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灼熱の祭典編ー後
第94話 頼もしき姪
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昨夜幽霊に声を掛けてしまったと思っているウォーリーは、ニスとせーので別れて家に入ると、目にも止まらぬスピードで鍵を掛けたかと思うと、「ひゃああああ!!!」と悲鳴を上げながら暗い店内を駆け抜けて、自宅部分に急いで上がった。幸いチャムが廊下の灯りをそのままにしていたので、少しだけ悲鳴の音量は抑えられた。しかしチャムには丸聞こえだったようで、自分の部屋で宿題をしていたチャムが部屋から出てきて、ウォーリーを呼ぶ。
「叔父さん!ご近所迷惑になるよ!どうしたの?」
ウォーリーはチャムの姿を見て安心した。しかしガクガクと手が背中が震えて、「あ……あ…」としか声が出ない。その叔父の様子に尋常ではないものを感じたチャムは、自身の部屋からバットを担いで出てきた。そしてウォーリーの目の前で素振りを始める。
「泥棒?外に居るの?」
非常に頼もしい姪に言葉を取り戻したウォーリーであるが、まだ動揺して落ち着いていない。
「ち、違う!いや違わねえが、そんなもんが幽霊に効くか!」
「なんだ…幽霊か」
チャムは拍子抜けしてバットを振り抜く練習をやめた。チャムにとっては幽霊よりも不審者の方が由々しき事態だ。
「本当に見たんだよ!それに声掛けちまった!」
「また見間違いじゃないの?お姉さんにも亡霊だって言ってたじゃない」
「そのニスも居たんだよ!」
ウォーリーは必死にチャムに説明する。チャムは冷静にしどろもどろなウォーリーの話を聞いて、流石に肝が冷えた。ウォーリーだけなら思い込みだとか見間違いで済む事だが、第三者、ニスが関わっているとなれば別だ。
「それは怖いね…」
「だろ!?だからチャム、何かあったら直ぐに俺の名前を呼ぶんだぞ!?」
「えー…叔父さん怖がりなのに、幽霊に何が出来るの?」
「何だと!!?そ、そりゃあ…急いで向かいのギャリアーとグンカを呼んでくるさ…!ギャリアーは頭が切れるし、グンカは警備隊の隊長だ。な、何とかしてくれる!」
「あの2人が幽霊に何か出来るとも聞いた事がないけど…」
「ええいっ!兎に角皆!!ニスも集めてどっちかの家に纏って居るしかねぇ!チャム!そのバット手に届くところに置いておけよ!!おやすみ!!」
ウォーリーは足早に自分の部屋に戻ると、ベッドに飛び乗って掛け布を全身に纏ってカタカタと震えていた。怯えすぎて気絶するまで、リリナグの海神と大地の神に祈りを捧げていた。
翌朝、ギャリアーと会ったチャムが昨夜の話は本当か確認した。その時に幽霊以外の別の可能性もあると知り、部屋にあるバットを一本持って来てギャリアーに渡した。
「これを振り抜けば解決するよ!」
「お、おう…一応…ありがとな」
チャムに貰ったバットは、全体的にボコボコとして何かを殴った跡があった。何故こんな跡があるのか?それは聞く勇気が無かった。
「本当は皆の分渡したいけど、余りがこれしかないから…あ!お姉さん、斧の扱いが得意だから斧を用意しておくといいよ!」
「そ、れは…殺傷能力が高すぎないか…?」
「変な事しようとしたら、これで真っ二つにするぞ!って格好を見せたら良いよ!それじゃあ、あたしはキュート選手権の準備があるから!」
ギャリアーはボコボコのバットを手に家に帰る。ニスが警備隊への届け出を終え、買い物をしてから帰ってくると、チャムにこれで撃退するよう渡されたと説明した。ニスは指先でコンコンとバットを叩くと、庭の方に出て早速素振りを始めた。中々容赦ない振り抜きだな、とギャリアーは思った。
「チャム…チャムは俺が守らねえと…!」
ウォーリーは昨夜のチャムの言葉、幽霊に何が出来るのか?という問いに対する答えを用意していた。その答えとは、家の台所にある食材を使って即席の除霊グッズを作るという事。
「幽霊は確か臭いものが苦手だったはず…!ニンニクにニラに数種類の香味野菜…それに各種スパイス…これをチャムの部屋の前に置いておこう…!本当は煮込んだり炒めたりしたら最高に美味いが、安全には代えられねぇ…!」
ザルに乗せた除霊グッズ?をチャムの部屋の扉のすぐ前に置こうとして、キィと扉が開いた。ウォーリーはビクッとして飛び上がった。
