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※8 ユルド・シルクスの想い
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「……変わってなかったな」
ユルドは今しがた出てきたエオリア侯爵邸を振り返り、ポツリと呟いた。
二週間前にちらりと覗いた彼女は、夕陽の差し込む窓際で美しい金の瞳から涙を零して泣いていた。
今回の件で誰よりも傷ついたはずの彼女は静かに嗚咽を漏らし、誰にも気づかれないよう声をあげずにひっそりと泣いていた。
誰よりも大事な彼女を泣かせた男が憎くて堪らない。誰よりも愛しい彼女をこうなるまで追い詰めた男へ怒りの感情が湧き上がる。
そして何より、今すぐにでも彼女の元へと駆けつけてその身を抱きしめたいのに、そうできない自分の歯がゆさに苛立った。
彼女とはたった四年間を共に過ごしただけの相手。それでも自分にとってそれはかけがえのない時間であり、彼女といた日々その全てが幸せなものだった。
忘れもしない十歳のあの日。ガチガチに緊張しながらエオリア侯爵邸にお世話になるため挨拶したその日、ユルドはまだ七歳だったリディスに出会った。
一目見た時から好きだった。
父であるエオリア侯爵の足元に顔だけ出して隠れながらも、興味津々にその丸々とした金の瞳をこちらに向けたあの姿を見た時から、ユルドは彼女に心を奪われていた。
「あなた、ユルドっていうのね。ユルって呼んでいい?」
そう無邪気に笑って訊いたリディスがどれだけ自分にとって大切な存在へ変わったのか。
それを今更再確認させられて、ユルドはなんとも言えない気持ちになった。
だからこそ、彼女が離縁してくれたことはユルドにとってはまたとない好機でもあった。
「あんな男にリディスは相応しくない。リディスの隣に立つのは、俺だ」
誰にも渡さない。そのための努力は惜しまなかった。
これからも彼女の隣に居られるならなんだってするだろう。
ユルドはファルネラに帰国した後彼女に釣り合う男になろうと決めていた。次に再会した時、彼女に気持ちを打ち明けるためだ。
リディス・エオリアはリオース王国でも特別な存在。
治癒と再生の力を持つ『聖女』である彼女を娶るには彼女に相応しい地位についておく必要があったからだ。
そのためにユルドは騎士団に入って剣の腕を磨いてきたのだ。だからリディスが結婚したと聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
五年前。ファルネラ国王陛下の直属近衛騎士団に抜擢された年だった。
国王陛下に名指しで近衛騎士団への入隊を許され、近衛騎士となった。ようやくリディスと再会を果たしてもいいのではないかと思い始めた時だった。
リオース王国の『聖女』が結婚したという噂はファルネラにまで届いた。
リディスの聖女としての人気はファルネラにも及んでいて誰もが彼女の結婚を祝福する中、ユルドだけが現実を受け入れられないでいた。
「リディスが、結婚……」
相手は伯爵家子息で、将来を有望視された騎士らしい。なんと皮肉な運命なのだろう。相手は奇しくも自分と同じ『騎士』だとは。
今まで自分が積み重ねてきたものの全てが崩れ落ちそうだった。リディスが他の男の手を取ったと考えただけで、気が狂いそうだった。彼女の笑顔も、その心も全て見知らぬ男のものになると考えただけで嫉妬した。
男に対する憎悪の気持ちすら湧いた。
しかし。
ユルドはそれら全てに耐えた。押し殺した。
なぜなら誰よりもリディスの幸せを願っていたからだ。
自分の気持ちを押し潰し、蓋をしてリディスの幸せを願う気持ちを選んだユルドはことさら稽古に励み、わずかその二年後に王国騎士団長の地位を得るまでに至った。
それから三年。ユルドが騎士団長としての仕事にも馴染み、幾分かの余裕が出てきた時、衝撃的な知らせがファルネラに舞い込んだ。
リオースの聖女が夫と離縁したという情報。
最初は信じられなかったがどうやら真実らしい。さすがに聖女の沽券に関わることなので詳しい詳細を知ることはできなかったが、ユルドにとってはそれだけで十分だった。
「リディス……!」
彼女が離縁を選んだのは、そうせざるを得ない何らかの理由があったからだろう。そこまでの決断を下すのにどういう経緯があったのかはまだ分からない。
けれどこれだけは言えた。今の彼女は誰のものでもなくなったということ。
「今度こそ……」
――今度こそ、俺が。彼女の隣に。
決して彼女を悲しませない。その顔を曇らせたりはしない。リディスが傷ついて涙を流すなら、自分はその涙ごと彼女を守る存在になろう。
そう強く決意し、ユルドは早速行動した。
ファルネラ国王陛下に呼びかけ、聖女を招く許可を得た。次にリオースに赴いて国王陛下に謁見し、聖女を連れ出す許可を得ると同時に彼女が休暇を取るという情報を得た。
そうして手筈を全て整えて、満を持してユルドはリディスの前に現れたのだった。
「絶対に失敗できない」
この旅行の終わりにリディスに告白すると、ユルドはそう決めていた。
長年秘め続けた想い。一度は諦めたが、今度こそ。
