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再婚約

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ディオール公爵夫妻の私室では、長い沈黙が続いていた。机の上には、王室からの再婚約の申し入れを記した正式な文書が置かれている。その文書を見つめながら、公爵夫妻は言葉少なに互いの顔を見合わせていた。

「セリカが王妃となるのは確かに名誉なことだし、この領地にとっても大きな利益をもたらすでしょう。」

公爵夫人が静かに口を開いた。彼女の表情はどこか険しく、目には微かに迷いが見えた。

「ええ、アコード王子の提案がこれほどまでに熱意を持っているとは、正直予想外でした。彼もまた、幼い頃に婚約を破棄したことを悔いているのかもしれない。」

公爵が重々しい口調で答えた。過去に婚約を解消した際には、セリカの幼さや未熟さが理由だったが、今やその評価は大きく変わっていた。彼女はただの公爵令嬢ではなく、領地の未来を担う重要な存在である。その事実が王室にも認識され、アコード王子が再び婚約を望むに至ったのだ。

しかし、公爵夫妻には割り切れない思いがあった。セリカがどれほどこの領地のために尽力してきたかを最もよく知るのは彼らであり、彼女の才能が領地全体をどれだけ豊かにしたかも、痛感していた。もしセリカを王妃として送り出せば、ディオール領はそのかけがえのない存在を失うことになるのだ。

「彼女を手放すことで、この領地がどれだけの影響を受けるか…」

公爵は、しばらくの間、何も言わずに考え込んでいた。領地にとって、セリカの存在は単なる一人の公爵令嬢以上のものであった。彼女の知恵と洞察力、そして卓越した指導力があってこそ、領地は繁栄を続けていた。彼女が王妃として王都に召し出されることで、そのすべてが一度に失われてしまうかもしれないのだ。

公爵夫人は、公爵の手にそっと触れ、優しく微笑んだ。

「あなた、私たちのセリカは、私たちだけの娘ではなく、この領地の一部です。彼女を失うことは、領民にとっても大きな損失になるでしょう。」

「それは私も理解しています。だが、王妃という地位もまた、彼女にとって栄誉ある道であることも確かだ。」

公爵は妻の言葉に同意しつつも、心中ではまだ決断に迷いがあった。王妃という立場は名誉なことであり、セリカの将来にとっても有益な選択肢であることは間違いなかった。しかし、彼女がこの地で成し遂げてきたこと、そしてこの領地の未来を考えると、その選択が本当に正しいのか、確信が持てなかった。

しばらくの間、再び静寂が訪れた。その沈黙の中、公爵はふとセリカの幼い頃の姿を思い出した。まだ幼かった彼女が、興味深そうに本を手に取り、日々学び続けていた姿。その小さな手が今やこの領地を豊かにし、多くの人々の生活を支えている。彼女の存在が、ディオール領にとってどれだけの価値を持っているのか、その重みを改めて感じていた。

「セリカは、この地にとって必要な存在だ。私たちが手放すべきではない。」

公爵はやがて、決意を込めて口を開いた。

「王室からの再婚約の提案は、ありがたいものだ。しかし、私たちの娘を単なる妃として送り出すのではなく、彼女がこの地で引き続き活躍できるようにするべきだ。」

公爵夫人はその言葉にうなずき、彼の決断を支持した。

「セリカは私たちの大切な娘であると同時に、この領地の未来でもあります。彼女の力を、このディオール領のために使わせるべきです。」

そうして公爵夫妻は、王室からの再婚約の提案を拒絶することを決意した。彼らはその選択が、セリカのため、領地のため、そして未来のために最も適切なものであると信じていた。

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