「ヒィッ!!」
「叔父さん…あたしの部屋の前で何をゴソゴソしてるのかと思えば、まだ怖がってるの?大丈夫だって、幽霊は来ないって」
尻餅をついたウォーリーに手を差し伸べて立たせると、姪チャムはその効くんだか効かないんだかわからない対策を呆れたように見る。
「昨夜ニスもその場に居たって言ったろ…!俺は亡霊がニスの後を尾けているとは思わず、声を掛けちまった!いや、声を掛けなければとかは思ってねえが、何らかの接点は持っちまったからな…!用心に越した事はない!今も何処かで見てるかもしれねえっ…!」
ブルブルと震える怖がりの叔父に、チャムはため息をついてギャリアーから聞いた話をウォーリーに伝える。
「あのね叔父さん。昨日叔父さんが声をかけたのはね、大大大ファインプレーだったの!お姉さんの危機を救ったんだから!グンカさんも表彰ものだって言ってたって」
「それはどういうことだ?」
「あのね…」
チャムからグンカの見解を聞いたウォーリーは、亡霊とは違う理由で背筋が凍った。そして改めて思う。自分がチャムと町の平和を守らねばと…!
「許せねぇ…!チャム、ようくバット磨いとけ!お前も気を付けるんだぞ!!」
決意を新たにするウォーリーの向かいの家、ギャリアー宅では早めの就寝中であった。
「……」
ニスとグンカがすやすやと眠っている。怖い思いをした昨夜。3人は今夜、ベッドと寝床同士をピッタリとくっつけて、並んで寝転がっている。ニスはその後尾行されたとか、怪しい人物を見ただとかは無いみたいで、ギャリアーは少し安心した。
「……」
ギャリアーはこのところあまり眠りが深くいない。彼の脳内に浮かぶのは、リリナグ・ピオンの広場に展示されている彫像の事。年に一度入れ替わった日から、彼は配達の際もその彫像を視界に入れないようにしてきた。本当は、芸術祭での展示作品をスー・チースの元に送るときにも、無傷で依頼者のもとに作品が届いたか見届けるのが常であったが、彫像を見ないように、スーとその話にならないように、今回は海猫運輸に任せた。それは、ギャリアーの弱さだった。
「くそ……」
ギャリアーの脳内を独占しようとする、あの彫像の姿。思わず汚い言葉が口から出るほどに、彼を煩悶の渦へと飲み込んでいく。
(見たくない………見たい……見たくない……会いたい……会いたくない……)
若き日のギャリアーを包んでいた羽衣のような愛は既に亡く、あの彫像の正面に立った時、それが過去と向き合わねばならない時だ。それを促すかのようにギャリアーはここ最近いつも同じ悪夢を見る。
愛おしく悲しき悪夢。
打ちのめされた記憶。
若き日の過ち。
「……!」
ギャリアーは堪らず目を開けた。視界の中にはグンカの後ろ頭が見えた。ベッドから起き上がり、恐る恐る隣を見下ろすと、其処には此方に顔を向けて眠るニスの姿があった。顔にかかる髪をそっと耳に掛けてやると、少し擽ったそうに身じろぎして、それからまた静かに眠る。
「良かった…もう震えてないようで…」
ギャリアーは赤く長い髪を手で梳きながら、カタカタと震える肌を思い出す。柔く脆く、暖かな肌と、頭から指先まで嫋やかな肢体。白い召し物がよく似合っていた。
「幸せにならないと…可哀想だ……」
その呟きは口に出した本人以外には聞こえない。ギャリアーは眠気が訪れるまでその赤い髪を眺めていた。漸く瞳を閉じたのは日付が変わって幾らか時間が経過した頃だった。
待ちに待った今日、いよいよキュート選手権の朝が来た。
参加者たちはこの一か月の間自己研鑽に励み、自己アピールに努めた。町中の至る所に参加者のポスターが貼り付けられ、サポート委員会のメンバーは早朝に投票ボックス確認と設置をして、段取りを確認した。朝10時も過ぎると学校の敷地にて、選手権当日であることを知らせる狼煙が上がった。
「いよいよね…パパ…!」
朝食のたまご焼きを頬張りながら、イトが鋭く窓の外を睨む。ボビンはコーヒーを2人分注いで、一方にはミルクをたっぷり入れたものを食卓に置いた。
「頑張るんだよ~…イト」
「もう…パパも参加してるんだから、ライバルなのよ?」
「はっはっは…パパはイトに票を入れるつもりだよ~…特にアピールもしていないから~」
「じゃあなんで参加したの?」
「う~ん……患者さんに出てみたらって言われてね~。どうせなら娘さんと記念参加でって~」
