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序章:冷遇された令嬢

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侯爵家の長女、ビビアン・オルディナは、その名に似つかわしくない境遇に置かれていた。

彼女は生まれながらにして美しい金髪と透き通るような青い瞳を持っていたが、その魅力は誰からも見向きもされることがなかった。貴族社会では、外見よりも能力や家柄が重要視される。そしてビビアンは、家柄に恵まれているにもかかわらず、「無能」との烙印を押されていた。

ビビアンは幼い頃から父、レオポルド侯爵の期待を一身に背負うはずだった。しかし、彼女が物心つく頃にはすでに彼の目には冷たさしか感じられなかった。彼女が何をしても、どんなに努力しても、レオポルドの視線は彼女を通り過ぎていった。ビビアンは子供ながらに、父の愛情を求め、家の期待に応えようと必死だったが、すべて無駄だった。

彼女が魔法の練習に励んでも、学問に打ち込んでも、父は決して褒めることはなかった。むしろ、些細な失敗を大きく取り上げ、冷たい言葉で非難するだけだった。「そんな程度でオルディナの名を背負うつもりか?」という言葉が、まるで彼女の心を何度も刺すように響く。やがて、ビビアンは努力することさえ無意味だと感じるようになり、次第に周囲からも「無能な令嬢」として軽んじられるようになった。

それでもビビアンは幼い心にわずかな希望を抱いていた。母のアメリアが彼女を愛してくれていると信じていたのだ。しかし、アメリアは体が弱く、長い間病床に伏せっていた。母と過ごす時間は限られており、ビビアンはその短い時間に母の優しさに触れることが唯一の救いだった。

だが、母の死を境に、彼女の世界はさらに暗転した。父はますますビビアンに対して無関心になり、家族の温もりは完全に失われた。彼女の周囲には冷たい視線が増し、使用人たちさえも彼女を見下すようになった。「無能令嬢」との陰口が絶えず、侮蔑の視線はいつもビビアンに向けられていた。

使用人たちは、彼女が何か頼み事をするたびにため息をつき、形ばかりの礼儀を取り繕うに過ぎなかった。ビビアンは使用人たちの心の中にある軽蔑を感じ取ることができたが、それを口に出すことはできなかった。どれほどの屈辱を味わっても、侯爵家の娘としての誇りだけは手放すことができなかったからだ。

だが、その誇りも徐々に擦り切れていった。

ある日、ビビアンは父から呼び出され、家族の大切な席に出席するように命じられた。彼女はそれを父との距離が少しでも縮まるチャンスだと思い、心を踊らせながら準備をした。侯爵家の令嬢としての責務を果たそうと、彼女は一番美しいドレスを着込み、髪を丁寧に結い上げた。そして父の執務室に入ったが、そこに待っていたのは冷淡な表情をした父と、彼女の婚約者であるラファエル公爵家の長男だった。

「ビビアン、君には失望したよ」

ラファエルの冷たい声が部屋に響いた。彼の目には蔑みが宿っており、彼女をまるで物のように扱っていた。

「君と結婚するのは家柄のためだけだと思っていたが、それすらもう意味がない」

彼の言葉にビビアンは呆然とした。結婚は貴族にとって、家同士の権力を強固にするための重要な手段である。ラファエルとの婚約は、ビビアンにとって自分の立場を守る最後の手段だと思っていたのに、今やその婚約すらも崩れ去ろうとしていたのだ。

「父上…」

ビビアンは助けを求めるようにレオポルドを見つめたが、彼は冷淡に言った。

「ビビアン、お前にはもう期待はしていない。婚約が破棄されても何も問題はない。我が家には他にも将来を託せる者がいる」

その瞬間、ビビアンの心は砕けた。父からの愛情も、婚約者との絆も、すべてが幻想だったのだ。彼女はただ、その場に立ち尽くし、何も言えなかった。すべてが無意味だと感じた。自分がここにいる理由すら見失いかけていた。

「君には悪いが、これで終わりだ」

ラファエルは冷たく言い放ち、彼女を見捨てるようにその場を去った。部屋には重い沈黙が残り、ビビアンはその場に取り残された。彼女の人生は、この瞬間を境に大きく変わることになるとは、この時点ではまだ知る由もなかった。

ビビアンは、その日の夜、ひとりで自室の窓から外を見つめていた。夜の静けさが彼女を包み込み、まるで世界から孤立したような感覚に陥った。心の中には怒りや悲しみ、そして無力感が渦巻いていた。何もかもが自分の手からすり抜けていくように感じられた。

「私は…何のために生きているのだろう…」

呟いたその言葉に、誰も答える者はいなかった。家族にも、婚約者にも見捨てられたビビアンは、これからどこへ向かえばいいのか分からなかった。

彼女の中で、確かに何かが壊れ、そして新しい感情が芽生え始めた。裏切り、冷遇、無視され続けた彼女は、これ以上自分を犠牲にすることはしないと誓ったのだ。ビビアンの中で眠っていた力が目覚める瞬間は、もうすぐそこまで来ていた。

彼女はまだ自分の本当の力を知らなかったが、それが彼女を新たな運命へと導くことになる。そして、その運命はかつての無能令嬢と呼ばれたビビアンを、強く美しい女性へと変えていく道だった。

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