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1章 追放までのあれこれ。

34 旅立ち

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『――これで良かったのよね』
「ええ、これでよかったの」

 眩い光に包まれ、その光が収束したあと――目を開いた私の前に、もうアリーシャの姿はなかった。
 その代わり、私の中にもうひとつの魂が確かに在るのを感じる。
 ようやく、私たちはひとつに戻れたのだ。

 しみじみと実感していた私の中で不意に『アリーシャ』が話しかけてくる。

『私はこれから時間をかけて貴女と再び同化していくことになるわ。元々私が無理に魂を引き裂いたから、今度は少しずつ修復する形で元に戻していくわ。そして完全に同化したら、私の意識は貴女の一部に戻ることになるわね』
「じゃあまだ暫くはお話できるんだね」
『ええ。アリーシャとしての意識は暫く残るわ。少しの間だけれどよろしくね』
「勿論よ!」

 ふふふ、と二人で笑い合う。
 不思議な感覚だった。自分がもう一人いるような、片割れがやっと戻って来たような安息感。
 魂が分離していたとはいえ、やはり私たちは元々ひとつの存在だったからだろうか。

「さて、私たちは元通りになったわけだし、今度こそ目的は達成。……ということは」
『あとは無事に追放されるだけね』

 そう。私たちは国を離れなければならない。
 セラーイズル王子……イズル君とは和解したけれど表向き私は国外追放されることになるのだ。
 目標であったアリーシャの神籍剥奪は叶った。あとはこの国を出ていくだけだ。

「さあ、シリウス様の元へ戻りましょう」
『そうね』

 私たちは頷き合い、再び出現した水鏡の元へと歩いていった。


 *


「さーて、どこから行こうかな?」
「……随分、身軽なんだな」
「え? そう?」

 横からかけられた言葉に私はひらりとその場で一周する。
 身に纏うのは上等なシルクで仕立てられた乗馬服。
 白金プラチナの髪はポニーテールにまとめてあり、傍から見ると宝○歌劇団の男役に見えなくもない。
 アルメニア王国から出たら麻のシャツとズボンという平民の一般的な簡素な服に着替えるつもりだ。

 腰にはメサイアから祝福され、運命を断ち切る剣となった愛用の細剣レイピアと、最低限のものを詰め込んだポーチ。
 彼の言うとおり、確かに身軽かもしれない。
 私は自分の姿を見下ろした後、目を瞬かせて横にいるを見上げる。

「それより黒髪も似合うねぇ! かっこいい!!」
「……そうか?」

 目にかかる前髪を指で掴んで弄ぶヴェガ様。
 彼は白かった髪を黒に染めていた。
 近衛騎士だったヴェガ様はあの後騎士団を辞め、クローエンシュルツ侯爵家とも縁を切り、私の護衛として一緒に旅立つことになった。
 抵抗したけれど結局最後まで押し切られてしまい、私はなし崩し的に彼の同行を許可することにした。

 その際に白髪では色々目立つからと黒に染めることにしたらしい。
 髪色でいえばプラチナブロンドの私も目立つことこの上ないのでならばと私も茶色に染めようとしたところ、慌てたヴェガ様に止められてしまった。何故だろう。解せぬ。

 ゲームでのヴェガは常にクールな男性でここまで我の強い描写はなかったはずなのに。まさか実はここまで頑固だったとは。
 むう。してやられた意味合いも込めて推しキャラのヴェガ様とは違う扱いにしてやろう。これから長い付き合いになるんだし、ヴェガって呼び捨てしちゃえ。

 まだ慣れないのか、翠の瞳を細めながら黒くなった髪を眺めていたヴェガは、私の視線に気づくとなぜかごほんと咳払いをした。

「じゃあ、そろそろ行くか」
「うん、そうだね。よし決めた。目的地は西! 天気も良好!」

 名残惜しい気もするけれど、そろそろ行かなければ。

 旅立ちに際して私たちは自分の家との縁を切った。婚約破棄したあの夜、予め説得していたため、お母様は私を快くオーウェン公爵家から送り出してくれた。
 最後まで納得はしていなかったお父様がボロ泣きしながら私の名前を叫んでいたのはいい思い出だ。

 そして――本当の意味で『アリーシャ・ウルズ・オーウェン』でなくなった私は新たな名前を得た。

「――、ほら」

 早速私の名を呼んだヴェガが、手を差し出してくる。
 え、どういうことですかね。

「え? 何?」
「手、出せ。お前すぐに迷子になるだろう。よくそれで昔俺が探し回ったじゃないか。だから」

 迷子にならないように手を繋ぐってか? それは子どもの頃の話である。私を何歳だと思っているだろう。この従兄弟君いとこぎみは。
 どこまでも私を子ども扱いするヴェガに、私はカチンときた。

「しっつれいな! 私はもう17歳だよ! 迷子になんかなるもんですか!!」

 ヴェガが差し出してきた手を押しのけて私はずんずんと歩を進める。
 そのまま歩き出す私に慌てて駆け寄ってきたらしいヴェガが、後ろから叫ぶ。

「おいそっちは違うぞ! 西地区は左の街道で行くんだ!!」
「…………………………」

 ふたつある街道のうち右側の街道を進んでいた私は無言でくるりと踵を返すと左の街道へと歩き出す。

 しまった。やらかした。
 実は方向音痴は治っていなかった。ふたつだから二分の一だろうと確認せずに道を進んだのが間違いだった。恥ずかしすぎて後ろのヴェガの顔を見ることができない。
 羞恥心に駆られて競歩のように滑らかに街道を無言で歩く私にヴェガが追いついた。

