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 宿へとフィオディーナを送り、冒険者ギルドに戻って、食堂で一人酒を飲んでいたウィルエールの前に、一人の男が座る。

「マルスティン」

 ウィルエールが思わず名前を呼ぶと、マルスティン――マルシは、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「ここではマルシなんだ。今後、その名前で呼ばないでくれるか」

「ああ……そう言えばそうだったね。すまない」

 やってきたウエイトレスに注文をするマルシを見ながら、ウィルエールは酒を飲む。
 久しく見ていなかった友人は、随分と元気そうだった。

「……無事に逃げられたんだね」

 ウエイトレスがいなくなった後、ウィルエールが周囲に聞こえないよう、声を潜めて言うと、「おかげさまでな」とマルシが軽く笑った。
 かちゃり、とマルシが押し上げた眼鏡は、瞳の色をごまかす術具であり、それを作ったのは、ウィルエールだった。レンズ越しでは黒い瞳に見えるが、本来の彼の瞳の色は赤である。
 ウィルエールが愛してやまないフィオディーナの燃える炎のような赤ではなく、紫がかった赤。
 ――エンティパイアにおいては、グルトン王家の血筋を示す、赤である。

「貴方が元気そうでなによりだよ。……ところでマルシ。ぼくの女神にちょっかいをだしていないだろうね?」

 じと、とウィルエールがマルシをにらみつければ、彼は呆れたように肩をすくめた。

「忘れたのか? 僕は恋愛に興味がない。したくないし、しないと決めた。僕の友人が連れてきたから面倒を見ているけれど、それ以上の感情はないさ」

「ぼくの女神に魅力がないと?」

「面倒くさいな、君。相当酔ってないか?」

 マルシはウィルエールのそばにあった酒瓶を取り、ラベルに書かれた度数を確認する。さほど度数の高い酒ではなかったが、中身がだいぶ減っている。ウィルエールは酒に強くも弱くもない男だった。

「ぼくなんかよりもアルを警戒しておけよ」

 もう飲ませないようにしよう、とマルシは自分のそばに酒瓶を置く。

「もう修理ができる武器をこっそり隠して、別の武器を使って具合が悪いだなんだと言って、フィオディーナさんに会いに行く口実にしてるぞ、あいつ」

 ウィルエールの酒を飲む手がぴたりと止まった。
 固まってしまったウィルエールをよそに、マルシは頬杖をついて話を続ける。

「フィオディーナさんもフィオディーナさんで、冒険者や武器に関してはアルの言うことを深く考えないで信じ込むみたいだし。ていうか、元々嘘を見抜くのが苦手なタイプだろう、あれ」

 グルトン訛りをごまかすためについた『グルトンの商人である』というマルシの嘘も、あっさりと信じてしまったのだ。そして信じ続け、今でも疑う素振りすらない。
 流石に元貴族なだけあって、嘘と分かる嘘まで分からないようではなかったが。

「……女神はぼくのだ……!」

「はいはい、頑張れ。僕はどっちの応援もしないからな」

 そう言って、マルシは適当にウィルエールをあしらう。

「しかしウィルも変わってるね、女の趣味。こっちに来てからはだいぶおとなしくなったけど、エンティパイアにいたころはすごかっただろ、彼女」

「君までそんなことを言うか……」

 酒が本格的に回ってきたのか、机に突っ伏しながら、ウィルエールがうなる様に言った。

「ぼくは怒りっぽい女性が好きなわけじゃないんだ……。女神が好きでたまらないから、怒った姿も愛おしいだけなんだよ。……ただ……」

「ただ?」

「女神の影響で、性癖が歪んだのは……ちょっと否めない」

 ウィルエールの呟きは、マルシの笑い声にかき消された。
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