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02.猫獣人の肛門嚢について語る
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リアンと初めて会ったのは、リアンがまだ小学校に入る前だった。春先の、寒い、寒い雨の日。猫の獣人は、水に濡れるのを嫌う性質であるはずなのに、猫獣人の子どもが近くの商店街の路地裏で雨に濡れてしょぼくれていたから、俺の仕事、刑事という職業柄、声を掛けたんだ。
「おい、どうした坊主、お母さんやお父さんはどうした? はぐれたのか?」
「母ちゃんはいない。死んじゃったんだ。父ちゃんは仕事」
こんな小さな子どもが一人で居るのか。しかも猫獣人の子ども……。猫獣人の子どもは人間の好事家、いや、好事家ならまだいい、ただの風変りな人だ。──好色家にとっては性の対象になり得る。つい先日も猫獣人の子どもを誘拐し、売るという裏組織が摘発された。児童を守るための法律や条例は、これでもかというほど制定されているのに、だ。
「家には入れないのか? こんなところで坊主みたいな小さい子が一人で居るのは危ないことなんだよ。いい子だからおうちに帰りなさい」
「おうちには入れるけれど、おうちにひとりはさみしい」
俺は思案した。このままこの子をこの場所に放置してよいものかと。俺がこの子を連れて家に帰ると、逆に俺が誘拐犯になってしまうかも知れない。しかし、この子は寒さで震えている──。
「……坊主、俺の家に来るか?」
余計なお節介だ。よせばいいと思うのについやってしまった。
猫獣人の子どもは、カルネリアンと名乗ったので、リアンと呼ぶことにして、俺の自己紹介も簡単にする。名前は朱鷺田石英、セキエイと呼べばいい。歳は二十五歳、仕事は刑事であること。妻も子どももいない、一人暮らしであること。仕事の関係で不規則な生活をしているが、非番の日はだいたいこの商店街で買い物をして、酒でも飲みつつテレビなどを見ていること。
俺は多分、内心びくびくしていたんだと思う。いつになく多弁だ。いや、全く後ろめたいことはないんだ。ないはずなんだが、つい喋ってしまう。子どもはにこにこと「へえ、刑事さんなんて本物?初めて見た」とか保育園にも幼稚園にも行っていないことなどを話す。いいのか?警戒心なさすぎなんだが。
リアンのためにプリンと牛乳を商店街で買い足し、二人で連れ立って歩き、俺の家に着いた。
こたつに電源を入れて、俺の使い古したはんてんを着せてやると、「わー。なんだろ。変な匂い~」なんて失礼な事を言いやがるから苦笑した。しかたないだろ、こちとら社会人だ。ピッチピチのお前から見たらおじさんだよ。加齢臭……はまだないはずだ。俺は一応まだ25歳……加齢臭ないよな?
牛乳をマグカップに注いで電子レンジで温め、俺の分のビールとつまみを持ってリビングに戻ると、リアンがもぞもぞとケツを床に擦り付けている。えっと、これは、ひょっとして……。
「リアン、ケツどうした?」
「うん。お尻かゆいの」
ああ、そうか。やっぱりか。猫獣人だもんな。
一部の猫獣人には肛門嚢と呼ばれる、肛門の周りにある二か所で一対の袋である器官が機能している人がいる。動物の猫であった頃の名残だ。
動物である猫の肛門嚢の内部には悪臭を伴う分泌物が入っているが、猫獣人に進化する段階で、肛門嚢が退化して機能しなくなった人々が一般的だ。しかし、リアンは肛門嚢が退化していないんだろうな。
肛門嚢があっても、肛門嚢の底は肛門括約筋があるから、排便時に肛門を締めると肛門嚢が圧迫されて、分泌物が出る仕組みなのだが、まれに詰まってしまうことがある。詰まってしまうと、今、リアンがやっているように、お尻を床に擦り付けたり、お尻を掻いたりするようになる。猫ではないが、犬獣人の同僚が同様にもぞもぞしていたことがあり、何故そんな動きをしているんだ? と、不躾にもきいてしまったのだが、そいつは懇切丁寧に教えてくれた。
人間にもあるらしいんだが、完全に退化していて、獣人のように詰まってしまうことはない。
獣人の身体能力には圧倒されっぱなしだが、肛門嚢がないという一点は、人間でよかったなと思う。
しかし、肛門嚢か……。絞ってやるのがいいと聞いたが、親御さんはケアをしてやらないのか。それ以前に生活自体がほったらかしみたいだからな。肛門嚢どころではないか。病院に行くと言っても保険証もないし……。
「あれ? このプリン。僕がいつも食べるのよりも美味しい」
「そうか? このケーキ屋のプリンは昔から変わらない味なんだよ」
固めに作られた昔ながらの濃厚なプリンをつついた。店主が、ちょっと生クリームも入れていると語っていたこれは、ひと匙差し入れるとぷつりと硬い層に当たり、ほんの少しの抵抗をみせるが、さらに匙を沈めると、すんなりと一番下のカラメルの層まで行き着く。俺はひと匙の上にプリンのすべての層が乗っている事を確認し、口に放り込んだ。
「ふふ。やはり美味い」
「セキエイ、大人なのにプリン食べてにっこにこだね? 子どもみたい」
