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110.愛されていた
しおりを挟む「……迷惑だったか?」
いつもの山田さんらしくないどこか心細そうな様子に、私はうまく言葉が出なかった。
「え?」
「だから……赤ん坊……」
「まさか! 迷惑だなんて、そんな! 山田さんに愛してもらえて、赤ちゃんまで授かる日が訪れるなんて、夢にも思っていなかったので、とても、びっくりしてしまって……」
本当にすみませんでしたと、勢いよく頭を下げた。
これで駄目なら、渡来人に教えてもらったジャパニーズ土下座の出番だと決意する。
「よくいうよ。そんな見え透いたご機嫌とりはいらない」
山田さんは、怒っているとか許すとか、そんな雰囲気ではなくて。
もしかして、悲しんで、いる……?
「なんでそんな」
「さんざん、好きだのなんだのいっておきながら、結局は最近まで私を、あ、愛しては、いなかったんだろ?」
「え?」
「赤ん坊ができなかったのは、そういうこと、なんだろう……?」
「いやまさか。私は山田さんがこの手の中に落ちてきたときから、ずっと、好きなんです。山田さんが死にかけの状態で、意識のないときから、ずっとですよ」
まだ山田さんは私のほうを見てくれない。
両手で包むように持ったカップを、見つめたままだ。
「ねぇ、山田さん。山田さんは出会った当初、私を恋愛対象として見てくれていなかったでしょう? 小さな子供としてしか、見てくれていなかった。だから私は、あなたの隣に相応しい大人になれるように、ずっと努力をしてきたつもりです」
カップごと、山田さんの両手をそっと握りしめる。
いつもの温かな山田さんの手が、ひんやりと冷たかった。
「山田さんの優しさに甘えて、卑怯な私は無理矢理、思いを遂げました。だから……。愛してもらえる日なんて、来るはずがないと思っていたから。すごく驚いて、山田さんを傷付けてしまいました。本当にすみませんでした。
でも、嬉しいんです。やっと山田さんの愛のあかしを手にすることができるんだって。それが嬉しい」
私の言葉を聞いて、山田さんの眉間にさらに深いしわが寄る。
私はまた何かを間違えたらしい。
「なんだそれは。そのいい草じゃあ、まるで私が愛していなかったから、今の今まで赤ちゃんができなかったみたいじゃないか」
「え、だって」
「だってじゃない! 私をなんだと思っているんだ! だいたい好いた相手でもなけりゃ、何が悲しくて年下の男に、何度も抱かれてやらなきゃいけないんだ!」
真っ赤になって怒る山田さんを、信じられない気持ちで見つめた。
「しかし……あなたの妻は、日本に一人だけだと」
「妻がいた時間より、もっとずっと長く一緒にいたのはお前だろう! いや、時間なんて関係がないはずだ。それとも妻がいた男は、お前を愛する資格がないのか?
過去はかえられないが、私をかえたのは、お前だろう! 責任を持て責任を!」
「私を、愛してくれていた?」
「当たり前だ!」
「ずっと?」
「くどい!」
がばりと抱きついた拍子に、山田さんの手からカップが落下して、割れた音が聞こえる。
山田さんが耳もとで抗議の声をあげているが、そのすべてが、遠くに聞こえた。
愛されていたのだ。私は、ずっと愛されていたのだ!
「すみませんでした。私が悪かったです。 私が山田さんからの愛を正しく受け取らず、疑っていたから……。だからこんなにも長い間、子供ができなかったんですね。それなのに、愛されていないからだと勘違いして。ずっと遠回りして、空回って、山田さんを傷付けて。私は馬鹿だ」
「知っている」
「それでも、愛している?」
「当たり前だ」
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