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第9話 貴公子の初陣

9-②

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怪物が、牙を剥き出して、右腕を振り下ろした。
丹助助手は、折りたたみのパイプ椅子を手に、必死に応戦していた。
部屋の隅には、力無くへたり込んでいる日向助手の姿があった。目は虚ろで、半ば放心状態である。

田辺博士は、一枚剥がした鋭利な爪を、両手で大きなペンチのようなものを使い、掴みあげていた。怪物の腹に、隙を見て突き刺すつもりでいた。

麟太郎は、日向助手とは逆の、臓物を引き出されて横たわっている怪物の後ろに隠れて、ビデオカメラを回していた。〈録画中〉の赤い文字が点灯していた。

そこへ、さっきの時貞のように源次が走り込んできた。
怪物の大きさを見て、源次も一瞬たじろいだ。源次も大きかったが、怪物の盛り上がった肩の方が高かった。

怪物がいきなり大股で前進した。丹波助手が顔をひきつらせて壁際まで後ずさりする。もう下がれないことを知ると、必死な形相で、一心不乱にパイプ椅子を振り回した。

怪物が右腕を下げた。肘の付け根辺りから、弾かれるように一枚の大きな平爪が直角に開いた。それはまるで、昆虫の、広げた羽のようであった。
丹波助手が椅子を大上段へ振り上げた。その瞬間、怪物の右腕が宙を斬り裂いて弧を描いた。断末魔の叫び声をあげる暇もなかった。
辺りに血しぶきが飛び散り、一瞬で天井や壁が血に染まった。

〈ザシャーン〉
立っている丹波助手の足元に、振り上げたはず筈の椅子が落ちてきた。丹波助手の両腕もおまけに付いている。
その椅子の上に、続いて落ちるものがあった。丹波助手の、眼鏡をしたままの生首であった。こうなっては、さすがに丹波助手も立ち続けることは出来なかった。
そのまま膝から崩れるように、自分の頭の上に被いかぶさった。辺りが次第に、血の海に変わっていく。

放心状態の日向助手が、目の前に落ちてきた生首を見て、気を失った。
〈パーン、パーン………〉
源次が慌てて、怪物の背中に発砲した。力無い、銃声であった。




「いまの何?」と、碧が、湖畔で銃声を訊いて振り向いた。
「銃声…?」
龍信は、応えるよりも早く走りだした。碧は、慌ててそれを追った。


拳銃の弾が当たったのか、逸れたのか?
体内にめり込んだのか、跳ね返されたのか?―――源次には、判らなかった。
確かなことは、ありったけの弾を怪物の背中に撃ち込んだことと、それが全然効いてないということだけだった。

「グギィヴァォォォォォー!」
怪物は、源次へ向き直ると、凄まじい形相で、大きな口を広げて吠えた。獣が威圧する動作に似ていた。口からは、よだれが垂れている。
そこへ、時貞がコンクリート建築の芯に入れる、細い鉄筋を一本持って入ってきた。
鉄筋の長さは二メートル位あり、重さで両端がしなっている。

「教授!?」と、源次が、逃げたと思った時貞を見下ろして、首を捻った。

「何しに?」
「何しには、ないだろう」と、源次の言葉に少しムッとして、時貞が応えた。

「ぼくだって、生まれたときから男なんだよ」と、云って、臨戦体制をとった。
華奢な身体に、西洋のハーフ顔で、ファンタジーの世界の、小さなお城の非力な王子様のようであった。

「あれ?」と、時貞が部屋の中を見渡した。

「どうしました?」源次が、時貞に顔を向けた。

「碧ちゃん、居ないの?」
「ええ、さっき外へ」と、奥にいる麟太郎の声であった。
時貞は顔を向けると、今訊かされた悲しい現実に力無く肩を落とした。
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