【完結】愛玩動物

匠野ワカ

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17_月島という男

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『月島さん、またどこかにお出かけですか?』


 呼びかけられた月島つきしま ただしは、振り向きもせずねぐらにしている岩場をあとにした。
 岩場の洞の中では、今夜も輪姦が始まっている。

 力の強い者が、そうでない者を組み敷く。月島には興味のないことだった。
 ただそれが、極限状態の地球人にとって必要な行為であることを理解していた。だから止めもせず、その場所から立ち去るのだ。





 月島は食料を手に逃げのびたあと、幸運にも十数人からなる地球人コロニーに拾われ、その日のうちにそこのボスとして君臨していたのだ。

 混沌とした環境で物を言うのは、圧倒的な暴力だ。強さが唯一の正義だ。たとえそれが見知らぬ星であったとしても、月島にとって分かりやすく馴染み深い、簡単なルールだった。
 どこに行っても、この世は悪意と暴力が汚泥のようにまとわりつく不快な世界なのだ。




 皮肉なことに、月島の知る唯一の清浄な世界は、あの化け物と暮らした部屋の中だけだった。
 あの閉じられた部屋の中は、汚いものも苦しいものも何もない、穏やかな時間だけが優しく流れていた。

 月島の彫りの深い顔立ちに映える濃い眉毛が、不機嫌そうに寄せられる。





 月島は、純粋に実力のみで組の若頭にまで上り詰めた男だった。
 四十過ぎの大人の色香が匂い立つような、体格のいい武闘派ヤクザ。
 シマを荒らした奴には、徹底的に、無慈悲なまでの制裁を加える無口な男として恐れられていた。

 で向かった港で、地球外生命体にさらわれるまでは。




 月島は生まれて此の方、誰にも惜しまれたことのない過酷な人生を、一人で切り開いてきた。
 見知らぬ星で化け物たちに踏み躙られようと、その強さでもって諦めず抗い続け生き抜いた。

 そうして出会ったのが、仕事に疲れた触手生命体のティフォだったのだ。




 月島はティフォに守られた何不自由ない生活の中でも、常に逃げ出してやろうと目論んでいた。そのために、見よう見まねで機械を扱い、この星のことを学んだ。文字は難解すぎて解読できなかったが、3Dホログラムの画像の羅列から、読み解ける情報はいくらでもあった。

 それだけでなく実際に、壁に穴を開けて脱走しようと毎日のように挑んでいたのだが、いくら壊してもすぐに修復してしまう柔らかな壁が、月島を閉じ込めていただけなのだ。

(あの閉ざされた部屋の中で、俺はお人好しな化け物に飼い慣らされてしまったのだろうか)


 不快感を伴わない優しい触れ合い。甘さを乗せた化け物の声。
 月島がいくら怒っても暴れても、怯えることなく困ったように笑う化け物。

 そう、相手は言葉の通じない化け物なのだ。
 だからこそ、月島の戸惑いは深まるばかりだった。




 そして、生温い生活は唐突に終わりを迎える。
 あの時、部屋の外に出ることに、躊躇いはなかった。自由が月島の望みだったからだ。飼われるなど、月島のプライドが許さない。何度考えても、あの時の月島に逃げ出さないという選択肢はなかった。


 それでも最後に見た化け物の孤独な瞳が忘れられない。






 月島は、自分がムームというかわいい名前を付けられていることを、知らない。

 言葉や文字による意思の疎通が困難であることは、一緒に暮らし始めた初期の段階で理解していた。しかし、あの化け物の発する優しい波音が、月島を呼ぶ声だということは理解していた。

 波音に合わせて返事をし、近寄れば、あの化け物が目尻を下げて喜ぶことを知っている。
 それで、お互いが満たされることも知ってしまった。





 月島は自由を望む。望んでいるのだ。それなのに。


 月島は、もうずっと困惑していた。
 後ろに撫で付けた癖のある黒髪を、片手でかきむしる。

 襟刳りのあいたシャツからは、健康そうな浅黒い肌、そして盛り上がった筋肉と刺青が覗いている。ぐるりと体に巻きつくように彫られた昇り龍は、月島のトレードマークだ。
 整った顔に、男らしい体躯。喧嘩は負け知らず。四十を過ぎてますます増える色気に、男女問わずに不自由をしたことはなかった。
 この地球人コロニーでも、ボスである月島が望めば、誰もが体を差し出しただろう。


 それなのに、今夜も月島の足は、闇に紛れて化け物の住まいに向かう。


 闇の中、手足の感覚だけで森を抜ける。
 その危険性は十分承知していたが、自分を探す化け物の姿を見てしまったあの日から、月島の足は化け物に会いに行ってしまうのだ。見つからないように、こっそりと。


