今日、私は貴方の元を去ります。

蓮実 アラタ

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9 悪役は挨拶する

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 キネーラ連合王国にきてさらに一週間が経った。
 その間に私がしたことは優雅にティータイムをしたり、シスターリゼリアと話したり、趣味のガーデニングを楽しんだりと、要するに――ものすごく貴族令嬢としての普通の生活をしていた。

 やっぱりおかしい。私は罪人として貴族の身分を剥奪され、シスターとしてこのキネーラに来たはずではないのか。
 私はもうグレイブル王国宰相エルダイン公爵令嬢クラリスではないのだ。

 普通追放された大罪人に対する扱いはどこもシビアだ。
 だから私は粗末な馬車に乗せられてキネーラに移動するまでの間、どんな扱いを受けても当然の措置だった。むしろ命が助かっただけ感謝すべきこと、キネーラでは誠心誠意シスターとして慎ましく生きよう。

 そんな決意をしたはずだというのに。
 一応は国を追放された罪人であるはずなのに何故私は相変わらずこんな静かな邸宅で優雅に紅茶を飲む日々を送っているのでしょうか。

 いくら私が『精霊王の愛し子』であれ、存在していることそのものが意義であり、シスターの仕事をさせるのは以ての外とシスターリゼリアに諭されても、このままではいたたまれない。
 何か私にもできる仕事はないのかとシスターリゼリアにそう訴えたら、「じゃあ教皇に直接訴えてみましょう!」となり――。

 私はリダ・テンペラス教会の最上階にある教皇の私室に招かれていた。
 リダ・テンペラス教会はキネーラ北西部の辺境の地にあるとはいえ、チャーチル自治領はキネーラ王族と縁の深いレイダスト公爵家が治める場所。
 ここは現教皇の出身地でもあるそうで、病気を患っているというかの教皇は、静養中という名目でこちらに滞在しているのだそうだ。

 白い重厚な扉を開けられ、シスターリゼリアに促されるままに進むと、天蓋の着いたベッドに横たわる初老の男性がいた。
 品の良さを感じさせる端正な顔立ちに、慈愛さを感じさせる優しいヘーゼルの瞳を持つラウスマリー教皇は、私を見てにこりと微笑む。

「キネーラ連合王国へようこそ、愛し子クラリス様。こんな姿ですまないね。病気があまり思わしくなくてね……」
「……い、いえ! お初にお目にかかります。クラリスと申します。今回はお目通しをお許しいただき、誠に感謝しております」
「いやいや、そんな堅苦しい挨拶は必要ありませんよ。愛し子のあなたの方がこの老いぼれよりよほど高貴な存在であられるのですから」
「……はい。ではお言葉に甘えて。ありがとうございます」

 即座に膝を着き、頭を下げた私を教皇は朗らかな声音で応じる。
 笑うとシワがよってえくぼができるラウスマリー教皇猊下は、親しみ深い愛嬌を感じさせるとても優しそうなお方だった。

「さて、本当は私の方が挨拶に伺いたかったんですがねぇ……。なにぶん病気が回復する兆しがなく……なにか不自由なことはありませんか?」
「いえ。むしろとても良くしていただいております。グレイブル王国においては罪人だった私を暖かくて出迎えてくださっただけでなく、手厚く保護していただき……恐縮です」

 そこで初めてラウスマリー教皇の傍により、顔を見た私は、驚きに目を見開いた。
 ベッドに横たわる教皇の身体には、灰色のモヤが全身にまとわりついていたのだ。教皇の身体から発せられるそれは、特に肺の部分に集中していた。

 ――もしかして、これは……。

 ふとある予感が過ぎった私は、教皇に目を向け、とある質問をする。

「あの、猊下。貴方の患っている病気は、肺の病気では?」

 確信を持って聞いた私の質問に、ラウスマリー教皇は驚いたように瞠目して頷く。

「はい。私は肺を患っています。どうしてお分かりに?」
「やっぱり……」

 私の予感は当たっていた。
 
 聖女しか見えない、常人には目視することができないこの灰色のモヤは『さわり』と呼ばれるモノ。
 負の感情が凝り固まって聖女のみに可視化されるようになった、『不浄のモノ』である。

 けれど、これが視えるのは神の信託を受けて正式に聖女となったものだけ。聖女候補にもこの『障り』は見えない。
 元は聖女候補とはいえ、正式な聖女ではない私には普通見えるはずがないのに。

 かつてゲームで聖女となったヒロインのリーンの視点から見ていたために覚えていたあの特徴のある灰色のモヤ。
 それが何故今になって突然視えるようになっているのか。

「う……ぐはぁっ!」
「ッツ! 猊下!!」

 眉根を寄せて考えている間に、突然教皇の肺を取り巻いていたモヤがどす黒く光り、途端に教皇が胸を抑えて苦しみ出した。

 いけない。『障り』が溜まりすぎている。早く祓わないと、教皇の命が……!
 しかし、この『障り』を祓い、浄化できるのは神の祝福を受けた聖女だけ。

 一体どうすれば。
 考えている時間も猶予もない。このままでは死んでしまう。
 仕方ない。こうなったら一か八か。やるしかない。
 私はどす黒いモヤを放つ教皇の胸に手をかざすと、目を閉じた。


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