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 アレクシスが逃亡した。
 部屋には強固な封印魔法が施されていて、お世辞にも魔法がうまいとは言えないアレクシスではまず破壊などできる訳がない。

 彼の失踪は、定刻に使用人が食事を届けに来るまで誰も気づかなかったらしい。ということは、アレクシスはティアン侯爵邸の誰にも見つからず、痕跡を一切残さずに消えたということになる。
 まるで神隠しにでもあったかのように、彼はいなくなってしまった。

「アレクシスは派手な魔法を好んでいたわ。目立つことが好きな彼がこんな手段に出るはずがない。となると、誰かが彼を手引きしたのでしょうね」

 アレクシスは社交界でも顔が広かった。交友関係が豊富で、その美貌と明るい性格から誰とも気さくに話せ、親しくなってしまうその才能だけは、私も一目置いている。

 特に、令嬢だけでなく貴婦人たちからの人気も高い。今回の件で、助けになろうとするものは少なからずいると考えられる。
 問題は誰が彼の逃亡に協力したか、ということだ。

の逃亡に協力しそうな人物、ねぇ。ふうむ」

 私の言葉に、キャロルは席を立ち、机の引き出しから紐でまとめた紙の束を取り出すと、それをペラペラと捲り始めた。

 気になって覗いてみると、そこにはヴァンハート中の貴族の名前がズラリと載っていた。
 貴族名鑑の写しだろうか。

「ボクが調べた限りだと、オウジサマは最近君の妹クリスティアナとは別に、随分と入れ込んでる女性が居たようだよ。えーと、確かここら辺に。……あった。ホラ、この人だよ」

 紙を捲る手を止め、一枚の頁を指し示すキャロル。
 キャロルの言葉に釣られて覗き込むと、そこにはとある女性の名前が記されていた。

 その名前を確認した途端、私は思わず眉間に皺を寄せてしまう。それは、私があまり関わりたくない人物であった。

 社交界で幾度となく相対した姿が目に浮かぶ。白い肌に輝く黒髪。極上の容貌に妖艶な笑みを浮かべ、弧を描いた赤い瞳は見るものを惑わせ、不安にさせる。

「――ミラベル・マーズ。マーズ伯爵元夫人で『魔女』の異名を持つ未亡人。マーズ伯爵殺人事件の第一発見者にして最有力容疑者として名が上がったけれど、結局証拠が得られず捕まる事はなかった」

 三年前に起きたマーズ伯爵暗殺事件。
 朝、ミラベル夫人が夫を起こしに寝室に入ったところ、無惨に血を流し、変わり果てた姿の夫が寝ていたという話。

 部屋には鍵はかかっておらず、屋敷内も荒らされていなかったことから、強盗ではなく怨恨による殺人とみて調査が行われた。

 犯人として名が上がったのはミラベル夫人。深夜に夫を刺し、そのまま第一発見者を装ったのではないかという見立てで容疑者の嫌疑をかけられたが、事件当日の夜、夫人にはアリバイがあり夫を殺すことは不可能だった。
 結局大した証拠は見つからず夫人の嫌疑は晴れ、数日後に真犯人が見つかり、事件は解決。

 後日夫人は新聞社の取材に応え、涙ながらに訴えた。

『旦那様の死を聞いて一番ショックを受けていたのに、騎士団の皆さんは、まるで私が犯人であるかのように事情を聞いてくるのです。私は旦那様と結婚してからずっとあの方をお慕い申しておりました。そんな方をどうして私が殺めたりしなければならないのでしょうか』

 この記事が出回った後騎士団には苦情が殺到し、後日騎士団長が自ら夫人に謝罪をしたくらいである。

 実は、この調査を裏で統括していたのは何を隠そう法の番人であるロアンヌ侯爵家だった。
 結論から言うと、ミラベル夫人は確実にクロだった。

 ミラベル夫人は夫に隠れて愛人を囲っていた。
 そしてマーズ伯爵家の莫大な遺産を得るために夫の殺害を計画し、実行したと思われる。

 けれど、ミラベル夫人が計画を行ったというその証拠が何一つ出てこなかった。
 夫人のアリバイはどうやっても完璧で、最後までそれを崩すことができず、実行犯のみを裁くことしかできなかった。

 法の番人たるロアンヌ侯爵家の目を一度は欺き、未だ黒い噂が絶えないミラベル夫人なら痕跡を残さずアレクシスを逃がすことは可能かもしれない。
 というか、確実にミラベル夫人が手を貸している確率が高い。

 ミラベル夫人は麗しい外見を持つアレクシスをいたく気に入っていて、夜会に出ればいつでもこれを傍に置きたがった。

 一方アレクシスの婚約者である私を目の敵にしていて、事ある毎に表向きではそうとは分からない嫌味を言ってはアレクシスの腕に絡みついて、見せつけるようにこちらを嘲笑していたものだ。
 ミラベル夫人が私を嫌っているのは明白である。

 私をなんとしても貶めたいアレクシスと、私を嫌っているミラベル夫人。彼女なら私がどうなろうと構わないだろうし、手を組む相手として最適だ。利害は一致している。

「だとしたら、今ごろアレクシスはマーク伯爵邸に潜伏していると見て間違いないわ」

 ティアン公爵邸とミラベル夫人が住むマーク伯爵邸はそう遠く離れていない。逃亡してからそれが発覚するまでの短時間で、尚且つミラベル夫人がすぐに用意できる潜伏先としては最有力候補であろう。

「ふむ、その説明を聞くとボクも同じ考えかな。だったらどうするの? 先手を打って乗り込んじゃう?」

 キャロルがウキウキした様子で私を見つめる。何がそんなに楽しいのか。完全に他人事であるからだろう。ワクワクが止まらない顔をしている友人には申し訳ないが、私は首を振った。

「いいえ。
「ありゃ、どうして?」

 潜伏先が分かって、尚且つアレクシスは自分を害そうとしている。
 けれど私はそれを止めようとは思わない。

「こちらが何もしなくてもあっちから来てくれるんだもの。余計な手間もかからないし、待っている方が楽じゃない」

 折角相手から飛び込んできてくれるのだ。悠然と構えて待っている方が面白い。
 既に私の計画は成就している。あとはあちらが出てくるのを待つだけである。

「その代わり盛大にもてなして差し上げましょう。早くいらっしゃいな、アレクシス」

 アレクシスへの仕返しができて、さらにミラベル夫人が絡んでくるのならロアンヌ家の過去の雪辱が果たせるし、尚上等。

 ――私は逃げも隠れもしない。だから、早くいらっしゃいな。

 久々に気分が高揚して感情が顔に出てしまう。そんな私を見て、キャロルは思いっきり顔を顰めた。

「うわぁ、セシルのこんな黒い笑み、ボク久々に見たよ。というか表情に出しちゃうくらい楽しみにしてるんだね、軽く引くわー」
「うるさいわね! 一言多いのよ毎回!」

 キャロルと言い争っていると、遠くで学園の校舎から昼休憩の終わりを告げる鐘が鳴る。

 時間はある。焦ることは無い。私はもう自由なのだから。内心で逸る心をおさえつつ、私はしばらくキャロルとティータイムを楽しむことにした。

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