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「いらっしゃいませ――あっ、綿鷺さん!」
あの日から、わたしはラーメン屋の店員さんになった。
今までアルバイトもしたことがなくて、いきなり接客業なんて、とびくびくしたけれど、アルバイト仲間も、店長も、お客さんも、皆わたしが何かミスをしても「大丈夫」と許してくれる。
それは多分、女だからなのだろうけど、それに甘えていては駄目だ。
最近はようやく、先輩に仕事内容を確認しなくても、なんとか一人でやれるようになった。まだまだ学ぶことはあるので、ワンオペとかやられると非常に困るのだが。
そして、今日は待ちに待った、初めての給料日である。
「こちらのお席にどうぞ」
そう言って、わたしは綿鷺さんをカウンター席の一番奥へと案内した。
綿鷺さんは、もとよりこのラーメン屋の常連だったのか、それともわたしがいるからか、どちらかは分からないけれど、週に二回は顔を出すようになっていた。
「綿鷺さん、今日はわたしの奢りなので! 好きなだけ頼んでくださいね」
そう言うと、綿鷺さんはびっくりしたような表情を見せた。そりゃそうだ。
わたしがここに勤めるようになってしばらく経つが、綿鷺さんにそんなことを言ったのは、今日が初めてである。
「今日、給料日なんです。だから――あの時のお弁当の恩を、返させてください」
「お弁当……ああ、覚えてたんですか?」
てっきり忘れたと思ってました、なんて綿鷺さんは言う。
忘れるわけがない。わたしは今日、この日のために、頑張ってきたのだから。
「わたしにとっては、大事なことです!」
「……分かりました。それじゃあ、味噌ラーメンを」
気にしなくていい、とでも言いたげな表情だったが、綿鷺さんはちゃんと注文してくれた。
「味噌ラーメンですね。トッピングはどうしますか?」
「えっ」
「トッピングスペシャル全載せでもいいですよ! あ、それとも餃子とかチャーハンのセットにします?」
わたしはそう聞いてみるが、ラーメンだけで充分だと言われてしまった。うーん、あんまり言いすぎても押し付けがましいか。
「味噌ラーメン、一人前お願いしまーす」
厨房に向けてそう言うと、了承の返事が返ってきた。
なんだか視線を感じるので、そちらを見て見れば、綿鷺さんだった。
「どうかしました?」
やっぱりもっと注文したかったのかな? なんて思ったのだが、全然違かった。
「いえ、その。なんだか明るくなったな、と」
「そうですか?」
自分ではあまり変化は分からない。
でも、確かにこちらに来たばかりのころと比べれば、幾分か沈んだ感情は回復してきていると思う。
それに、今日はなんといっても、ずっと返したかった綿鷺さんに恩を返せる日! 目標を達成できて、少し浮ついているのかもしれない。
接客業をしていると、嫌でも対人スキルが育つのかな、なんて考えていると、備え付けのテレビが、速報ニュースを流した。
『えー、たった今入った情報です。本日、王族の志熊様が、ご婚約を発表いたしました! お相手は『恵の人』の女性で――』
「あらまあ」
わたしと綿鷺さんしかいない店内に、婚約ニュースが流れる。パシャパシャと写真を撮られ、社長令嬢ちゃんの隣にいる志熊さんは実に幸せそうな笑みを浮かべている。
「おめでたいですねえ」
この国には来たばかりで、志熊さんに思入れや忠誠心のようなものがあるわけじゃないが、めでたいことには変わりない。
きりっとした表情で志熊さんの隣に立つ社長令嬢さんはすごくお似合いで、わたしがあそこに立たねばならない未来があったのかと思うとぞっとする。
「よかったんですか?」
本当は妃になりたかったのでは? という視線が、綿鷺さんから送られてくる。
「わたしには無理ですよ。わたしは死ぬまで平民がお似合いです。それに――」
わたしは綿鷺さんの方を向いて、笑った。
