5 / 13
5 妻は家出し、夫は固まる
しおりを挟む
長年溜め込んだ文句を言えてスッキリした。
いつになく清々した心地で夫の部屋を後にして、隣室へと繋がる扉に鍵をした上で、精霊魔術で封印を施す。
これでオルドフはこの扉からは私の部屋に入って来られない。今夫の顔を見たらさらに毒を吐きそうな自信があった。
そして自分の部屋に戻った私は旅行用の鞄を取り出し、必要最低限の荷物を詰めた。
衣装棚に入っているドレスや装飾品は全て公爵家のお金であつらえたものだが、それらには目もくれず、ここに嫁入りする際に持ってきた自分の服だけを詰める。
結婚するまでは元々精霊魔術士として各地を出回っていた。旅支度はお手の物である。お金やそのほか必要な必需品を最低限だけ詰め込めば、小さな旅行鞄はあっという間にいっぱいになる。私はその鞄を持って部屋を出た。
「おや、どうされました? ティアラ様」
扉を開けた途端、銀髪の男性に声をかけられた。
艶やかな髪を上品にまとめた初老の男性は、公爵家の家令であるイクリース・フルート様。代々公爵家に仕える家系なのだそうで、優しさ溢れる容貌に柔らかな物腰でとても人が良い方である。
夫は私のことを放置していたが、この公爵家の屋敷の人達は皆私に優しく接してくれた。女主人としての仕事だけはさせてくれなかったが、私がこの屋敷で生活する上でいつも気を遣ってくれていた。
そのおかげで私は四年間、この屋敷で生活していけたのだ。一方でその優しさが、この結婚に対するいたたまれなさを加速させる原因ともなったのだが。
私はいつものように笑顔を浮かべて挨拶する。
「イクリースさん。私は実家に帰ることにしたので、後はよろしくお願いしますね」
イクリースは一瞬目を見開いた後、何事も無かったかのように柔らかな笑みで一礼する。
「承知致しました。ご実家に帰省なさるのですね。ちなみに、いつ頃戻られるご予定でしょうか?」
「決まっておりませんわ。強いて言うなら旦那様次第ですわね」
「……左様でございますか。それでは馬車をご用意致しましょう。玄関でしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
イクリースはその他は何も聞かずにまた一礼すると、去っていった。
この銀髪の家令は聡い。今の会話だけで私と夫の間に何があったのかを直ぐに察したのだろう。けれど何も聞くことなく、私の要望を聞いてくれた。つまりイクリースはこの件に関して、完全に私に味方してくれている。
そのことが少しだけ嬉しかった。もしここに帰ってくることがあれば、イクリースにはお土産を買ってこよう。
公爵家の広い玄関でしばらく待つと、再びイクリースが姿を現し、馬車まで案内してくれた。
公爵家の家紋が入っていない普通の馬車。お忍びで帰るため目立つことは控えたかった私の心境を見事に慮っている。
この思慮深さが少しでも夫に宿ることを望みつつ、馬車に乗り込み、私は公爵家を後にした。
*
――さて、ところ変わってオルドフの部屋。
妻が馬車で公爵邸を去った頃、オルドフは未だベッドの上で固まっていた。瞬きすらせず固まっているため、目は血走ってきているが、オルドフは微動だにしない。綺麗な氷像と化していた。
と、その時扉がコンコンとノックされる。
「――旦那様、失礼致します」
いつもは直ぐに返答があるはずなのに、なんの返事もないことを訝しんだ家令のイクリースは主の返事を待たずして部屋に入った。
入室して一番に目に入ったのはベッドで氷像になっているオルドフの姿。
察しのいい家令は、先程のティアラの言動がオルドフをこういう状態にさせたのだな、と内心で納得した。
いずれにせよこのままでは埒が明かないため、イクリースは固まったままのオルドフに声をかける。
「奥様はご実家にお帰りになられましたよ」
途端にオルドフが氷解した。
「か、帰ったのか!? 本当に!?」
目に見えて慌て出すオルドフを冷めた目で見下ろしながらイクリースは頷く。
「ええ、旅行鞄をお持ちでしたし、衣装棚からは奥様がご自分でお持ちになった荷物だけ持ち去られていました。当分お戻りにはなられないかもしれませんね」
「何故止めなかったのだイクリース! 止めるべきだっただろう!」
ベッドを降りて詰め寄ってくるオルドフに、イクリースは内心で嘆息した。
――やれやれ、この御当主にも困ったものだ。
女心が分からない朴念仁に捕まってしまった可愛らしい奥様が不憫でならない。遠征で離れていた期間があったにしろまともなフォローもできないのでは家出されても仕方ないではないか。
イクリースは今頃馬車に乗っているであろうティアラに心の底から同情し、まるで状況を理解していないこの朴念仁に事態の深刻さを教え込むべく、いけしゃあしゃあと宣った。
「何故私がそのようなことをしなければならないのでしょうか」
「なっ……!!」
まさか歯向かわれるとは思っていなかったらしいオルドフが言葉を失ったのを見て、イクリースは敢えてにこやかに微笑んだ。
そして、本来は仕えるべき主に向かってこう言ってやった。
「僭越ながら申し上げます。旦那様は馬鹿でいらっしゃいますか?」
ちょっと心がスっとしたのは、きっと気の所為であろう。
いつになく清々した心地で夫の部屋を後にして、隣室へと繋がる扉に鍵をした上で、精霊魔術で封印を施す。
これでオルドフはこの扉からは私の部屋に入って来られない。今夫の顔を見たらさらに毒を吐きそうな自信があった。