ボビンはバタートーストにジャムをたっぷりと塗って齧り、甘ったるいベリーとバターの濃厚でコクのある味わいを楽しむと、ミルクを入れてまろやかな風味となったコーヒーで残る甘味を流した。医者の不養生と言われても、このジャムとバターの組み合わせが大好物で、イトに食べていいのは週に2回までと固く約束している。早くに母親を亡くしたイトは、父には健康で長生きしてほしいと食事には厳しい。
「そうだ~今日の夜は何がいい~?一か月間頑張ったから、好きな物を食べに行こう」
「パパ、忘れたの?今夜は参加者とその家族や友人で、ノーサイドのバーベキューよ?」
「あれ~?そうだったけ~」
「もう~」
意気込むイトとは違い、いつも通りの朝をのんびりと過ごすボビンであった。他の参加者も今日という日がついに来て浮足立っている。早朝の漁を終えた漁師達がマービンを囲んで激励する。その中にはナガルとニスの姿もあった。
「得意先にも宣伝したから、絶対勝ってよ!?マービン!」
「マービン…投票するから…!」
「ありがとうなナガルちゃんにニスちゃん…!」
「マービン、頑張るんだよ!」
「漁師関係には声かけておいたからさ!」
「皆…ワシ、頑張る!」
港の方で拍手と歓声が上がる一方で、海猫運輸及びリリナグリリィでは最後の追い込みをかける作戦を立てていた。
「お姉ちゃん売り上げは?」
「前年より30%程伸びてるわ。海での販売会と選手権に乗じた宣伝が効いたわね」
「どうするつもりだい、娘達?」
「…感謝セールを打ちましょう」
「…何%?既にサマーセールで20%引きよ?」
「ベンガル、納涼祭の翌日にもセールを控えているんだぞ?」
「出来れば今日、用意したエキゾチック衣装を65%程売りたいです。納涼祭当日にもゲリラセールを仕込んでいますから、今日だけ10…いけませんか?」
「あまり安すぎても駄目。セールでしか買ってくれなくなるから」
「でもエキゾチック衣装を出来るだけ早く捌きたいです。納涼祭のイベント用なので、在庫として抱える期間が1年になってしまいます」
「いい?ベンガル」
年長の社員、アッシュが手を挙げた。
「何ですかおじさん」
「御者でそのエキゾチック衣装を着て町内に配達するとか。通りがかりに宣伝してもいいし」
「それいいじゃないか」
「馬達にも飾ったら可愛いです!」
「急な話ね…」
「取り敢えず、町内を回る馬と御者の分なら急ぎで作れます!お姉ちゃんも手伝ってください!」
姉妹は家の中にある服飾の部屋に籠り、手際よく衣装を仕上げていく。
そして喫茶うみかぜでは。
「チャムー!これ似合ってるか?」
「うんこの蝶ネクタイ、もっと可愛い色の方がいいんじゃない?黄色も可愛いけどやっぱりピンクの方があたしは好き」
「今日のラッキーカラーは黄色なんだけどなぁ」
「それじゃあ一応黄色とピンクの2種類を持っていけば?」
「そうするか!いざとなったらアピールの時に取り替えてもいいだろうし!」
ウォーリーは夏らしい爽やかなシャツを選んで、黒のシックなサングラスも、可愛らしさを意識したスカイブルーに変えた。
「いつもの黒いサングラスじゃなくていいの?」
「俺は水色も似合うんだ」
「でも、常連さん…ちゃんと叔父さんだってわかってくれるかな」
「心配ない、チャム!このつぶらの目を見たら、俺だとわかってくれるはず!」
各が試行錯誤して、最後のアピールに力を入れる。納涼祭の前日、リリナグ町内では様々な催しが各地で取り行われている。その中でもキュート選手権の注目度は大きくなっていた。
「…さて、ついにキュート選手権なる怪しい催しが当日を迎えたか。この投票用紙には誰の名前を書くべきか……親しいウォーリーか、ベンガルか…それとも」
グンカは選手権のことをおかしなイベントだと、ユンの前ではそう言っていたが、実は誰に投票しようかかなり真面目に考えていた。投票期間は朝から晩まで。夜が来るまでにまだ十分猶予がある、そう思う位には。
「叔父さん!ご近所迷惑になるよ!どうしたの?」
ウォーリーはチャムの姿を見て安心した。しかしガクガクと手が背中が震えて、「あ……あ…」としか声が出ない。その叔父の様子に尋常ではないものを感じたチャムは、自身の部屋からバットを担いで出てきた。そしてウォーリーの目の前で素振りを始める。
「泥棒?外に居るの?」
