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仕返し編

17 月下の庭で第七皇女は何を思う

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 クレアマリーお姉様の質問攻めが終わったのはもうそろそろ支度をしなければ夜会に間に合わなくなる、という頃合だった。
 しかも、さりげなくメルザが提言してくれたことでようやく開放された。

 クレアマリーお姉様は満足したようなほくほく顔で自室へと帰って行ったが、私は逆にげっそりしていた。クレアマリーお姉様はスイッチさえ入ってしまえば後はまっしぐら。止まることを知らない。ああなってしまえばもう誰にも止められないのだ。
 今頃は机に向かって紙に文字を書きなぐっていることだろう。


「ああああ!! 妄想が湧いて止まらないわ!! ネタが、ネタが降ってきたのおおおお!!」


 と叫びながら帰っていったもの。あの調子では夜会にも参加しないかもしれない。というか夜会のことすら忘れ果てているだろう。まあ、元々病弱だし祭典も欠席していたので夜会に欠席したところで誰も気にとめないから問題ないだろう。
 それにしても……。


「クレアマリーお姉様の真剣マジモードの猛攻はすごいわね……一気に体力を持っていかれた気がするわ……」
「お疲れ様です、レスティーゼ殿下」
「本当に疲れたわ……」

 メルザが気遣うように私を見るが、大丈夫だと言う余裕がない。
 ぐったりしながらソファに腰掛けてそのまま寝てしまいたい衝動に駆られるけれど、そうも言っていられないのだ。

 だいぶ時間がおしている。すぐに支度を始めなければ夜会に間に合わなくなってしまう。今日は色々ありすぎて、今すぐベッドにダイブしてゆっくりと休みたいのが本音だけれど、皇族としてパーティには出席する義務がある。一国の姫とは自由などない全くもって嫌な務めだ。

 まぁ、文句を言っても仕方がない。あともう一仕事、やりますか!
 私はすっかり冷めてしまったハーブティーを全て飲みきると、勢いをつけて立ち上がった。

「――さて、準備を始めましょうか。メルザ、よろしく頼むわね」
「はい、お任せ下さい」

 頼もしく頷く侍女に、私は笑みを向けた。



 *



 大広間は、昼間の祭典の厳かな雰囲気とはまた違う様相を醸し出していた。

 魔具の灯があちこちに灯り、煌びやかに大広間全体を照らしだす。
 そこに映えるのは婦人や令嬢達が纏う色鮮やかなドレス。
 城の料理人が腕によりをかけた料理に舌鼓を打ち、執事からワインを受け取って世間話をしながら杯を交わす貴族たち。

 大広間の真ん中はダンススペースになっており、この日のために呼び寄せた帝国でも有名な楽団が様々な音楽を奏でる。
 意中の女性をダンスに誘う男性や、憧れの人にダンスに誘われないかと浮き足立っている令嬢。

 和やかな雰囲気で賑わう人々を尻目に、私は一人壁の花を決め込んで執事から渡されたワインをちびちび飲んでいた。
 若干仏頂面になっているのはメルザによって締め上げられたコルセットが痛くて仕方ないからである。

 我慢するしかないのは分かっている。だが、笑顔であらん限りの力を込めて私の腰を締め上げたメルザはなかなかいい性格をしていると思う。思わず涙目で睨んだ私をにこやかな笑顔であしらっていたもの。
 それはさておき。

 私が壁の花を決め込んでいる理由は単にダンスをする気分になれないからだ。お決まりの挨拶や最低限ダンスを踊るべき人物とはもう踊った。
 あとは自由に過ごすとお父様に告げてきたところ、

「ああ、構わんぞ」

 と、お父様はこちらに見向きもせずに手を振って宣った。ちなみに私そっちのけで見ていたのはお母様。十人の子持ちとは思えないほどお母様は今日も抜群のスタイルで見事に着飾り、お父様の視線を釘付けにしていた。娘には目もくれてやらないどころか、言葉すらぞんざいだったように思う。
 それにしても相変わらずのラブラブぶりである。両親の仲が良いのはいいが、これでいいのかと思わずにはいられない。