そして自分の部屋に戻った私は旅行用の鞄を取り出し、必要最低限の荷物を詰めた。
衣装棚に入っているドレスや装飾品は全て公爵家のお金であつらえたものだが、それらには目もくれず、ここに嫁入りする際に持ってきた自分の服だけを詰める。
結婚するまでは元々精霊魔術士として各地を出回っていた。旅支度はお手の物である。お金やそのほか必要な必需品を最低限だけ詰め込めば、小さな旅行鞄はあっという間にいっぱいになる。私はその鞄を持って部屋を出た。
「おや、どうされました? ティアラ様」
扉を開けた途端、銀髪の男性に声をかけられた。
艶やかな髪を上品にまとめた初老の男性は、公爵家の家令であるイクリース・フルート様。代々公爵家に仕える家系なのだそうで、優しさ溢れる容貌に柔らかな物腰でとても人が良い方である。
夫は私のことを放置していたが、この公爵家の屋敷の人達は皆私に優しく接してくれた。女主人としての仕事だけはさせてくれなかったが、私がこの屋敷で生活する上でいつも気を遣ってくれていた。
そのおかげで私は四年間、この屋敷で生活していけたのだ。一方でその優しさが、この結婚に対するいたたまれなさを加速させる原因ともなったのだが。
私はいつものように笑顔を浮かべて挨拶する。
「イクリースさん。私は実家に帰ることにしたので、後はよろしくお願いしますね」
イクリースは一瞬目を見開いた後、何事も無かったかのように柔らかな笑みで一礼する。
「承知致しました。ご実家に帰省なさるのですね。ちなみに、いつ頃戻られるご予定でしょうか?」
「決まっておりませんわ。強いて言うなら旦那様次第ですわね」
「……左様でございますか。それでは馬車をご用意致しましょう。玄関でしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
イクリースはその他は何も聞かずにまた一礼すると、去っていった。
この銀髪の家令は聡い。今の会話だけで私と夫の間に何があったのかを直ぐに察したのだろう。けれど何も聞くことなく、私の要望を聞いてくれた。つまりイクリースはこの件に関して、完全に私に味方してくれている。
そのことが少しだけ嬉しかった。もしここに帰ってくることがあれば、イクリースにはお土産を買ってこよう。
公爵家の広い玄関でしばらく待つと、再びイクリースが姿を現し、馬車まで案内してくれた。
公爵家の家紋が入っていない普通の馬車。お忍びで帰るため目立つことは控えたかった私の心境を見事に慮っている。
この思慮深さが少しでも夫に宿ることを望みつつ、馬車に乗り込み、私は公爵家を後にした。
*
――さて、ところ変わってオルドフの部屋。
妻が馬車で公爵邸を去った頃、オルドフは未だベッドの上で固まっていた。瞬きすらせず固まっているため、目は血走ってきているが、オルドフは微動だにしない。綺麗な氷像と化していた。
と、その時扉がコンコンとノックされる。
「――旦那様、失礼致します」
いつもは直ぐに返答があるはずなのに、なんの返事もないことを訝しんだ家令のイクリースは主の返事を待たずして部屋に入った。
入室して一番に目に入ったのはベッドで氷像になっているオルドフの姿。
察しのいい家令は、先程のティアラの言動がオルドフをこういう状態にさせたのだな、と内心で納得した。
いずれにせよこのままでは埒が明かないため、イクリースは固まったままのオルドフに声をかける。
「奥様はご実家にお帰りになられましたよ」
途端にオルドフが氷解した。
「か、帰ったのか!? 本当に!?」
目に見えて慌て出すオルドフを冷めた目で見下ろしながらイクリースは頷く。
「ええ、旅行鞄をお持ちでしたし、衣装棚からは奥様がご自分でお持ちになった荷物だけ持ち去られていました。当分お戻りにはなられないかもしれませんね」
「何故止めなかったのだイクリース! 止めるべきだっただろう!」
ベッドを降りて詰め寄ってくるオルドフに、イクリースは内心で嘆息した。
――やれやれ、この御当主にも困ったものだ。
女心が分からない朴念仁に捕まってしまった可愛らしい奥様が不憫でならない。遠征で離れていた期間があったにしろまともなフォローもできないのでは家出されても仕方ないではないか。
イクリースは今頃馬車に乗っているであろうティアラに心の底から同情し、まるで状況を理解していないこの朴念仁に事態の深刻さを教え込むべく、いけしゃあしゃあと宣った。
「何故私がそのようなことをしなければならないのでしょうか」
「なっ……!!」
まさか歯向かわれるとは思っていなかったらしいオルドフが言葉を失ったのを見て、イクリースは敢えてにこやかに微笑んだ。
そして、本来は仕えるべき主に向かってこう言ってやった。
「僭越ながら申し上げます。旦那様は馬鹿でいらっしゃいますか?」
ちょっと心がスっとしたのは、きっと気の所為であろう。
70
お気に入りに追加
4,806
あなたにおすすめの小説
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
夫と親友が、私に隠れて抱き合っていました ~2人の幸せのため、黙って身を引こうと思います~
小倉みち
恋愛
元侯爵令嬢のティアナは、幼馴染のジェフリーの元へ嫁ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。