非常に頼もしい姪に言葉を取り戻したウォーリーであるが、まだ動揺して落ち着いていない。
「ち、違う!いや違わねえが、そんなもんが幽霊に効くか!」
「なんだ…幽霊か」
チャムは拍子抜けしてバットを振り抜く練習をやめた。チャムにとっては幽霊よりも不審者の方が由々しき事態だ。
「本当に見たんだよ!それに声掛けちまった!」
「また見間違いじゃないの?お姉さんにも亡霊だって言ってたじゃない」
「そのニスも居たんだよ!」
ウォーリーは必死にチャムに説明する。チャムは冷静にしどろもどろなウォーリーの話を聞いて、流石に肝が冷えた。ウォーリーだけなら思い込みだとか見間違いで済む事だが、第三者、ニスが関わっているとなれば別だ。
「それは怖いね…」
「だろ!?だからチャム、何かあったら直ぐに俺の名前を呼ぶんだぞ!?」
「えー…叔父さん怖がりなのに、幽霊に何が出来るの?」
「何だと!!?そ、そりゃあ…急いで向かいのギャリアーとグンカを呼んでくるさ…!ギャリアーは頭が切れるし、グンカは警備隊の隊長だ。な、何とかしてくれる!」
「あの2人が幽霊に何か出来るとも聞いた事がないけど…」
「ええいっ!兎に角皆!!ニスも集めてどっちかの家に纏って居るしかねぇ!チャム!そのバット手に届くところに置いておけよ!!おやすみ!!」
ウォーリーは足早に自分の部屋に戻ると、ベッドに飛び乗って掛け布を全身に纏ってカタカタと震えていた。怯えすぎて気絶するまで、リリナグの海神と大地の神に祈りを捧げていた。
翌朝、ギャリアーと会ったチャムが昨夜の話は本当か確認した。その時に幽霊以外の別の可能性もあると知り、部屋にあるバットを一本持って来てギャリアーに渡した。
「これを振り抜けば解決するよ!」
「お、おう…一応…ありがとな」
チャムに貰ったバットは、全体的にボコボコとして何かを殴った跡があった。何故こんな跡があるのか?それは聞く勇気が無かった。
「本当は皆の分渡したいけど、余りがこれしかないから…あ!お姉さん、斧の扱いが得意だから斧を用意しておくといいよ!」
「そ、れは…殺傷能力が高すぎないか…?」
「変な事しようとしたら、これで真っ二つにするぞ!って格好を見せたら良いよ!それじゃあ、あたしはキュート選手権の準備があるから!」
ギャリアーはボコボコのバットを手に家に帰る。ニスが警備隊への届け出を終え、買い物をしてから帰ってくると、チャムにこれで撃退するよう渡されたと説明した。ニスは指先でコンコンとバットを叩くと、庭の方に出て早速素振りを始めた。中々容赦ない振り抜きだな、とギャリアーは思った。
「チャム…チャムは俺が守らねえと…!」
ウォーリーは昨夜のチャムの言葉、幽霊に何が出来るのか?という問いに対する答えを用意していた。その答えとは、家の台所にある食材を使って即席の除霊グッズを作るという事。
「幽霊は確か臭いものが苦手だったはず…!ニンニクにニラに数種類の香味野菜…それに各種スパイス…これをチャムの部屋の前に置いておこう…!本当は煮込んだり炒めたりしたら最高に美味いが、安全には代えられねぇ…!」
ザルに乗せた除霊グッズ?をチャムの部屋の扉のすぐ前に置こうとして、キィと扉が開いた。ウォーリーはビクッとして飛び上がった。
「ヒィッ!!」
「叔父さん…あたしの部屋の前で何をゴソゴソしてるのかと思えば、まだ怖がってるの?大丈夫だって、幽霊は来ないって」
尻餅をついたウォーリーに手を差し伸べて立たせると、姪チャムはその効くんだか効かないんだかわからない対策を呆れたように見る。
「昨夜ニスもその場に居たって言ったろ…!俺は亡霊がニスの後を尾けているとは思わず、声を掛けちまった!いや、声を掛けなければとかは思ってねえが、何らかの接点は持っちまったからな…!用心に越した事はない!今も何処かで見てるかもしれねえっ…!」
ブルブルと震える怖がりの叔父に、チャムはため息をついてギャリアーから聞いた話をウォーリーに伝える。
「あのね叔父さん。昨日叔父さんが声をかけたのはね、大大大ファインプレーだったの!お姉さんの危機を救ったんだから!グンカさんも表彰ものだって言ってたって」
「それはどういうことだ?」
「あのね…」
チャムからグンカの見解を聞いたウォーリーは、亡霊とは違う理由で背筋が凍った。そして改めて思う。自分がチャムと町の平和を守らねばと…!