「自由に恋愛できる方が、いいですから」
あの日から、わたしはラーメン屋の店員さんになった。
今までアルバイトもしたことがなくて、いきなり接客業なんて、とびくびくしたけれど、アルバイト仲間も、店長も、お客さんも、皆わたしが何かミスをしても「大丈夫」と許してくれる。
それは多分、女だからなのだろうけど、それに甘えていては駄目だ。
最近はようやく、先輩に仕事内容を確認しなくても、なんとか一人でやれるようになった。まだまだ学ぶことはあるので、ワンオペとかやられると非常に困るのだが。
そして、今日は待ちに待った、初めての給料日である。
「こちらのお席にどうぞ」
そう言って、わたしは綿鷺さんをカウンター席の一番奥へと案内した。
綿鷺さんは、もとよりこのラーメン屋の常連だったのか、それともわたしがいるからか、どちらかは分からないけれど、週に二回は顔を出すようになっていた。
「綿鷺さん、今日はわたしの奢りなので! 好きなだけ頼んでくださいね」
そう言うと、綿鷺さんはびっくりしたような表情を見せた。そりゃそうだ。
わたしがここに勤めるようになってしばらく経つが、綿鷺さんにそんなことを言ったのは、今日が初めてである。
「今日、給料日なんです。だから――あの時のお弁当の恩を、返させてください」
「お弁当……ああ、覚えてたんですか?」
てっきり忘れたと思ってました、なんて綿鷺さんは言う。
忘れるわけがない。わたしは今日、この日のために、頑張ってきたのだから。
「わたしにとっては、大事なことです!」
「……分かりました。それじゃあ、味噌ラーメンを」
気にしなくていい、とでも言いたげな表情だったが、綿鷺さんはちゃんと注文してくれた。
「味噌ラーメンですね。トッピングはどうしますか?」
「えっ」
「トッピングスペシャル全載せでもいいですよ! あ、それとも餃子とかチャーハンのセットにします?」
わたしはそう聞いてみるが、ラーメンだけで充分だと言われてしまった。うーん、あんまり言いすぎても押し付けがましいか。
「味噌ラーメン、一人前お願いしまーす」
厨房に向けてそう言うと、了承の返事が返ってきた。
なんだか視線を感じるので、そちらを見て見れば、綿鷺さんだった。
「どうかしました?」
やっぱりもっと注文したかったのかな? なんて思ったのだが、全然違かった。
「いえ、その。なんだか明るくなったな、と」
「そうですか?」
自分ではあまり変化は分からない。
でも、確かにこちらに来たばかりのころと比べれば、幾分か沈んだ感情は回復してきていると思う。
それに、今日はなんといっても、ずっと返したかった綿鷺さんに恩を返せる日! 目標を達成できて、少し浮ついているのかもしれない。
接客業をしていると、嫌でも対人スキルが育つのかな、なんて考えていると、備え付けのテレビが、速報ニュースを流した。
『えー、たった今入った情報です。本日、王族の志熊様が、ご婚約を発表いたしました! お相手は『恵の人』の女性で――』
「あらまあ」
わたしと綿鷺さんしかいない店内に、婚約ニュースが流れる。パシャパシャと写真を撮られ、社長令嬢ちゃんの隣にいる志熊さんは実に幸せそうな笑みを浮かべている。
「おめでたいですねえ」
この国には来たばかりで、志熊さんに思入れや忠誠心のようなものがあるわけじゃないが、めでたいことには変わりない。
きりっとした表情で志熊さんの隣に立つ社長令嬢さんはすごくお似合いで、わたしがあそこに立たねばならない未来があったのかと思うとぞっとする。
「よかったんですか?」
本当は妃になりたかったのでは? という視線が、綿鷺さんから送られてくる。
「わたしには無理ですよ。わたしは死ぬまで平民がお似合いです。それに――」
わたしは綿鷺さんの方を向いて、笑った。
「自由に恋愛できる方が、いいですから」
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