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01 リステラ
貴方のソレは愛と呼ばない 3
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……ひっく。ぐすん。
静かな湖畔に、啜り泣く声が響く。
アスランを突き飛ばした後一目散に走り去った私は行く宛てもないまま走り続け、昨日まで自分が眠っていた神殿の中庭にある湖の祭壇の前にいた。
神気が溶けた神聖な湖には不思議な力があり、そのお陰で私の肉体は十年間老いることがなかったそうだ。
この湖の中で十年間私はずっと眠り続けていた。神気を受け止める適性があったために、天蓋と一体化し『柱神』として国を守り続けてきた。
その事に異議はなかった。神殿の巫女として、加護の女神フローラに近い存在となり天蓋を支える柱神となることはむしろ光栄ですらあった。誇るべきことだった。
──真実を知るまでは。
ただの神殿の巫女として過ごしていた時代から私はアスランが大好きだった。
神官長の娘であり、王太子であるアスランと歳も近かったことから遊び相手として幼少時を一緒に過ごした。幼馴染ともいえるくらいには長い年月を共に過ごしてきた。
柔らかな金色の髪に、空のような色の瞳。
笑えばお日様がおりてきたように周りがぱあっと明るくなり、頬にできるえくぼがとても大好きだった。そうやって私に笑いかけてくるアスランが大好きだった。
──ずっと、好きだった。
だから柱神に選ばれ、アスランの婚約者となった時は本当に幸せだったのだ。まだそう長くはない人生の中で一番幸福な時と言えた。柱神になるだけでも光栄なことなのに、大好きなアスランと結婚できるなんて。
柱神の役目は十年。短いようで長い時間。
それでもアスランは待ってくれると言った。私が役目を終えるまで待ってくれると。私が役目を終えたら必ず迎えに来ると。そう言ってくれたのだ。
嬉しかった。幸せだった。
将来の幸せは約束されていると、そう思っていた。
しかし現実は違った。
国王に内密に婚約を告げられた夜、真剣な表情をした王妃様に呼び出され、柱神の真実とフローランズ王家の隠されたしきたりを聞かされた時。
絶望だった。
柱神の辿る運命。そして確定された王族との婚約。
アスランの言葉は、私を愛しているからではなく王族としての役目からの言葉だったのだと知った時。
ショックだった。彼は心から私を愛している訳では無いのだと突きつけられた。
その日は朝まで眠れず夜通し泣き続けた。悲しくて、絶望しかなくて。涙が枯れるまで泣いた。
それでも。
一度抱いてしまった想いは決して消えることは無かった。彼が私を好きではなかったとしても、私はアスランのことを好きだった。愛していた。
だから決意したのだ。
私は自分の運命を受け入れる。神殿の巫女として柱神の役目を果たし、十年間天蓋を支え続けることを。
天蓋は魔素を拒む唯一の結界。これが無くなればフローランズ王国は直ぐに魔素に侵され、絶えてしまうだろう。
それだけは何としても阻止したかった。
……いや、国の存亡など私にはどうでもよかった。アスランが生き続けてくれるならそれで良かった。私はただ、心から愛したアスランに生き続けて欲しかったのだ。
だから柱神になる。十年間天蓋と一体化し、その間にアスランを愛していたことを「忘れる」。
十年もあるのだ、少しずつ気持ちに整理をつけていけばきっと私は忘れられる。アスランに抱いていた想いなど綺麗さっぱり。
そして目覚めた後アスランとの婚約を破棄し、残り僅かな余生を静かに生きる。
それが私の選んだ選択だった。
「そのはずなのに……」
不甲斐ない。十年かけて捨てたはずの想いは、その決意は今にも崩れそうになっている。
アスランを目にしただけで勝手に胸が高鳴り、視線は彼を追いかけてしまう。
「キスされたの、初めてだった……」
先程のキスの感触を思い出し、それを辿るように私は唇を指でなぞる。
彼に口付けされた時。抱いてしまった気持ち。
舌をねじ込まれた恐怖と共に抱いた、全く正反対の思い。
──あの時私は嬉しかった。
彼に求められて嬉しかったのだ。
それが怖くなって、咄嗟に拒絶した。
無理やり唇を奪われて最低だなんて、自分の気持ちを欺いて。本当は嬉しかった癖に。
自分が悪いのに、アスランのせいにして。本当になんて醜い。自分が一番愚かではないか。
アスランへの気持ちも捨てられず、未だに婚約破棄したことを悔いている癖に。
決して叶うことがない想いだと分かっている癖にいつまでも引きずって。
自分で自分に嫌気がさす。
何とかして早く彼から離れなければ。