リディスへの秘めた想いを胸に抱きつつ、ユルドはまずはこの旅行を完璧にするために準備を始めようと、エオリア侯爵邸を後にした。
ユルドは今しがた出てきたエオリア侯爵邸を振り返り、ポツリと呟いた。
二週間前にちらりと覗いた彼女は、夕陽の差し込む窓際で美しい金の瞳から涙を零して泣いていた。
今回の件で誰よりも傷ついたはずの彼女は静かに嗚咽を漏らし、誰にも気づかれないよう声をあげずにひっそりと泣いていた。
誰よりも大事な彼女を泣かせた男が憎くて堪らない。誰よりも愛しい彼女をこうなるまで追い詰めた男へ怒りの感情が湧き上がる。
そして何より、今すぐにでも彼女の元へと駆けつけてその身を抱きしめたいのに、そうできない自分の歯がゆさに苛立った。
彼女とはたった四年間を共に過ごしただけの相手。それでも自分にとってそれはかけがえのない時間であり、彼女といた日々その全てが幸せなものだった。
忘れもしない十歳のあの日。ガチガチに緊張しながらエオリア侯爵邸にお世話になるため挨拶したその日、ユルドはまだ七歳だったリディスに出会った。
一目見た時から好きだった。
父であるエオリア侯爵の足元に顔だけ出して隠れながらも、興味津々にその丸々とした金の瞳をこちらに向けたあの姿を見た時から、ユルドは彼女に心を奪われていた。
「あなた、ユルドっていうのね。ユルって呼んでいい?」
そう無邪気に笑って訊いたリディスがどれだけ自分にとって大切な存在へ変わったのか。
それを今更再確認させられて、ユルドはなんとも言えない気持ちになった。
だからこそ、彼女が離縁してくれたことはユルドにとってはまたとない好機でもあった。
「あんな男にリディスは相応しくない。リディスの隣に立つのは、俺だ」
誰にも渡さない。そのための努力は惜しまなかった。
これからも彼女の隣に居られるならなんだってするだろう。
ユルドはファルネラに帰国した後彼女に釣り合う男になろうと決めていた。次に再会した時、彼女に気持ちを打ち明けるためだ。
リディス・エオリアはリオース王国でも特別な存在。
治癒と再生の力を持つ『聖女』である彼女を娶るには彼女に相応しい地位についておく必要があったからだ。
そのためにユルドは騎士団に入って剣の腕を磨いてきたのだ。だからリディスが結婚したと聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
五年前。ファルネラ国王陛下の直属近衛騎士団に抜擢された年だった。
国王陛下に名指しで近衛騎士団への入隊を許され、近衛騎士となった。ようやくリディスと再会を果たしてもいいのではないかと思い始めた時だった。
リオース王国の『聖女』が結婚したという噂はファルネラにまで届いた。
リディスの聖女としての人気はファルネラにも及んでいて誰もが彼女の結婚を祝福する中、ユルドだけが現実を受け入れられないでいた。
「リディスが、結婚……」
相手は伯爵家子息で、将来を有望視された騎士らしい。なんと皮肉な運命なのだろう。相手は奇しくも自分と同じ『騎士』だとは。
今まで自分が積み重ねてきたものの全てが崩れ落ちそうだった。リディスが他の男の手を取ったと考えただけで、気が狂いそうだった。彼女の笑顔も、その心も全て見知らぬ男のものになると考えただけで嫉妬した。
男に対する憎悪の気持ちすら湧いた。
しかし。
ユルドはそれら全てに耐えた。押し殺した。
なぜなら誰よりもリディスの幸せを願っていたからだ。
自分の気持ちを押し潰し、蓋をしてリディスの幸せを願う気持ちを選んだユルドはことさら稽古に励み、わずかその二年後に王国騎士団長の地位を得るまでに至った。
それから三年。ユルドが騎士団長としての仕事にも馴染み、幾分かの余裕が出てきた時、衝撃的な知らせがファルネラに舞い込んだ。
リオースの聖女が夫と離縁したという情報。
最初は信じられなかったがどうやら真実らしい。さすがに聖女の沽券に関わることなので詳しい詳細を知ることはできなかったが、ユルドにとってはそれだけで十分だった。
「リディス……!」
彼女が離縁を選んだのは、そうせざるを得ない何らかの理由があったからだろう。そこまでの決断を下すのにどういう経緯があったのかはまだ分からない。
けれどこれだけは言えた。今の彼女は誰のものでもなくなったということ。
「今度こそ……」
――今度こそ、俺が。彼女の隣に。
決して彼女を悲しませない。その顔を曇らせたりはしない。リディスが傷ついて涙を流すなら、自分はその涙ごと彼女を守る存在になろう。
そう強く決意し、ユルドは早速行動した。
ファルネラ国王陛下に呼びかけ、聖女を招く許可を得た。次にリオースに赴いて国王陛下に謁見し、聖女を連れ出す許可を得ると同時に彼女が休暇を取るという情報を得た。
そうして手筈を全て整えて、満を持してユルドはリディスの前に現れたのだった。
「絶対に失敗できない」
この旅行の終わりにリディスに告白すると、ユルドはそう決めていた。
長年秘め続けた想い。一度は諦めたが、今度こそ。
リディスへの秘めた想いを胸に抱きつつ、ユルドはまずはこの旅行を完璧にするために準備を始めようと、エオリア侯爵邸を後にした。
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