 そんなわけで許可も貰ったのでダンスに誘ってくる男性陣を適当にあしらいつつ、仏頂面で壁の花になっているわけ……なのだが。

「イーゼルベルト公爵……遅いわね」

 祭典の終わり際に「夜会はエスコートさせていただきますね」と甘やかな笑顔で告げたくせに、あの黒髪将軍は未だにその姿を見せていなかった。

(何よ、あんな笑顔で言ったくせに結局来ないんじゃない……)

 向けられた笑顔にドキドキしながら頷いてしまった自分が馬鹿らしく思えてきた。
 恋する姫君みたいに何を期待していたのだろう。それを夢見たことで元婚約者モース裏切られたのはつい最近のことではないか。自分のことながら情けない。

「『父上に今回の事を報告してくるので一旦屋敷に戻る』と仰られていたけど……」

 ミッドヴェルン領での警備を任されたのでイーゼルベルト領の運営を引き継いでもらうために話し合う……とも言っていたので長引いているのかもしれない。

 今後には必要なことだ。家督を譲ったとはいえイーゼルベルト前公爵はまだまだ現役でも活躍できる。それにミッドヴェルン領に向かわせる人材も確保しなければならない。やることは沢山あり、その打合せをしているのだから当然長引いたりもするだろう。

 それは私も分かっている。分かっているつもりではある。……あるのだけれど。

(モヤモヤする……)

 釈然としない自身の胸の内に複雑になり、目線を下に落とす。

 メルザが着せてくれたのは鮮やかなブルーのドレス。
 デコルテが大きく開いた首元は、大粒の真珠のネックレスをあしらって首の細さをよく引き立てている。メルザにコルセットで絞り上げられた細い腰が目立つようにデザインされたプリンセスラインのスカートはスリットの間からたっぷりとレースがあしらわれ、優雅で可愛らしい。
 ダイヤを嵌め込んだ銀のティアラを冠した白い髪は編み込みにされ、項に少し後れ毛を残している。

「公爵様が見たらきっとイチコロですわね」

 とメルザは楽しげに笑って見送ってくれたが、今宵のパートナーである肝心の公爵がいないのでは折角の装いも意味がない。

「公爵の、嘘つき……」

 エスコートしてくれると、言ったのに。
 独りごちりながら子どものようにぶすくれてワインを飲み干し、控えていた執事に空になったグラスを渡す。

 このままいても仕方がない。テラスに出て気分転換しよう。
 私は誰の目にも触れないようにそっと魔術で気配を消すと、大広間を出ていった。







「んー、外の風は気持ちいいわね!」


 心地よい風が頬を撫で、白い髪を揺らす。
 髪型が崩れないように軽く手で抑えながら、テラスから庭園を見下ろす。

 月夜の庭園は静かで、ほかの光源は薔薇を照らすために等間隔で置かれた魔具のみ。月夜の柔らかな光を浴びながら、ふと思い立って私はテラスから飛び降りる。
 風魔術で怪我することなく庭園に降り立った私はとある場所を目指して歩き出した。

 道なりに進んで、不自然に途切れた生垣からその中へ。
 そのまましばらく歩くと、月で白く照らされた東屋が見えてきた。四方は薔薇に囲まれて、人の視線が気にならなくなる。魔術で隔離された秘密の東屋だ。私のお気に入りの場所。

 人が三人ほど座れば埋まってしまうような小さなベンチに腰掛け、ため息をこぼす。

「……また一人、ね」

 今日はモースを断罪したよき日だ。
 本当ならその達成感で満たされているはずなのに、何故私はあの誕生パーティの日と同じく、一人でここにいるのだろう。
 誰も見ていない場所で一人でいるからか、いつもの皇女然とした口調ではなく、年相応の崩した口調に戻ってしまう。

「思えばいつも私は一人だったなぁ……」

「レスティーゼ」でも。「エレスメイラ」でも。肝心な時に、私はいつも一人だ。前世でも今世でもそれは変わらない。私は孤独はあまり好きではない。エレスメイラだった頃の遠き日の記憶を思い出して、憂鬱になるからだ。



 エレスメイラはブランテ王国の王族だったが、その地位は低かった。

 王位を継ぐことになるまで父はエレスメイラに見向きもしなかった。エレスメイラは側妃の子だったのだ。
 王――父親は正妃との間に息子を設けていたが、王になるために必要な『精霊を使役する力』は側妃の子どもであるエレスメイラの方が強かった。

 正妃はエレスメイラの存在を疎み、王宮から遠く離れてろくに手入れもされていなかった離宮に側妃とエレスメイラを追いやった。
 病弱な側妃は劣悪な離宮の環境に耐えきれず数年と経たずに他界した。

 そこから正妃の攻撃対象がエレスメイラへと移行するのにそう時間はかからなかった。
 正妃の攻撃に耐えながら、離宮でひっそりと暮らしていたエレスメイラにはじめて優しく声をかけてくれたのは、金髪にエメラルドの瞳をした青年だった。

 ラキウス・ベルトナット。後に宰相となり、エレスメイラの婚約者となった彼も最後にはエレスメイラを裏切り、死に追いやった。

 エレスメイラの記憶を持ったまま転生した私はあの時の悲しみと憎しみを決して忘れることはできない。未だに思い出す度に苦しくなる胸の痛みはそう簡単に癒えるものではないのだ。

 信じていた者に裏切られ、無惨にその生涯を閉じた。
 その記憶を受け継いだまま今世で皇女として産まれ、次こそは幸せになろうと思った。

 今度こそ幸せな人生を掴もうと自分にできることを頑張ったつもりだった。一国の皇女として研鑽に励み、モースと婚約した時は、これで幸せになれると安堵し、嬉しかったものだ。

 ――それなのに。

「また、私は〝一人〟になった」

 エレスメイラと同じ十五歳の誕生日に婚約者に裏切られて。
 今ここにこうして一人でいる。

「なんで……」

 なんで、幸せを夢見ただけなのにこうなるのか。何故、次こそはと思ったのにこうなるのか。
 ただ幸せを望んだだけなのに、どうしてこうも上手くいかないのか。

 勿論モースを断罪したことに後悔はない。裏切ったのはあっちが先なのだから当然の報いだとすら思う。婚約者を蔑ろにし、皇族すら敵に回すような行為をした彼には当然の罰だ。

 ――けれど。

 私は確かに、モースを好きだった時があったのだ。純粋に彼を慕っていた時期は確かにあった。その時の偽りのない自分の心を覚えている。だから、余計に悲しい。

 前世の私――エレスメイラもそうだった。心から好きだった宰相に裏切られた。愛していた彼は〝私〟を愛していなかった。その事実が受け入れられなくて、辛くて、そうして悲しみと憎しみの中で死んでいった。
 好きだった人に裏切られるのは悲しい。一人になるのは、悲しい。

「一人は……嫌だよ……」


 ――ぽと。
 一粒の涙が頬をつたい落ちて、青いドレスに染みを作る。そこで私は自分が泣いていることに気づいた。
 気づいた途端、堰を切ったように涙が溢れて止まらなくなった。

「……あ、」

 どうしようもなく悲しくなって、涙が零れる。
 化粧が崩れると、公爵が来るまでは泣いては行けないと、思うのに。皇女はそう簡単に感情を露わにしてはいけないと教えこまれている。だから、涙も簡単に流してはいけない。泣いてはいけない。そう思えば思うほど涙は溢れて。

「ふ、あ……あああ……!!」

 ついにはしゃくりあげながら泣き出してしまった。
 一人は嫌だ。悲しい。寂しい。
 なんで公爵は来てくれないの。なんで一人にするの。
 なんで。なんで。

 ただひたすら悲しくて悲しくて。
 化粧が落ちるのも構わずただ涙を流した。
 公爵のバカ。なんで来てくれないの。早く来て。一人にしないで。

「一人は、やだぁ……!」

 呟きながら、しゃくり上げると。
 突如、薔薇の茂みがガサガサと動いて、そこから人影が現れる。

「……殿下?」
「……!」

 困惑に眉根を寄せて現れたのは、黒髪に夜闇でも光を失わない黄金の瞳を持った青年だった。

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