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133.日常生活と修作
しおりを挟む何ごともなく地球人保護施設に戻った翌日。
いよいよ材料がそろった俺は、本格的に絵を描きはじめた。
とはいっても道具も材料も一から集める異世界だ。
手作りの材料を検討しながら、習作を重ねた。
その合間に、魔法の本に向かってスケッチをくり返す。
この描いても描いてもなくならない紙とペンは、衰えたデッサン力を取り戻すのに最適だった。
思うままに描きたいものを描き散らしていく。
夢中になりすぎてお昼ご飯の時間を忘れてしまいがちな俺を、ルルルフさんもライラ母さんも辛抱強く待ち、優しく諭してくれた。
どんな仕事でもいい仕事にしたければ、健やかな体と心をおろそかにしてはいけない。
そういわれれば俺に反論の余地はなく、集中していた時間に後ろ髪を引かれながらもペンを置き、みんなと一緒に食事をとった。
みんなと一緒の食事は、美味しく楽しい。
ときにはライラ母さんからルルルフさんの幼少期の話を聞いて、笑いながらご飯を食べた。
ライラ母さんの家では、庭でお弁当を食べる日があった。
キッチン係のンバンヴェさんが作った特別なお弁当だ。
パォ一族の広い庭で食べると、さらに美味しく感じられた。
木には果実がたわわに実り、花が咲き、あちこちで植物がのびのびと育っている。
風が爽やかな緑の香りを運ぶ、穏やかな時間だった。
ルルルフさんが、畑から収穫した新鮮野菜で料理を作ってくれる日や、俺がライラ母さんと一緒に料理を作る日もあった。
一緒に鍋をかき混ぜながら、ライラ母さんのリハビリの話を聞く。
元気そうに笑う様子に、俺はひそかに胸をなで下ろすのだった。
ときどき、ライラ母さんにせがまれてスケッチを描いた。
部屋の窓、庭に広がる畑、テーブルの上の花。
どれも十五分ほどの簡単なスケッチだったが、見せれば必ず、手放しで褒められて盛大に照れた。
子供に戻ったような気持ちになって、肩に入っていた力が抜けるのだ。
ライラ母さんの家で過ごす時間のすべてが、俺の心や体をほぐしていくのが分かった。
不思議なもので、ずっと一つの作業に熱中しているより、こうやって少し離れたほうが冷静に絵を見直すことができた。
結果的によりよくなることが多かった。
寝食を忘れて没頭するような制作しか知らなかったが、この規則正しい制作スタイルは、俺が絵を描くのにどうやら向いているらしい。
俺はライラ母さんの家で制作を続け、夕方にはオーニョさんのお迎えで施設に帰った。
もちろん語学の勉強も続けていた。
オーニョさんと一緒に勉強する時間は、絵とはまた違った楽しさがあった。
しかも勉強したぶんだけ、オーニョさんとスムーズな会話ができるようになっていくのだ。
頑張らない理由はない。
こうして日常会話もめきめきと上達していった。
日本画に不可欠な膠はキッチン係のンバンヴェさんに協力を仰ぎ、動物の骨や皮を煮込んで抽出したコラーゲンを利用した。
ただどうしても日持ちがしないので、傷んでくれば新しく作りなおさなくてはいけなかった。
絹の下処理に必要なドーサ液は、この膠液に明礬を加えたものだ。
明礬といえば、お漬物など料理の発色をよくするために使用すると思い出し、物は試しにンバンヴェさんに尋ねたら、びっくりするくらいあっさりと手に入った。
俺は料理文化とンバンヴェさんに心から感謝しながら、濃度や割合を少しずつ手探りで決めていった。
胡粉は、もともと牡蠣の貝殻が主成分だ。
いろいろ試した結果、この世界では、市場で手軽に入手できるカタツムリに似た白い貝殻を、粉末状に細かく砕いたものが一番近いと分かった。
下絵に使う墨は、火を使う場所からとれる煤を、膠と水で適度な濃度に溶いて簡易的な代用品とした。
持ち運びや日持ちを考えなければ、代用品は工夫次第で作れるものが多かった。
筆や刷毛は自作しなくても、さまざまな獣人の毛から作られた筆が、市場で売られている。
かなり昔に、中国からの渡来人が広めた文化らしい。
遠いようで近しい異世界だ。
この世界にないものも、原材料さえ分かっていればなんとかなる。
ただ時間がかかるだけだ。
そして幸運なことに、俺には時間がたくさんあった。
この世界でも日本画は描ける。俺は少しずつ自信をつけていった。
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