激しい恋愛関係の末に結婚したというわけではなかったが、それでもお互いに思いやりを持っていた。
貴族にありがちで平凡な、だけど幸せな生活。
しかし、その幸せは約1年で終わりを告げることとなる。
ティアナとジェフリーがパーティに参加したある日のこと。
ジェフリーとはぐれてしまったティアナは、彼を探しに中庭へと向かう。
――そこで見たものは。
ジェフリーと自分の親友が、暗闇の中で抱き合っていた姿だった。
「……もう、この気持ちを抑えきれないわ」
「ティアナに悪いから」
「だけど、あなただってそうでしょう? 私、ずっと忘れられなかった」
そんな会話を聞いてしまったティアナは、頭が真っ白になった。
ショックだった。
ずっと信じてきた夫と親友の不貞。
しかし怒りより先に湧いてきたのは、彼らに幸せになってほしいという気持ち。
私さえいなければ。
私さえ身を引けば、私の大好きな2人はきっと幸せになれるはず。
ティアナは2人のため、黙って実家に帰ることにしたのだ。
だがお腹の中には既に、小さな命がいて――。
バイバイ、旦那様。【本編完結済】
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。
この作品はフィクションです。
作者独自の世界観です。ご了承ください。
7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。
申し訳ありません。大筋に変更はありません。
8/1 追加話を公開させていただきます。
リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。
調子に乗って書いてしまいました。
この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。
甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。
※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。
【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
【完結】消えた姉の婚約者と結婚しました。愛し愛されたかったけどどうやら無理みたいです
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベアトリーチェは消えた姉の代わりに、姉の婚約者だった公爵家の子息ランスロットと結婚した。
夫とは愛し愛されたいと夢みていたベアトリーチェだったが、夫を見ていてやっぱり無理かもと思いはじめている。
ベアトリーチェはランスロットと愛し愛される夫婦になることを諦め、楽しい次期公爵夫人生活を過ごそうと決めた。
一方夫のランスロットは……。
作者の頭の中の異世界が舞台の緩い設定のお話です。
ご都合主義です。
以前公開していた『政略結婚して次期侯爵夫人になりました。愛し愛されたかったのにどうやら無理みたいです』の改訂版です。少し内容を変更して書き直しています。前のを読んだ方にも楽しんでいただけると嬉しいです。
わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。
ふまさ
恋愛
伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。
けれど。
「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」
他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。
石女を理由に離縁されましたが、実家に出戻って幸せになりました
お好み焼き
恋愛
ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。
その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。
【電子書籍発売に伴い作品引き上げ】私が妻でなくてもいいのでは?
キムラましゅろう
恋愛
夫には妻が二人いると言われている。
戸籍上の妻と仕事上の妻。
私は彼の姓を名乗り共に暮らす戸籍上の妻だけど、夫の側には常に仕事上の妻と呼ばれる女性副官がいた。
見合い結婚の私とは違い、副官である彼女は付き合いも長く多忙な夫と多くの時間を共有している。その胸に特別な恋情を抱いて。
一方私は新婚であるにも関わらず多忙な夫を支えながら節々で感じる女性副官のマウントと戦っていた。
だけどある時ふと思ってしまったのだ。
妻と揶揄される有能な女性が側にいるのなら、私が妻でなくてもいいのではないかと。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
誤字脱字が罠のように点在します(断言)が、決して嫌がらせではございません(泣)
モヤモヤ案件ものですが、作者は元サヤ(大きな概念で)ハピエン作家です。
アンチ元サヤの方はそっ閉じをオススメいたします。
あとは自己責任でどうぞ♡
小説家になろうさんにも時差投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる