しらぎぬ牧場の雄乳係

橘 咲帆

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「だめだ、もう我慢でぎね! 乳あげでくる」
「わぁ、待って、待って! マキちゃん!」

 生産乳牛の乳離れは、産まれてからおおむね1カ月ほどで行われる。乳をあげ続けている限り、母牛の排卵が来ないからだ。雪代二号の乳母である牧田は仔牛を産むわけでもなんでもないため、雪代二号の乳離れはもっと遅くてもよいという考えもある。しかし、他の牛と合わせるために、雪代二号も1カ月で乳離れのトレーニングを始めた。

 雪代二号は牧田の乳を求め、もう丸二日も鳴き通している。声も嗄れ果ててヒーヒーという空気音を出すのみだ。

「ほら、マキちゃん。こっち向いて。ちゅうしよう?」

 深く唇を合わせ、舌を絡ませて来た猪口の髪色は、ダークシルバーだった。この色だと、ちょっと白髪も増えて来ちゃったマキちゃんと同じ歳くらいに見えるでしょ? などと猪口が言うが、お肌の肌理が全然違うと牧田は抗議した。しかし、二人の間に純然たる壁として存在する年齢の壁を少しでも突き崩してくれようとする猪口の気持ちが嬉しかった。

 最初の種付け体験を終えて、猪口は牧田の種付け体験権を全て買い取った。種付け体験について知った牧田は、これから雪代二号の卒乳まで、毎日のように知らない男に身体を開くのかと戦々恐々としていたのだが、猪口が全てお買い上げしたという話を聞いて、心底ほっとした。

 幸せを運ぶ種付け体験をするのを楽しみにしていた体験希望者達は激しく抗議したが、政界のフィクサーである猪口の祖父が黙らせた。
 
 四人の子持ちである牧田は、ずっとヘテロとして生きて来たこれまでの人生を百八十度転換することになった。もう多分、あの頃には戻れない。妻も子どもも妻の実家で大事にされている。牧田の家族にはもう牧田が必要ない。わかってはいたが、牧田は家族の事を忘れる事が出来なかった。しかし、今は、雪代一号、二号がいる。そして、猪口がいる。

 牧田はもう寂しくはなかった。
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