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第五部

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 シャワーを浴びってさっぱりしたわたしはイナリが待っているであろう部屋へと戻る。イナリには悪いが、かなりすっきりしたので、早めにシャワーを浴びられてよかった。いや、まあ、イナリを置いておくのもそれはそれで心配だったけど。それとこれとは話が別と言うか。
 部屋に戻ると、イナリはしれっとした顔で机に向かって鉛筆をスケッチブックに走らせていた。

「で、シャシカのことだけど」

 そして何もなかったような態度で、話をしだす。さっきの、勢い任せの言葉はなかったことにするつもりらしい。

「イナリ」

「放っておいてもあいつ、また来ると思うんだよね」

 イナリは、こちらを見ない。

「イナリってば」

「だから何か対策を――」

 イナリは、わたしの話を聞いてくれない。

「――イナリ!」

 わたしは強く名前を叫ぶ。そこでようやく、彼は口をつぐんだ。

「……なかったことにしないでよ」

 本当はイナリのところに行きたいが、わたしはまだあの布と紙の散らばった床の上を、何も踏まずに歩けるだけの技量がないので、彼のところにいけない。イナリも、それを分かった上で、そちら側にいるんだろう。

「なかったことに、しないで」

 もう一度言うと、イナリは顔を上げてこちらを見た。
 その顔は、八の字の眉で、顔は真っ赤だった。さっきとは、別の意味で泣き出しそうである。

「……嘘だったら、なかったことにするけど」

「嘘じゃない!」

 バン、と机を叩きながらイナリが立ち上がる。ばさばさと、積んであった紙が何枚も床に落ちた。
 今まで見たことないくらいの必死の叫びに、わたしの肩がびくっと跳ねる。大声に驚いただけだけど、イナリは、決まりが悪そうに「大声出して、ごめん」と、再び椅子に座った。

「でも、本当に、嘘じゃないよ。……君が、好きなのは。ただ、なんていうか……あんな、勢い任せで言うつもりはなくて、それで……」

 イナリの言葉が、だんだんと小さくなる。

「――でも、本気で好きになったら、勝手に口から出てくるものなんだね。ちゃんとしたところで言いたかったのに、情けない」

 困ったような眉のまま、真っ赤な頬のまま、イナリは照れた様に、柔らかく笑った。
 その笑顔に、わたしは思わず見惚れてしまって、言葉を返せない。だって、イナリの口から、こんなにも素直な告白が、出てくると思わなかったから。
 でも、イナリのその表情が曇ってしまう。

「僕に、こんなこと、言う資格なんて、ないのにね」

 と。
 そう言うイナリの声には、とても、自虐の色がにじみ出ていた。
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