生意気だなとデコピンの一つでもくれてやりたい気持ちを抑え、獣人にとっての肛門嚢の存在をリアンに語ってやった。リアンはわかっているんだかいないんだかわからない、釈然としない表情を浮かべてはいたが、「父ちゃんに話してみる」と言った。
「おい、どうした坊主、お母さんやお父さんはどうした? はぐれたのか?」
「母ちゃんはいない。死んじゃったんだ。父ちゃんは仕事」
こんな小さな子どもが一人で居るのか。しかも猫獣人の子ども……。猫獣人の子どもは人間の好事家、いや、好事家ならまだいい、ただの風変りな人だ。──好色家にとっては性の対象になり得る。つい先日も猫獣人の子どもを誘拐し、売るという裏組織が摘発された。児童を守るための法律や条例は、これでもかというほど制定されているのに、だ。
「家には入れないのか? こんなところで坊主みたいな小さい子が一人で居るのは危ないことなんだよ。いい子だからおうちに帰りなさい」
「おうちには入れるけれど、おうちにひとりはさみしい」
俺は思案した。このままこの子をこの場所に放置してよいものかと。俺がこの子を連れて家に帰ると、逆に俺が誘拐犯になってしまうかも知れない。しかし、この子は寒さで震えている──。
「……坊主、俺の家に来るか?」
余計なお節介だ。よせばいいと思うのについやってしまった。
猫獣人の子どもは、カルネリアンと名乗ったので、リアンと呼ぶことにして、俺の自己紹介も簡単にする。名前は朱鷺田石英、セキエイと呼べばいい。歳は二十五歳、仕事は刑事であること。妻も子どももいない、一人暮らしであること。仕事の関係で不規則な生活をしているが、非番の日はだいたいこの商店街で買い物をして、酒でも飲みつつテレビなどを見ていること。
俺は多分、内心びくびくしていたんだと思う。いつになく多弁だ。いや、全く後ろめたいことはないんだ。ないはずなんだが、つい喋ってしまう。子どもはにこにこと「へえ、刑事さんなんて本物?初めて見た」とか保育園にも幼稚園にも行っていないことなどを話す。いいのか?警戒心なさすぎなんだが。
リアンのためにプリンと牛乳を商店街で買い足し、二人で連れ立って歩き、俺の家に着いた。
こたつに電源を入れて、俺の使い古したはんてんを着せてやると、「わー。なんだろ。変な匂い~」なんて失礼な事を言いやがるから苦笑した。しかたないだろ、こちとら社会人だ。ピッチピチのお前から見たらおじさんだよ。加齢臭……はまだないはずだ。俺は一応まだ25歳……加齢臭ないよな?
牛乳をマグカップに注いで電子レンジで温め、俺の分のビールとつまみを持ってリビングに戻ると、リアンがもぞもぞとケツを床に擦り付けている。えっと、これは、ひょっとして……。
「リアン、ケツどうした?」
「うん。お尻かゆいの」
ああ、そうか。やっぱりか。猫獣人だもんな。
一部の猫獣人には肛門嚢と呼ばれる、肛門の周りにある二か所で一対の袋である器官が機能している人がいる。動物の猫であった頃の名残だ。
動物である猫の肛門嚢の内部には悪臭を伴う分泌物が入っているが、猫獣人に進化する段階で、肛門嚢が退化して機能しなくなった人々が一般的だ。しかし、リアンは肛門嚢が退化していないんだろうな。
肛門嚢があっても、肛門嚢の底は肛門括約筋があるから、排便時に肛門を締めると肛門嚢が圧迫されて、分泌物が出る仕組みなのだが、まれに詰まってしまうことがある。詰まってしまうと、今、リアンがやっているように、お尻を床に擦り付けたり、お尻を掻いたりするようになる。猫ではないが、犬獣人の同僚が同様にもぞもぞしていたことがあり、何故そんな動きをしているんだ? と、不躾にもきいてしまったのだが、そいつは懇切丁寧に教えてくれた。
人間にもあるらしいんだが、完全に退化していて、獣人のように詰まってしまうことはない。
獣人の身体能力には圧倒されっぱなしだが、肛門嚢がないという一点は、人間でよかったなと思う。
しかし、肛門嚢か……。絞ってやるのがいいと聞いたが、親御さんはケアをしてやらないのか。それ以前に生活自体がほったらかしみたいだからな。肛門嚢どころではないか。病院に行くと言っても保険証もないし……。
「あれ? このプリン。僕がいつも食べるのよりも美味しい」
「そうか? このケーキ屋のプリンは昔から変わらない味なんだよ」
固めに作られた昔ながらの濃厚なプリンをつついた。店主が、ちょっと生クリームも入れていると語っていたこれは、ひと匙差し入れるとぷつりと硬い層に当たり、ほんの少しの抵抗をみせるが、さらに匙を沈めると、すんなりと一番下のカラメルの層まで行き着く。俺はひと匙の上にプリンのすべての層が乗っている事を確認し、口に放り込んだ。
「ふふ。やはり美味い」
「セキエイ、大人なのにプリン食べてにっこにこだね? 子どもみたい」
生意気だなとデコピンの一つでもくれてやりたい気持ちを抑え、獣人にとっての肛門嚢の存在をリアンに語ってやった。リアンはわかっているんだかいないんだかわからない、釈然としない表情を浮かべてはいたが、「父ちゃんに話してみる」と言った。
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