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山田華子の災難

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神様、こんなベタな展開があるのでしょうか?
寝坊して、食パン咥えて駆け出して。
近所の曲がり角で、イケメンにぶつかりました。
私、同人誌の読み過ぎでおかしくなったのでしょうか?


少女漫画のテンプレのような展開に、山田華子はおおいに慌てた。
唯一テンプレと違ったのは、ヒロインポジションの自分が「可憐な女子高生」ではなく「残念なニート(成人済み)」であり、向かう先が学校ではなく馴染みの印刷所であった事くらいだった。


その日は朝から(いや、正確には前日の昼くらいから)災難続きだった。
締め切りギリギリでなんとか入稿を間に合わせるため、睡眠不足と戦いながら必死に書いた同人誌の原稿が、 パソコンの不具合で突然消えた。
バックアップをとってあったので、消えたのはその日に書いた1ページだけだったが、それでも十分な痛手だった。
それからなんとか原稿を書き上げ、印刷所にデータを送信した。
しかし不幸はまだまだ続いた。
疲労と睡眠不足と空腹で意識朦朧としていた華子は、なんと発注する本のサイズを間違えてしまったのだ。
慌てて印刷所に訂正の電話をしたが繋がらない。
ちなみに本人は気付いていないがこの時すでに深夜3時だったので電話が繋がらないのは当たり前である。
何度目かの電話の途中で、華子の意識は消失した。目が覚めると、カーテンの隙間から光が差し込み、世の中はいつの間にか翌日を向かえていた。
慌ててカーテンを開け、眩しすぎる太陽を確認した華子は焦った。
誰の許可を得て日付を変えているんだ!と叫びそうになったが、そんな事を言っている場合ではない。
ーー今日は何日だ?!締め切り日か?締め切りの翌日か?え、もしかして私3日くらい寝てた?
慌てて携帯を確認するが、電池切れである。
ーーそうだ、私電話しながら寝落ちしたんだ。だから携帯の電池無いのか。…ん?何で電話してたんだっけ?ん?!!!
「あーーー!発注する本のサイズ間違えたんだった!!!」
一人の部屋で、華子は叫んだ。
電話が繋がらないのなら、直接行くしかない。
幸いにも馴染みの印刷所はすぐ近くで、電車で2駅ほどで着く。
パニックな華子はすっぴん、メガネ、伸びきった部屋着という残念な格好のまま部屋を飛び出し階段をかけ下りた。
華子に気づいた母が「あんた、ごはん食べなさいよー?」と呑気な声で話しかけてくる。
それどころじゃないので無視して出掛けようとしたが、空腹の華子は香ばしいトーストの香りに抗えなかった。
本能による0.1秒の判断で、華子の右手はテーブルの上の食パンを鷲掴みにした。
そのまま食パンにかじりつき、使い古したスニーカーを履いて家を飛び出した。



……で、その先でイケメンにぶつかった。
まさに不幸と困惑の絶頂である。

「すみません!!大丈夫ですか?」
ぶつかった拍子に尻餅をつき地面に座り込んでしまった華子に、爽やかイケメンが手を差しのべている。
華子は咥えていたパンをポロリと口から落とした。
コンクリートにぶつかったお尻がちゃんと痛いので、どうやら夢ではないようだ。
「あ、あ…いえ、こちらこそすみません!!ほんとすみません!!」
全力で謝った華子は差し出された手を取らず、自力で立ち上がった。
そうしてそそくさと立ち去ろうとした時、後ろから声をかけられた。
「あの!!もしかして、山田さん……?」
華子は驚いた。
もっと可愛い女の子だったら、ぶつかったついでに知り合いのフリをしてナンパ、なんて事があるかもしれないが自分に限ってそれは無いだろう。
もしかしてねずみ講の勧誘とか、謎の霊感商法とか、そういうのだろうか。
山田なんてありきたりな名字だから適当に言ったのかもしれないが、確かに自分は「山田」なわけで…無視をするのも良くない気がする。
華子はそのイケメンの顔をまじまじと見つめた。
彼の顔には見覚えがあった。
「俺、中学と高校で一緒だった田中だけど覚えてない?」
田中とはまたずいぶんと一般的な名字である。
まあ、「山田」な自分が言えたことではないが。
寝不足の脳をフル回転させて「田中」という名の知り合いを思い出すと、一人しか出てこなかった。
「えーと、もしかして雄一郎くん…?」
途端に目の前のイケメンの顔が『パァー』という効果音が付きそうなほど明るくなった。
ーー次の同人誌で推しカプを書くときの参考にしよう。
そんな邪なことを考えていると目の前のイケメンがスマホを取り出し始めた。
「うん!!覚えててくれて嬉しい。あの……もしよかったら連絡先とかって…」
「ごめん。今、携帯持ってなくて。はっ!!!そうだった!!雄一郎くん、今日って何月何日?!あと、今何時?!」
「え、今日は11月28日で、今は9時3分だけど…?」
「よし、まだ間に合う!!雄一郎くん、ありがとう!ぶつかってごめん!じゃ!」
「え、山田さん……っ?!」
華子は駆け出した。
どうやら神様は華子に味方したらしい。
ぶつかったイケメンと恋に落ちるなんて王道展開にはならなかったが、今日はまだ11月!!
今はまだ9時3分!!
「よっしゃー!!コミケに間に合うぞー!!!」
華子は満面の笑みで叫んだ。

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