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プロローグ

アイリスの正体は、

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 ――言った。ついに言ってしまった。

 クラウスは目を瞑りながら、悲痛な面持ちを浮かべた。心は絶望に包まれ、愛するアイリスを失ってどう生きていけばいいのだろうと思う程度には追い詰められていた。

 ――ついにバラしてしまった。己が十七年間秘め続けた本当の性別を。

 レーゼヴィブルでは男子しか王位継承権を持たず、女子が王となることは認められていなかった。しかし今代の国王夫妻はなかなか子宝に恵まれず、苦難の末に唯一授かったのがクラウスだった。両親はクラウスが生まれた時大いにその誕生を喜んだという。

 しかし生まれたクラウスは継承権を持つ男子ではなく、女子。悩みに悩んだ国王夫妻はクラウスの性別を秘匿し、王子として育てることにしたのである。

 なかなか突飛な決断だったとは思えなくもないが、当時の夫妻の心境を考えると苦渋の決断だったと思われる。結婚して子宝に恵まれないどころかいつまで経っても子を授からなかった王妃を、周囲は責めた。それどころか、側妃を据えようとする動きすらあったくらいだ。

 女は子どもを産むのが一番の仕事とされるこの風潮の中で、なかなか懐妊しなかった王妃に対して周囲の風当たりはかなりきつかったことだろう。王妃はその仕打ちに耐えながらようやっと一人目を産んだかと思えばその子は女の子。当時の王妃の心労はいかばかりか。

 そんな中生まれたクラウスは「王子」として育てられ――王族と近しい間柄であったエンツィー公爵家との婚約を決められた。
 国内での繋がりを強めるという政略の意味もあったこの縁談。

 しかしクラウスは初めてアイリス嬢を見た時、一目で好きになってしまったのだ。

 柔らかなウェーブを描く赤銅色の髪、どことなく猫っ毛のある少し吊り上がった丸い翡翠の瞳。フリルをたっぷりとあしらった薄桃のドレスは可憐なその姿によく似合っていた。

「初めまして、クラウス様。アイリス・エンツィーと申しますわ。どうぞ、よろしくお願い致します」

 舌足らずな口調で流麗な宮廷王国語を操り、まだ八歳という歳でありながら完璧な仕草でカーテシーを披露するアイリスは、クラウスには持ち得ない完璧な令嬢としての才覚があった。
 クラウスは自分には一生縁のないであろう令嬢らしさを兼ね備えたアイリスに憧れ、また惹かれた。

 何度も会ううちにお互いに恋愛感情が芽生え、政略結婚という建前を超えた深い愛情を育んだ二人は、やがて将来を誓い合う仲となった。クラウスは自分の性別を偽ったまま、アイリスというに本気で恋をしてしまったのである。

 王子が実は女であるということを隠したこの婚約。それは危うい関係性だと知りつつ、いつまでもこの状況が続くことをクラウスは切実に願っていた。
 だが、それはいつまでも続くはずもなく。

 の誕生。
 これがクラウスを取り巻く環境を大いに変えることとなる。

 長年の悲願であった王子の誕生に国王夫妻は当然喜び、クラウスもまた新たな家族となる弟ができたことを素直に喜んだ。

 しかし。

 正当な嫡子――王子が誕生したということは、クラウスが男子を演じる必要はなくなるということ。弟が王位を継ぐことになれば、クラウスの役目は終わる。
 それはつまり、アイリスとの婚約も解消されるということを意味していた。

 クラウスは心の底から彼女アイリスを愛していた。真剣に結婚を望むほどに。彼女が側にいない未来など想像したくもない。
 しかし、この婚約がなくなるというのなら――。

 アイリスは今年で十七歳になる。一般に貴族の令嬢は早ければこの歳で結婚し、子どもを産むこともある。クラウスは当然女性であるからアイリスに我が子を抱かせてやることもできない。  
 子どもが産めない女性はこの世界で卑下される。クラウスは自分の母が長年味わった苦痛と無念を愛する女性に味わせたくはなかった。

 アイリスの幸せを考えるならば、この婚約は無かったことにすべきである。十七を過ぎた時点で婚約者がいなければアイリスは「行き遅れ」の烙印を押され、結婚することすらできなくなるかもしれない。

 しかし、八歳の頃から令嬢として完璧な振る舞いをしていたアイリスのことだ。十七歳になって大人の色香を兼ね備えた彼女は、今では社交界の華として貴族の子息たちの憧れ的存在でもあった。
 今婚約を解消すれば、彼女を妻にと望む相手は幾らでもいるだろう。

 アイリスに群がる男共を想像するだけで身を焦がすような嫉妬が湧き上がるが、そこは歯を食いしばってぐっと堪える。
 彼女のためを思うならば、早々にこの婚約は破棄するのが最善である。
 散々悩んだ挙句に、クラウスはそう結論づけたのであった。


 ♢♢♢


「……そうですか」
  
 一秒が何時間にも感じられるような長い沈黙の後、アイリスはいつものように静かに口を開いた。
  
 いよいよだ。
 今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを懸命に抑えて、彼女の続く言葉を只待つ。気づけば緊張して口の中がカラカラになってしまっていた。

 彼女は恐らく失望しているだろう。正体を隠し続けた自分を許してはくれないはずだ。どんな攻めや言葉を受けても、自分は受け止めなければならない。
 自らの性を隠して、彼女を騙し続けたのは事実なのだから。

 クラウスは震える拳を握りしめて、アイリスに目線を合わせた。その翡翠の瞳がクラウスの姿を捕らえたところで、彼女はついに答えを出した。

「――それは良かったですわ。好都合です」
「……へ?」

 ――好都合?  ……何が?

 全く意味が分からず、クラウスはアイリスの返答に間抜けな声をあげた。

 困惑に疑問符で頭を埋め尽くされるクラウスに、アイリスはにこりと笑いかける。

「丁度いい機会ですから、私も話しておきましょう。クラウス殿下――実は私は、」

 向かい合った席から立ち上がり、クラウスの側まで歩いてきたアイリスは、クラウスの左手を自らの胸に勢いよく押し当てた。

「なっ……!」

 羞恥に顔を赤くするクラウス。年頃の令嬢の胸を触るなど、紳士として以前に、人としてあってはならない行為だ。

 慌ててアイリスの胸から手を離そうとして――しかし違和感を感じてその動きを止めた。
 アイリスの胸には女なら誰しもが持つ特有の膨らみが、

 その事実に硬直するクラウスを横目に、蠱惑的な笑みを浮かべたアイリスは、衝撃の言葉を放つのであった。

「――私は、男なのですよ」
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