【完結】愛玩動物

匠野ワカ

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5_ムーム

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 翌朝。

 短い睡眠時間からは考えられないほどのすっきりとした目覚めに、ティフォは鼻歌を歌った。

 いつもなら寝起きから疲れたと言いたくなるような慢性的な怠さに気分が滅入るのだが、これが俗に言うアニマルセラピーの効果なのだろうか。
 想像以上に熟睡できたティフォは上機嫌で、触手の中で眠る地球人を覗き込んだ。
 そっと触手で体温を確認する。

 媚薬でやや熱かった体も落ち着いたようだ。 




 ティフォの目覚めを感知した白い天井と白い繭型のベッドは、外の少ない日差しを取り入れようと透明に変化する。

 常に薄曇りのこの星では本当に珍しいことに、うっすらと朝の光を感じるいいお天気だった。



 ケプラー惑星群の建物は、壁にも透過ガラスにもなる素材で作られている。もちろん太陽の少ない光を取り込むための装置で、外から室内の様子は分からないハーフミラーになっており、プライバシーは守られている。そしてこの外の風景も、家主登録されているティフォの希望に添った映像に変更ができるのだ。


 ティフォは触手の中で眠る地球人のために、〝眺めるだけで落ち着く地球の風景リスト〟から、青い風景を選んだ。この風景の映像は、時刻とともにリアルに変化していく。



 ティフォは映し出された青い風景を見つめた。

 地球の風景を選んだのはこれが初めてだった。

 陸も空も深い青の陰影に満ちた風景の中央から、薄紫、ピンク、オレンジと色の洪水、そして眩しいほどの光が顔を出す。
 太陽という名の恒星らしい。
 陸は水に覆われていて、光を受けてきらきらとその青さを澄みわたらせていく。
 時とともに先ほどの息をのむほどのグラデーションはなりを潜め、空の薄青と雲の白が、ただ静かに水面と混じり合っていく。雲が白い。外が明るい。これが地球の朝。これが地球の風景。




 触手の中の地球人が、眉根を寄せて寝返りをうった。

 それからびっくりしたように飛び起きて、ぶかぶかな服と、地球人には大きすぎる繭のような丸い寝具、透明な天井、ティフォの顔と、厳しい顔でせわしなく視線をさまよわせている。

 ティフォは落ち着き、できるだけ優しい声で話しかけた。


「おはよう。ムーム。お前の名前はムームだよ。僕の名前はティフォ。これからよろしくね」


 〝ムーム〟とはこの星の古語で、朝日という意味だった。貴重で滅多にないという吉兆の意味合いもある。
 まだ宇宙へ飛び立てなかった原始の時代に、焦がれてやまない光の恒星をたたえる言葉がたくさん紡がれては忘れ去られていった。その言葉の一つだ。


 この重い灰色の大気を抜けて光の恒星に降り立つ技術がある今は、光の直射がいかにケプラー惑星群の生命体に有害であるかということに大衆の意識は向いていた。
 この窓の映像も偽物だからこそ、ティフォも無事でいられるのだ。

 紫外線に対抗できるメラニン色素を持たない触手生命体にとって、明るい惑星で生活することは困難がつきまとう。

 しかしティフォは朝日の中でまどろむ彼を見て、これが彼の名前に相応しいと思った。
 いくら考えてもしっくりくる名前が浮かばなかったのだが、良い名前をつけることができたとティフォは笑顔を浮かべた。




 この星の法律が変わるまで、つまり地球人の密猟や密売、野生で繁殖してしまった地球人と在来種との生態系のバランスなど、複雑に絡み合った政治的問題が解決するまでは、本当の意味で彼を日の下に連れて行くことは叶わないだろう。
 それでも名前くらいは、彼に相応しいものを。

 ムームと名付けられた地球人は、ティフォを見て、眉をひそめながら不思議そうに少し首を傾げた。

 それからじりじりと後退し、半透明の繭型ベッドの出口から飛び出した。

 ティフォは慌ててムームの足を触手で掴む。ムームは体をよじりながら威嚇している。筒型の服が逆さまにめくれ上がって、割れた腹筋や裸の体をさらした。朝のティフォには目に毒だ。


「こらこら、危ないよ」


 ムームにはこのベッドの出入り口は高すぎる。
 頭から落ちて怪我でもしたら大変だと、ティフォが繭をぶらさげる紐状の部分を触手で触った。

 ティフォの意思を感知して、ベッドはほのかに発光しながら緩やかに床に降下していった。床についた繭は、ぽよんと繭の形を柔らかに変えて止まる。

 ケプラー惑星群では、意思の伝達で形を複雑に変えることができる生体鉱物が生活の各所に用いられているのだ。


「びっくりさせちゃったかな。もう大丈夫だよ」


 警戒するムームになるべく優しい声で話しかけながら、ゆっくりと床に下ろし離してやった。

 ティフォもベッドから降りる。

 ムームは部屋の隅まで後退し、こちらの動きを慎重に確認している。


 ティフォもすぐに慣れてもらおうとは思っていない。暮らしていく中で安全であることを理解してもらえれば、それで十分だった。





 ティフォは壁を触手で触り、とりあえず飲み物の入った容器とグラスを二個、あとは地球人の脆弱なあごでも咀嚼そしやくできそうな実をいくつか取りだす。
 同時に床から小さなテーブルを作り、その上に乗せていった。


 ムームはただの白く四角い部屋が、薄ぼんやりと発光しながらさまざまに形を変えていくさまに目を見張っている。観察し、学習しているようだ。

 どうやらムームは無駄吠えをしない利口な地球人らしい。ティフォもまたムームの様子をこっそり観察した。



「これはね、飲み物だよ。喉が渇いたら自由に飲んでね。こっちは食べ物。これはこのまま食べられるけど、こっちはムームの口だと皮を剥かないと食べられないかな? この隙間からこう押すと、ほら、剥けた。簡単だから安心して食べてね」

 ティフォはそう言いながら、無害で食べられる物であることが分かるように、どれも少しずつ口に運んでニッコリと笑ってみせた。
 ムームの体がビクリと強ばる。


 笑顔にまで怯えをみせるムームにこれ以上の刺激を与えないよう、ティフォはそっと部屋をあとにした。
 仕事の時間が差し迫っていたのだ。





 まずはムームに部屋に慣れてもらうことが先決だ。想像よりも元気そうな様子を信じて、あとは帰宅してからにしよう。仕事なのだから仕方がない。何かあれば部屋の高度AIシステムが知らせてくれるだろう。


 ティフォは心の中で言い訳を並べながら、体を清潔に保つミストを浴びて、さっと着替えを済ませると家をあとにした。




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