「……怒ったのか?」
「べっつにー? 怒ってません」
「ならなんでこっちを見ない」
「別に見る必要ないでしょー?」

 嘘です。恥ずかしいからあなたの顔を見れないんです!
 頬が真っ赤になっているのがバレたくないあまり、つっけんどんな返しをする私にヴェガが急に前に回り込む。
 あまりに急な事だったので止まり損ねた私はヴェガの胸板に顔をぶつける羽目になった。

「ぶっ……ちょっ、何?」
「……これ」

 おずおずとヴェガが差し出した右手に乗っていたのは。
 金の蝶の意匠をあしらった、可愛らしい髪飾りだった。
 羽の部分に大ぶりのルビーが嵌め込まれた見覚えのある髪飾り。

「え、これって……」
「大事にしていただろう。確か王子に真っ二つに折られたと聞いたから治しておいた」

 まだイズル君としての記憶を取り戻していなかったセラーイズル王子が放ったかまいたちによってふたつに裂かれた大事な大事な髪飾り。
 それが綺麗に元の形に戻って、ヴェガの手に治まっていた。

「……そういえば、ヴェガも得意だったね。『復元』魔術」
「もう壊すなよ」

 ヴェガは私の後ろに回ると、ポニーテールに結った私の髪にその髪飾りをつけてくれる。
 そうして再び目の前に戻ってくると、私を見下ろしてフッと柔らかく微笑んだ。

「似合ってる」
「あ、ありがとう……」

 ――なにこれ何これ何コレ。こんなの不可抗力だ……。
 元々真っ赤だった頬がさらに火照るのを止められず、私は顔を俯かせることしかできなかった。

 だって、この髪飾りは……。大事に大事にしていたこの髪飾りは誰であろう、ヴェガがくれたものだった。
 学園に入学した時お祝いにとくれたこの髪飾り。憧れの推しキャラから貰えたことが嬉しくて嬉しくて、大事にしていた。

 髪飾りを握っているだけで幸せだった。勇気を貰えた。
 だから婚約破棄される断罪イベントのあの日、私はこの髪飾りをつけていったのだ。

 ヒロインのセジュナは協力者だったとは言え、まさに孤立無援のあの場の中で私が悪役令嬢を演じられたのはこの髪飾りをつけていたからこそ。

 失敗は許されなかった。本番一発。しくじれば未来はないあの舞台で。
 勇気をくれるこの大事な髪飾りをつけていたことであの一世一代のイベントを乗り越えたと言ってもいい。
 それが真っ二つに割れてどんなに悲しかったか。

 だから余計に嬉しかった。治してくれたことが。しかも髪飾りをくれた人がその手で髪につけてくれたことが。
 嬉しくて思わず泣きそうになった私は慌てて目を瞬いてニコリと笑顔を作ると顔を上げ、ヴェガに向き直る。

「本当にありがとう!」
「あ、ああ……」

 心からの感謝を込めてヴェガを見上げると、何故か彼は素っ気なく返事をしてそっぽを向いてしまった。
 どうしたんだろう。感謝は伝えたし、まぁいっか。

 そっぽを向いてしまったヴェガをしばらくそっとしておこうと再び前を向いた。
 目の前に広がるのは遥かな地平線へと続く街道。
 この街道を進めばアルメニア王国を出て、国境線を超えることができる。

「さて、ここからが本番だね」
『そうね』

 ヴェガに聞こえないように小さく呟くと、今はひとつになりつつあるもう一人の私が意識の内で頷く。
 ここからが本番だ。ゲームでの出来事はまだ終わってはいない。
 あの乙女ゲーム『聖オト』の世界ではこれから西の地で未知の伝染病が発生する。

 その伝染病は非常に高い感染力を持ち、瞬く間に大陸全土に広がる。各国は伝染病に対抗策を見いだせず経済と流通に打撃を受け、不景気が訪れる。
 そうなれば負の感情があちこちに入り乱れ、それらを糧とする魔王フェリクスの力が強まってしまう。

 魔王の力が強まればそれだけ世界の破滅が近くなる。
 それこそかの存在が収まるに相応しい適合する器を見つけられたら本当に終わりだ。

 ――そんな未来には絶対させない。

 まずは西の地で発生する未知の伝染病に対抗しなければ。
 大丈夫。ゲームでの未来を知っている私はその伝染病が何なのかを知っている。
 正体が分かっていれば対抗措置もいくらでも用意できる。

「運命は変えてみせる。の名にかけて」

 ――救世主メサイアの祝福を受けし、運命の女神ウルド

 アリーシャの名前に前世の世界での神話の運命を司る女神ウルズの名が入っていたのは偶然か否か。
 だから私はその名を引き継いだ。
 運命の女神ウルドが本当にいるのなら、それすら味方につけてみせる。
 災厄の未来は、絶対に起こさせない。

 決意を胸に、私は歩き出す。

 ――新たな名を得たリーシア・ウルディットの旅は、ここから始まるのだ。



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