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第2章:隠された素顔
しおりを挟む春の舞踏会から数日が経ったが、胸の中に渦巻く屈辱感は消えるどころか、日に日に大きくなっていた。学院の廊下を歩けば、遠巻きに笑い声が聞こえてくる。「舞踏会の女王」というあだ名が、すっかり僕の肩書になってしまったのだ。友達もいない僕にとって、それを慰めてくれる人などいるはずもなかった。
そして、その元凶である氷川蓮はというと、相変わらず学園の中心で輝いている。教室でさえ彼を中心に会話が生まれ、周囲の誰もが彼の一挙一動に注目している。あの日のことを謝罪する素振りは一切ない。それどころか、彼は僕を見かけるたびにわざとらしい笑顔で手を振ってくる。
「おい、橘!」
今日もまた、彼が声をかけてくる。僕は無視して足早にその場を去ろうとしたが、蓮は大股で近づき、僕の前に立ちはだかった。
「無視すんなよ。なんでそんなに怒ってるんだ?」
「なんで怒ってるか、分からないわけないだろ!」
思わず声を荒げてしまう。蓮は少し驚いた表情を見せたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「お前、あの日のことまだ引きずってるのか。悪かったよ、あれはやりすぎたかもな」
「『かも』じゃない。お前、他人を巻き込んで何とも思わないのか?」
「巻き込まれる方が弱いんだよ、橘。けど……まあ、あんなに似合うとは思わなかったのは本当だ」
蓮は肩をすくめて笑う。怒りが込み上げてきたが、それ以上言い返す気力も失せた。結局、僕は再びその場を離れた。
---
その日、僕は図書館で本を読んでいた。学院の図書館は広大で、利用する学生は少ない。ここだけが唯一の逃げ場だった。静寂の中で本を読んでいると、ようやく蓮のことを忘れられる。
だが、その静寂を破る足音が響いた。顔を上げると、そこには蓮が立っていた。
「……なんでここに?」
「お前が逃げる場所は大体分かるからな。少し話がしたくてな」
「話すことなんてない」
冷たく言い放つと、蓮は少しだけ表情を曇らせた。そして、意外な言葉を口にする。
「俺のこと、そんなに嫌いか?」
「当たり前だ」
即答すると、蓮は苦笑いを浮かべた。その顔には、普段の余裕たっぷりな態度が感じられない。
「お前さ……俺のこと、誤解してるんじゃないか?」
「誤解? お前が俺を笑い者にしたのは事実だろ」
「そうだけど、それだけじゃないんだ」
蓮は視線を彷徨わせ、ため息をついた。
「……俺には、本当の友達がいない」
その言葉に驚き、思わず顔を上げた。蓮がこんな弱音を吐くとは思っていなかったからだ。
「俺の周りには、いつも人がいる。でも、あいつらは俺の名前や家柄を見てるだけで、本当の俺を見てくれてるわけじゃない。だから、お前みたいに俺を嫌う奴は珍しいんだ」
「……それが理由で、俺を巻き込んだのか?」
「まあ、そうかもな。でも、やりすぎたとは思ってる。だから……謝りたい」
蓮が頭を下げる姿を見て、僕は言葉を失った。彼がこんなに素直に謝るとは思わなかった。
「別に……もういいよ。どうせ俺には他にどうすることもできないし」
そう言って本に視線を戻すと、蓮は少し微笑んで席を立った。
「ありがとう、橘。お前、結構優しいんだな」
その言葉を残して、彼は図書館を去っていった。
---
その日の夜、僕はベッドの中で蓮の言葉を反芻していた。彼の「本当の友達がいない」という言葉が頭にこびりついて離れない。完璧に見える彼にも、そんな孤独があるのだろうか。
しかし、僕には関係のない話だ。蓮と関わることで、何かが良い方向に進むとは思えない。それなのに、彼の孤独そうな横顔が心に残り、眠れない夜を過ごすことになった。
---
翌日、僕は偶然にも蓮の意外な一面を目撃することになる。夕方、誰もいない校内を歩いていると、音楽ホールからピアノの音が聞こえてきた。その音色に惹かれ、僕はそっとホールの扉を開けた。
そこには、ピアノの前に座る蓮の姿があった。彼は一心不乱に鍵盤を叩き、美しい旋律を奏でている。普段の威圧的な態度とは違い、どこか儚げで繊細な雰囲気を纏っていた。
演奏が終わると、蓮は深いため息をつき、誰もいないはずの空間に呟いた。
「……あの頃みたいに、また弾けたらいいのに」
その声は驚くほど寂しそうで、僕は思わず息を飲んだ。普段の蓮からは想像もできない姿がそこにあった。
気づかれないようにその場を後にしながら、僕の中にある感情が変化していくのを感じた。氷川蓮という人間は、僕が思っている以上に複雑で、そして少しだけ、悲しい人間なのかもしれない。
でも、だからといって、彼を簡単に許すつもりはない。そう自分に言い聞かせながらも、蓮の孤独に共感してしまう自分がいることに、戸惑いを覚えた。
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