「許せねぇ…!チャム、ようくバット磨いとけ!お前も気を付けるんだぞ!!」
決意を新たにするウォーリーの向かいの家、ギャリアー宅では早めの就寝中であった。
「……」
ニスとグンカがすやすやと眠っている。怖い思いをした昨夜。3人は今夜、ベッドと寝床同士をピッタリとくっつけて、並んで寝転がっている。ニスはその後尾行されたとか、怪しい人物を見ただとかは無いみたいで、ギャリアーは少し安心した。
「……」
ギャリアーはこのところあまり眠りが深くいない。彼の脳内に浮かぶのは、リリナグ・ピオンの広場に展示されている彫像の事。年に一度入れ替わった日から、彼は配達の際もその彫像を視界に入れないようにしてきた。本当は、芸術祭での展示作品をスー・チースの元に送るときにも、無傷で依頼者のもとに作品が届いたか見届けるのが常であったが、彫像を見ないように、スーとその話にならないように、今回は海猫運輸に任せた。それは、ギャリアーの弱さだった。
「くそ……」
ギャリアーの脳内を独占しようとする、あの彫像の姿。思わず汚い言葉が口から出るほどに、彼を煩悶の渦へと飲み込んでいく。
(見たくない………見たい……見たくない……会いたい……会いたくない……)
若き日のギャリアーを包んでいた羽衣のような愛は既に亡く、あの彫像の正面に立った時、それが過去と向き合わねばならない時だ。それを促すかのようにギャリアーはここ最近いつも同じ悪夢を見る。
愛おしく悲しき悪夢。
打ちのめされた記憶。
若き日の過ち。
「……!」
ギャリアーは堪らず目を開けた。視界の中にはグンカの後ろ頭が見えた。ベッドから起き上がり、恐る恐る隣を見下ろすと、其処には此方に顔を向けて眠るニスの姿があった。顔にかかる髪をそっと耳に掛けてやると、少し擽ったそうに身じろぎして、それからまた静かに眠る。
「良かった…もう震えてないようで…」
ギャリアーは赤く長い髪を手で梳きながら、カタカタと震える肌を思い出す。柔く脆く、暖かな肌と、頭から指先まで嫋やかな肢体。白い召し物がよく似合っていた。
「幸せにならないと…可哀想だ……」
その呟きは口に出した本人以外には聞こえない。ギャリアーは眠気が訪れるまでその赤い髪を眺めていた。漸く瞳を閉じたのは日付が変わって幾らか時間が経過した頃だった。
待ちに待った今日、いよいよキュート選手権の朝が来た。
参加者たちはこの一か月の間自己研鑽に励み、自己アピールに努めた。町中の至る所に参加者のポスターが貼り付けられ、サポート委員会のメンバーは早朝に投票ボックス確認と設置をして、段取りを確認した。朝10時も過ぎると学校の敷地にて、選手権当日であることを知らせる狼煙が上がった。
「いよいよね…パパ…!」
朝食のたまご焼きを頬張りながら、イトが鋭く窓の外を睨む。ボビンはコーヒーを2人分注いで、一方にはミルクをたっぷり入れたものを食卓に置いた。
「頑張るんだよ~…イト」
「もう…パパも参加してるんだから、ライバルなのよ?」
「はっはっは…パパはイトに票を入れるつもりだよ~…特にアピールもしていないから~」
「じゃあなんで参加したの?」
「う~ん……患者さんに出てみたらって言われてね~。どうせなら娘さんと記念参加でって~」
ボビンはバタートーストにジャムをたっぷりと塗って齧り、甘ったるいベリーとバターの濃厚でコクのある味わいを楽しむと、ミルクを入れてまろやかな風味となったコーヒーで残る甘味を流した。医者の不養生と言われても、このジャムとバターの組み合わせが大好物で、イトに食べていいのは週に2回までと固く約束している。早くに母親を亡くしたイトは、父には健康で長生きしてほしいと食事には厳しい。
