上 下
2 / 7

2. 異世界転生:伯爵令嬢リシテア

しおりを挟む


「……ここは……どこ?」

鈴花はゆっくりと目を開けた。薄明かりの中、目に入ったのは高級そうな天蓋付きのベッドのカーテンと、豪華なシャンデリアだった。鈴花は目をしばたたかせ、自分が見ているものが現実なのか夢なのかを疑った。だが、次の瞬間、彼女は自分の身体が軽くなっていることに気が付いた。

「え……?」

さっきまでの鈴花の身体は病魔に侵され、常に重く、痛みに苦しんでいた。それが今、まるで何もなかったかのように軽やかで、手足を動かすことも難なくできる。彼女はベッドからゆっくりと起き上がり、鏡に映る自分を見た。そこに映っていたのは、見覚えのない少女の姿だった。長い銀髪と、透き通るような白い肌、大きな青い瞳――それは、まさに異世界のお姫様のような姿だった。

「え? これ……私なの?」

鈴花は呆然と鏡の前に立ち尽くした。自分の顔は確かに変わっていたが、その瞳に浮かぶ感情や戸惑いは、まぎれもなく自分のものであることを感じた。心は鈴花のままだが、身体は全く別人になっている。彼女は震える手で自分の顔を触り、現実を確認するように頬を撫でた。

「なんで……どうして……?」

その瞬間、部屋の扉が開かれ、豪華なドレスを着た中年の女性が入ってきた。彼女は優雅な立ち振る舞いで鈴花に近づき、微笑みながら言葉をかける。

「お嬢様、ご気分はいかがですか? 昨晩のご様子では、お熱がひどかったので心配しておりましたが……今日のお顔色はとても良いようですね。」

「お、お嬢様……?」

鈴花は混乱したまま、何も答えることができなかった。彼女の記憶には「お嬢様」としての自分は存在していない。だが、目の前の女性はその名で彼女を呼び、親しげに接している。

「そうです、お嬢様。リシテア様、ご気分が良くなられたなら、朝食をお持ちいたしますか?」

「リシテア……?」

鈴花はそこで初めて、自分が「リシテア」と呼ばれていることに気がついた。名前が変わっている――いや、むしろ自分は別の人間として生まれ変わったのだ。彼女は転生したのだ。前世の記憶が鮮明に蘇り、彼女はその現実を徐々に受け入れるしかなかった。あの世界での地下アイドルとしての苦しい日々、そして病に倒れた自分。鈴花だった頃のすべてが、まるで遠い過去の出来事のように感じられるが、今ここにいる「リシテア」は、まぎれもなくその記憶を持った存在だ。

「はい……お願いします……」

まだ完全には状況を把握できていないが、リシテアはなんとか言葉を返した。女性――おそらくこの家のメイドだろう――は恭しく一礼し、部屋を出ていった。リシテアは再び鏡を見つめ、自分の新しい姿を観察する。豪華なドレスに身を包み、まるで童話に出てくるお姫様のような姿。だが、彼女の内面は未だに和久井鈴花のままだ。

「これは一体、どういうことなんだろう……」

彼女はベッドに腰を下ろし、深いため息をついた。前世での夢だったアイドルとしての成功を思い出しながら、今の自分に何ができるのかを考え始める。しかし、頭の中はまだ混乱しており、ここがどんな世界なのかも分からない。彼女が落ち着かない気持ちで周囲を見渡していると、ふいに記憶の中に断片的な映像が浮かび上がってきた。

「そうだ……私は、伯爵家の娘、リシテア・エルメシア……」

不意に頭の中に流れ込んできた記憶。リシテアという人物としての過去が断片的に彼女の意識に入り込み、ここが貴族社会であること、この世界が魔法や騎士が存在するファンタジーのような異世界であることが徐々に理解できるようになってきた。どうやら、リシテアというのはこの世界で非常に裕福な伯爵家の娘であり、婚約者もいる貴族令嬢らしい。

だが、奇妙なことに、リシテアの記憶の中には、婚約者クライン侯爵との関係があまりよくないこともわかってきた。クラインは高慢で冷酷な人物であり、リシテアをただの道具として扱っているようだった。彼女が病気で寝込んでいた時も見舞いに来ることはなく、婚約者としての愛情はほとんど感じられなかった。

「なんだか、前の人生とあまり変わらないじゃない……」

リシテアは苦笑しながら、前世の鈴花としての記憶を思い返した。地下アイドルとしての孤独感、そして病で命を失ったこと。それに比べれば、今の状況はまだましだと感じる一方で、彼女の中には「また苦しい人生を歩むのかもしれない」という不安も浮かんできた。

そんな思いにふけっていると、再び扉が開き、今度は若い男性が入ってきた。彼はリシテアに向かって冷たく鋭い目を向け、無言のまま立っている。

「クライン様……!」

リシテアは咄嗟に名前を口にした。目の前にいるのは、まさに彼女の婚約者、クライン侯爵だった。彼の存在はリシテアの記憶の中でも鮮明に刻まれており、その冷酷さも同様だった。クラインはリシテアに近づき、無愛想な表情で言った。

「婚約破棄を申し出る。君はもう用済みだ。」

その瞬間、リシテアの胸に鋭い痛みが走った。婚約破棄――それはリシテアにとって、突然の出来事だった。前世の彼女も、成功を目前にして命を失ったが、この新しい世界でも、自分が「不要」だと言われている気がした。

「……わかりました。」

だが、リシテアは驚くほど冷静にその言葉を受け入れた。彼女の中には、かつての鈴花としての経験が生きており、「自分の価値は他人に決めさせない」という強い意志が芽生えていた。

「婚約破棄なんて、全然問題ないわ。私は……私の道を歩むだけ。」

リシテアは静かに、しかし決然とした表情でクラインを見つめ返した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?

曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」 エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。 最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。 (王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様) しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……? 小説家になろう様でも更新中

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...