 なんと無意味な行動だろうか。月島は自分に困惑をする。
 月島は、この感情を何と呼ぶのか、まだ知らなかった。






 空と地面の境目どころか、草木と自分の境目さえ分からない闇夜。

 それでも森を抜け住居区に近付けば、移動に困らないくらいの明かりはあった。この星の街灯に当たるのだろうか。地面で小さく明滅する明かりが、月島の足元の闇をさらに暗くする。

 月島は闇に紛れるように移動した。





 化け物はいつも小さな明かりを携えて、暗い住居地区の外れを森に向かってあてもなく歩いている。
 蛍くらいの小さくささやかな光だ。
 それでも暗闇で動く明かりは遠くからでも十分に目立った。


 今夜も月島は、それほど苦もなく化け物を見つけた。

 化け物を見つければ、月島はそこから化け物が見えなくなるまで動かない。見つからないように遠くから、化け物を見る。
 ただそれだけを、毎夜、繰り返していた。


 化け物はしきりに鳴いている。

 聞き慣れた波音のような鳴き声は、きっと自分を呼ぶ声だ。返事はしない。鳴き声は、悲しく響く。月島は身を潜めながら、化け物を見つめる。



(逃した俺を、また捕まえたいのだろうか)


 化け物は、何かをあちこちに置きながら歩いている。
 月島は化け物が立ち去ったあと、慎重に近付いて確認をした。
 この星の夜は暗く視界がきかないが、遠くで瞬く街灯の明かりを頼りに目をこらせば、それは食べ慣れた赤い実だった。




 規模は小さくとも地球人コロニーのボスに君臨する月島は、食べ物に不自由をしていない。
 原材料が何かは知らないが、現地調達された地球人の口に合う食べ物を、何不自由なく口にしていた。特に空腹も覚えていない。

 化け物はこの餌で俺をおびき寄せて、俺を捕まえる気なのだろうか。そんな簡単な罠に引っかかるほど、俺は愚かではない。


 そう思いながらも、月島はぼんやりと赤い実を見つめる。

 匂いに釣られてやってきた夜行性の甲殻生物が、赤い実に群がる。
 月島は夜明けの少し前まで、赤い実を眺めて過ごした。

 それからもと来た道を帰っていく。





 夜の狂乱がなりを潜めた地球人コロニーで、月島はつかの間の惰眠を貪る。

 きっとまた今夜も、自分はあの化け物を探しに出歩くだろうと分かっていた。
 理由が付けられない自らの無意味な行動に、それでも止められない自分の感情に、月島はただ困惑をしていた。












 化け物は、日に日に疲れ衰えていくように思えた。

 ニアミスで化け物が至近距離を通り過ぎたとき。
 視界の端で見た化け物は、灰色の肌をさらに白くさせ、あきらかにやつれているようだった。



 化け物の規則正しい生活スタイルから、堅気の仕事に就いているのだと月島は知っていた。

 夜の徘徊で睡眠不足が続いているのだろうか。
 どこかふらふらと頼りなく触手を動かして歩く様子に、思わず体が動きそうになって月島は唇を噛みしめた。





 月島の視界の端に、通り過ぎる触手が見える。

 歩き回るうちについたのか、あれほど綺麗で滑らかだった触手が、あちこち傷だらけになっていて心が痛んだ。

 痛む心など持ち合わせていたのかと、月島は自分でも驚いた。
 綺麗な生き方などしたことがない。生まれ落ちた瞬間から、汚泥にまみれた人生だった。この心優しい生き物を化け物と呼ぶ自分の方が、よほど化け物じみた生き物なのだと自覚もしている。



 これまでたくさんの人間を地獄に叩き落としてきた自分が、この化け物のそばで感じた安らかな時間を、どこか恋しく思っているのは分かっていた。

 それが月島には、弱さに思えるのだった。
 自分の中の弱さを認めることはできない。弱さはダメだ。弱ければ死ぬ。弱ければ、他人に食い荒らされる。




 生まれて初めて、自分以外の何かを大切に思うことが、月島には恐ろしかった。


 それでも。

 月島の名を呼びながら、弱りはて丸くしゃがみ込む化け物を見て、考えるよりも早く足が動いてしまっていた。





 心配だった。もうずっと化け物が心配でたまらなかったのだ。俺を探すのは諦めて休んで欲しいと思う自分と、俺を探し続けて欲しいと渇望する自分が、月島の心をかき乱す。


 生まれて初めて、どうしようもなく手を取りたいと思った相手が化け物なのだ。
 仕方がない。諦めよう。諦めて、認めよう。あの心優しい化け物のそばがいい。化け物がいいのだ。



 月島は、背中を丸めて泣くティフォに駆け寄った。






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