「そうだ~今日の夜は何がいい~?一か月間頑張ったから、好きな物を食べに行こう」
「パパ、忘れたの?今夜は参加者とその家族や友人で、ノーサイドのバーベキューよ?」
「あれ~?そうだったけ~」
「もう~」
意気込むイトとは違い、いつも通りの朝をのんびりと過ごすボビンであった。他の参加者も今日という日がついに来て浮足立っている。早朝の漁を終えた漁師達がマービンを囲んで激励する。その中にはナガルとニスの姿もあった。
「得意先にも宣伝したから、絶対勝ってよ!?マービン!」
「マービン…投票するから…!」
「ありがとうなナガルちゃんにニスちゃん…!」
「マービン、頑張るんだよ!」
「漁師関係には声かけておいたからさ!」
「皆…ワシ、頑張る!」
港の方で拍手と歓声が上がる一方で、海猫運輸及びリリナグリリィでは最後の追い込みをかける作戦を立てていた。
「お姉ちゃん売り上げは?」
「前年より30%程伸びてるわ。海での販売会と選手権に乗じた宣伝が効いたわね」
「どうするつもりだい、娘達?」
「…感謝セールを打ちましょう」
「…何%?既にサマーセールで20%引きよ?」
「ベンガル、納涼祭の翌日にもセールを控えているんだぞ?」
「出来れば今日、用意したエキゾチック衣装を65%程売りたいです。納涼祭当日にもゲリラセールを仕込んでいますから、今日だけ10…いけませんか?」
「あまり安すぎても駄目。セールでしか買ってくれなくなるから」
「でもエキゾチック衣装を出来るだけ早く捌きたいです。納涼祭のイベント用なので、在庫として抱える期間が1年になってしまいます」
「いい?ベンガル」
年長の社員、アッシュが手を挙げた。
「何ですかおじさん」
「御者でそのエキゾチック衣装を着て町内に配達するとか。通りがかりに宣伝してもいいし」
「それいいじゃないか」
「馬達にも飾ったら可愛いです!」
「急な話ね…」
「取り敢えず、町内を回る馬と御者の分なら急ぎで作れます!お姉ちゃんも手伝ってください!」
姉妹は家の中にある服飾の部屋に籠り、手際よく衣装を仕上げていく。
そして喫茶うみかぜでは。
「チャムー!これ似合ってるか?」
「うんこの蝶ネクタイ、もっと可愛い色の方がいいんじゃない?黄色も可愛いけどやっぱりピンクの方があたしは好き」
「今日のラッキーカラーは黄色なんだけどなぁ」
「それじゃあ一応黄色とピンクの2種類を持っていけば?」
「そうするか!いざとなったらアピールの時に取り替えてもいいだろうし!」
ウォーリーは夏らしい爽やかなシャツを選んで、黒のシックなサングラスも、可愛らしさを意識したスカイブルーに変えた。
「いつもの黒いサングラスじゃなくていいの?」
「俺は水色も似合うんだ」
「でも、常連さん…ちゃんと叔父さんだってわかってくれるかな」
「心配ない、チャム!このつぶらの目を見たら、俺だとわかってくれるはず!」
各が試行錯誤して、最後のアピールに力を入れる。納涼祭の前日、リリナグ町内では様々な催しが各地で取り行われている。その中でもキュート選手権の注目度は大きくなっていた。
「…さて、ついにキュート選手権なる怪しい催しが当日を迎えたか。この投票用紙には誰の名前を書くべきか……親しいウォーリーか、ベンガルか…それとも」
グンカは選手権のことをおかしなイベントだと、ユンの前ではそう言っていたが、実は誰に投票しようかかなり真面目に考えていた。投票期間は朝から晩まで。夜が来るまでにまだ十分猶予がある、そう思う位には。
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