こんな想いを抱いて彼に会うことなどできる訳が無い。私はもう、アスランと会うべきではないのだ。
幸い私は馬に乗ることが出来る。昔はよくアスランと馬に乗って遠出したものだ。厩舎へ行って、馬を貸してもらおう。国王へは手紙を残そう。誰にも知られずにこっそり王都を出よう。そして誰もいない場所でひっそりと余生を過ごそう。
そうしなければ私はきっと──。
首を振ってその先の言葉を振り捨て、私は顔を上げる。
この中庭は柱神の巫女を据えるための神聖な場。滅多に人の出入りはない場所だ。神殿は昔から生活していたこともあり地理にも詳しい。誰にもバレないように王城の厩舎へ行くことも可能な筈だ。
そう決意して私は立ち上がる。
中庭の茂みに混じりながら王城へ続く渡り廊下の傍を通り過ぎようとした時。
「ねぇ、婚約破棄の件聞いた?」
「うん、聞いた聞いた! ビックリしたよね!」
唐突に話し声が聞こえて、私は思わず緑が深い茂みの中に隠れる。茂みに隠れたままそろりと目線を上げて声のした方を覗くと、二人の女官が渡り廊下の隅で話をしていた。
この中庭に一番近い渡り廊下は人気が少なく、こっそり休憩がてら世間話をする使用人も多い。あまりよろしい行為とは言えないが、女官にも息抜きは大事だろう。
黙って通り過ぎようとしたけれど、話の内容が気になって私は少し聞き耳を立てることにした。
「リステラ様から破棄したのですってね?」
「あのお二人折角の美男美女でお似合いだったのに残念。相思相愛って聞いてたけどなんでリステラ様は破棄なさったのかしら?」
「それなんだけどね……」
ここで女官が周りをキョロキョロと見渡して声を一段と低くする。
しかし静かな中庭に女官の噂話はよく響き、茂みに隠れたこちらの耳に届いた。
「実は相思相愛ってのは嘘で、アスラン殿下にはお慕いしてる方が別にいらっしゃったそうなのよ! リステラ様はそれを知って婚約を辞退されたんだって! 今殿下には新しい縁談が進んでるって王妃様付きの侍女が話してたわ!」
「あら、それは本当なの?」
「王妃様付きの侍女が話してたのよ、間違いないわ!」
「そうなの……びっくりだわ、それで──……」
突如、二人の会話が聞こえなくなった。
否、耳に入らなくなった。
アスランに新しい縁談。それはつまり、私に代わる新しい婚約者が決まったと言うこと。
キィイン、と先程から耳鳴りが止まらない。
今聞いた話が信じられず、その場から動くこともできずに。
私はただ目を見開いて、茂みの中に佇んでいた。
静かな湖畔に、啜り泣く声が響く。
アスランを突き飛ばした後一目散に走り去った私は行く宛てもないまま走り続け、昨日まで自分が眠っていた神殿の中庭にある湖の祭壇の前にいた。
神気が溶けた神聖な湖には不思議な力があり、そのお陰で私の肉体は十年間老いることがなかったそうだ。
この湖の中で十年間私はずっと眠り続けていた。神気を受け止める適性があったために、天蓋と一体化し『柱神』として国を守り続けてきた。
その事に異議はなかった。神殿の巫女として、加護の女神フローラに近い存在となり天蓋を支える柱神となることはむしろ光栄ですらあった。誇るべきことだった。
──真実を知るまでは。
ただの神殿の巫女として過ごしていた時代から私はアスランが大好きだった。
神官長の娘であり、王太子であるアスランと歳も近かったことから遊び相手として幼少時を一緒に過ごした。幼馴染ともいえるくらいには長い年月を共に過ごしてきた。
柔らかな金色の髪に、空のような色の瞳。
笑えばお日様がおりてきたように周りがぱあっと明るくなり、頬にできるえくぼがとても大好きだった。そうやって私に笑いかけてくるアスランが大好きだった。
──ずっと、好きだった。
だから柱神に選ばれ、アスランの婚約者となった時は本当に幸せだったのだ。まだそう長くはない人生の中で一番幸福な時と言えた。柱神になるだけでも光栄なことなのに、大好きなアスランと結婚できるなんて。
柱神の役目は十年。短いようで長い時間。
それでもアスランは待ってくれると言った。私が役目を終えるまで待ってくれると。私が役目を終えたら必ず迎えに来ると。そう言ってくれたのだ。
嬉しかった。幸せだった。
将来の幸せは約束されていると、そう思っていた。
しかし現実は違った。
国王に内密に婚約を告げられた夜、真剣な表情をした王妃様に呼び出され、柱神の真実とフローランズ王家の隠されたしきたりを聞かされた時。
絶望だった。
柱神の辿る運命。そして確定された王族との婚約。
アスランの言葉は、私を愛しているからではなく王族としての役目からの言葉だったのだと知った時。
ショックだった。彼は心から私を愛している訳では無いのだと突きつけられた。
