるも、ろなも、めねえるも、みんな、ずっと、まれえぜのこと、さがしてたよぉお」

 師匠の名前に、とりわけ仲いい兄弟姉妹弟子の名前。皆わたしを探しているという言葉に、少しだけ胸が痛くなる。
 彼らとの生活が嫌になったわけじゃない。思い出だって、一杯ある。

 それでも、わたしはここに残りたいのだ。

「かえろ、かえろ――つれて、かえろお」

 メルフの体がバチバチと、焚火が爆ぜるような音を立てながら大きくなっていく。
 メルフはわたしに帰ろうと提案しているんじゃない。主である師匠がわたしを探していて、見つけたら帰らせろという命令に従う為に、ここにいるんだ。

 体を大きくしながら身をよじって立ち上がる。あっという間に、三メートルはありそうな程まで大きくなった。
 不幸中の幸いなのは、この周辺にはわたしたちしかないこと。皆、街中の消火活動に周っていてこちらに気が付いていない。

 それでもこれだけ大きければ気が付かれるのもすぐだろう。
 どうしよう、と焦るわたしの目の前に、わたしを庇う様に立つ背中が現れる。

 ――イナリだ。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

全てを失った人形令嬢は美貌の皇帝に拾われる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,277pt お気に入り:64

妹が聖女に選ばれたが、私は巻き込まれただけ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:28

迷惑ですから追いかけてこないでください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:45,858pt お気に入り:1,289

ピンクの髪のオバサン異世界に行く

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:796pt お気に入り:42

【毎日投稿】異世界で幸せに

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:299pt お気に入り:1

処理中です...