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1.出会い
しおりを挟む「おじさんの理解が早くて、俺、本当に助かるわぁ。じゃ、ぱぱっとやっちゃいましょう! セックス!」
「せ、せっく、す……」
整った容姿だがいかにも軽薄そうな若者に、おじさんと呼ばれた男——江原 善生、五十八歳。
白髪交じりの髪にやや痩せ気味。どこにでもいそうな平均的サラリーマンという見た目の江原は、表情筋を一ミリも動かさずに内心では死ぬほど動揺していた。
(せっくす、せっくすとは、つまりセックスのことだろうか。いやまさか。せっくす……、セックス、とは?)
江原は言葉の意味が理解できずに、真顔のままもごもごとセックスとつぶやいた。
それくらい江原にとって馴染みのない単語だったのだ。
江原は五十八年間生きてきて、いまだキレイな体のままだった。
つまり童貞処女なのである。
特別に守ってきたわけではないのだが、いかがわしいお店でどうこうする気にもなれず、気付いたら五十八歳になっていた。
もはやこのまま一人年で老いて死ぬのだろうと当然のように思っていたのだ。
しかし江原の表情筋は死んだまま。
このとんでもない場面であっても、内面の驚きはいっさい表に出てこないのだった。
喜怒哀楽を知らないのかと疑いたくなるような無表情と絶望的なまでの口下手のせいで、怖いだの何を考えているのか分からないだの言われ続け、今までの江原の人生は孤独海道まっしぐら。
定年間近の今となっては、仕事が落ち着いたらせめて猫を飼いたいというのが江原のささやかな夢だ。
住んでいるマンションだって、憧れの猫暮らしのためにペット可の物件を選んだのだ。
今はまだ仕事が忙しすぎて生き物を飼えないが、いつかきっと。江原はそう夢見ていた。
それなのになんでこうなったのだろうと、江原は唐突すぎて事情が飲みこめないまま、若者を見上げるしかなかった。
「そう、セックス! おじさんと俺でセックスするから、俺がタチで、おじさんがウケね?」
「たち……、うけ……、せっ、くす……?」
「うんうん! 今から俺が、おじさんのお尻の穴にちんこ突っこんで、うんと気持ちいいセックスをするからね。……おじさんの心残りをなくして、きれいな状態の魂を刈りとるって説明、ちゃんと聞いてた?」
「おおお、お」
「お?」
「おしりの……あ、な……」
「だめだこりゃ」
◇
それはある秋の夜のことだった。
その日も江原は、年中繁忙期の仕事になんとか区切りをつけ、疲れた体を引きずって一人暮らしのマンションに帰りついていた。
ずいぶん夜風が冷たくなってきたなと、クリーニングに出したはずのコートについて考えながら、帰宅途中で買ったコンビニ弁当をビールで流し込む。
部屋のテレビはどれくらいつけていないのか、うっすらと埃をかぶっていた。
過労死ラインをさまよう労働時間が続けば、人はテレビを見る余裕さえなくなるのだ。
テレビの中のテンポの速いやりとりを脳が理解できない。番組内で紹介される新しい情報に興味が持てない。
趣味もなく、食べて働いて寝るだけの毎日で精一杯だった。
そんな江原の室内は、基本的に無音だ。
独り言をいうでもなく、お弁当のプラスチックが擦れる音と、ビールの缶の音が静かな室内に響く。
江原は味のしない食事を終えると、なんとか机の上のゴミをまとめて袋に放り込んだ。
掃除をしなくても最低限度の生活を営むために、ゴミはこまめに捨てるというのが、長い一人暮らし生活の中で学んだことだった。
冬でもシャワーですませてしまう面倒な入浴をなんとか終え、老眼鏡を投げ捨てるようにベッドに倒れこんだのは、その日も深夜二時を回っていた。
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