その日は朝まで眠れず夜通し泣き続けた。悲しくて、絶望しかなくて。涙が枯れるまで泣いた。
それでも。
一度抱いてしまった想いは決して消えることは無かった。彼が私を好きではなかったとしても、私はアスランのことを好きだった。愛していた。
だから決意したのだ。
私は自分の運命を受け入れる。神殿の巫女として柱神の役目を果たし、十年間天蓋を支え続けることを。
天蓋は魔素を拒む唯一の結界。これが無くなればフローランズ王国は直ぐに魔素に侵され、絶えてしまうだろう。
それだけは何としても阻止したかった。
……いや、国の存亡など私にはどうでもよかった。アスランが生き続けてくれるならそれで良かった。私はただ、心から愛したアスランに生き続けて欲しかったのだ。
だから柱神になる。十年間天蓋と一体化し、その間にアスランを愛していたことを「忘れる」。
十年もあるのだ、少しずつ気持ちに整理をつけていけばきっと私は忘れられる。アスランに抱いていた想いなど綺麗さっぱり。
そして目覚めた後アスランとの婚約を破棄し、残り僅かな余生を静かに生きる。
それが私の選んだ選択だった。
「そのはずなのに……」
不甲斐ない。十年かけて捨てたはずの想いは、その決意は今にも崩れそうになっている。
アスランを目にしただけで勝手に胸が高鳴り、視線は彼を追いかけてしまう。
「キスされたの、初めてだった……」
先程のキスの感触を思い出し、それを辿るように私は唇を指でなぞる。
彼に口付けされた時。抱いてしまった気持ち。
舌をねじ込まれた恐怖と共に抱いた、全く正反対の思い。
──あの時私は嬉しかった。
彼に求められて嬉しかったのだ。
それが怖くなって、咄嗟に拒絶した。
無理やり唇を奪われて最低だなんて、自分の気持ちを欺いて。本当は嬉しかった癖に。
自分が悪いのに、アスランのせいにして。本当になんて醜い。自分が一番愚かではないか。
アスランへの気持ちも捨てられず、未だに婚約破棄したことを悔いている癖に。
決して叶うことがない想いだと分かっている癖にいつまでも引きずって。
自分で自分に嫌気がさす。
何とかして早く彼から離れなければ。
こんな想いを抱いて彼に会うことなどできる訳が無い。私はもう、アスランと会うべきではないのだ。
幸い私は馬に乗ることが出来る。昔はよくアスランと馬に乗って遠出したものだ。厩舎へ行って、馬を貸してもらおう。国王へは手紙を残そう。誰にも知られずにこっそり王都を出よう。そして誰もいない場所でひっそりと余生を過ごそう。
そうしなければ私はきっと──。
首を振ってその先の言葉を振り捨て、私は顔を上げる。
この中庭は柱神の巫女を据えるための神聖な場。滅多に人の出入りはない場所だ。神殿は昔から生活していたこともあり地理にも詳しい。誰にもバレないように王城の厩舎へ行くことも可能な筈だ。
そう決意して私は立ち上がる。
中庭の茂みに混じりながら王城へ続く渡り廊下の傍を通り過ぎようとした時。
「ねぇ、婚約破棄の件聞いた?」
「うん、聞いた聞いた! ビックリしたよね!」
唐突に話し声が聞こえて、私は思わず緑が深い茂みの中に隠れる。茂みに隠れたままそろりと目線を上げて声のした方を覗くと、二人の女官が渡り廊下の隅で話をしていた。
この中庭に一番近い渡り廊下は人気が少なく、こっそり休憩がてら世間話をする使用人も多い。あまりよろしい行為とは言えないが、女官にも息抜きは大事だろう。
黙って通り過ぎようとしたけれど、話の内容が気になって私は少し聞き耳を立てることにした。
「リステラ様から破棄したのですってね?」
「あのお二人折角の美男美女でお似合いだったのに残念。相思相愛って聞いてたけどなんでリステラ様は破棄なさったのかしら?」
「それなんだけどね……」
ここで女官が周りをキョロキョロと見渡して声を一段と低くする。
しかし静かな中庭に女官の噂話はよく響き、茂みに隠れたこちらの耳に届いた。
「実は相思相愛ってのは嘘で、アスラン殿下にはお慕いしてる方が別にいらっしゃったそうなのよ! リステラ様はそれを知って婚約を辞退されたんだって! 今殿下には新しい縁談が進んでるって王妃様付きの侍女が話してたわ!」
「あら、それは本当なの?」
「王妃様付きの侍女が話してたのよ、間違いないわ!」
「そうなの……びっくりだわ、それで──……」
突如、二人の会話が聞こえなくなった。
否、耳に入らなくなった。
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キィイン、と先程から耳鳴りが止まらない。
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