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第五部

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 あれから、侵入するときの五倍はしんどい思いをしながら、無事、床下から這い出ることが出来た。どうやらわたしは這って前に進むより、後退するほうが苦手らしい。まあ、スカートだから思い切りめくれるし、後ろの確認がしにくいし。
 前世も合わせて、人生一、どろどろになった気がする。これでイナリが鍵を開けていなかったらどうしよう、なんて思いながら、へろへろと玄関の方へと向かった。
 ぐっとドアノブを回すと、抵抗なく動く。鍵は開いていた。――鍵は。

「……イナリ」

 途中までは開く。でも、イナリが中から全て開かないように、と引っ張っているのか、入り込む隙間もない。

「入れて、イナリ」

「……うん」

 肯定の言葉が返ってくるものの、イナリは力を抜かない。ボロいアパートなので、無理に力を込めたら扉が取れないか、不安になって、あまり強く引っ張れない。
 たかが女一人の力じゃ取れやしないのは分かっているが、無理やり開けようと、ドアノブを引っ張るたび、キィッと高く軋む音がすると、つい力が緩む。

 わたしは取りえず、扉が閉まらないように、と、足先だげ隙間に突っ込んだ。そのくらいのスペースは流石にある。

「なっ」

 イナリが驚いたような声を上げた。

「心の準備が必要だというなら待つけど、帰らないからね」

 イナリの様子を見るに、観念はしたけどやっぱり会いたくない、という、二つの感情が争っているように見えた。
 だからといって、ここで観念するくらいなら、最初から、床下になんてもぐらないでフィジャと一緒に、彼の家へと行っている。

「わたしの足を折ってまで会いたくないなら、流石にフィジャの家に帰るけど」

 そんなこと出来ないだろうな、しないだろうな、と思いながら、わたしはあえて言葉にする。
 少しの沈黙のあと、ぐす、と鼻をすする音が、扉の向こうから聞こえてきた。泣いているのか? と思い、ドアノブを引っ張ると、今度は抵抗なく開く。

 扉の向こうには、目元を真っ赤にして、ぼたぼたと、大粒の涙をこぼすイナリが居た。

 わたしは思わず、手を伸ばしてしまい、慌ててひっこめる。今のわたしは全身どろどろで、中でも、体の前半分と手が一番酷い。涙をぬぐうことも、なぐさめに抱きしめることも出来ない。

「イナリ……」

 代わりに名前を呼ぶと、イナリは、絞り出すように、「誰にも、会いたくなかった」と言った。

「今、マレーゼに、何か言われたら――、――たら、僕、僕は――」

 何か言われたら、の後は、嗚咽にかき消されて聞き取れなかった。

「……大丈夫、イナリのしてほしくないことはしないよ。慰めるためにここまで来たんだから、ね? とりあえず、中に入れてくれる?」

 わたしは、出来るだけ優しく声をかける。すでに結構夜中に近い時間帯だ。さっきまで警護団の人を呼んでいたし、わたしはこのアパートの他の住人を知らないが、こんな玄関先で話していたら近所迷惑だろう。

 イナリは少し迷っているようだったが、結局、少し下がって、わたしを迎え入れてくれたのだった。
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