ベノムリップス

ど三一

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灼熱の祭典編ー後

第75話 幕間 青年コルゼットの愛

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奥様から依頼を貰うようになって数年が経過した。リリナグ・ピオンの専属技師と認められたコルゼットは、会社の指示する商品を製作しながら、奥様からの依頼も受けていた。本来は会社を通して依頼を出す決まりである。しかし、専属になる以前からの顧客という事で、長期間の不在を特別に許されていた。高名な師の口添えや、当人の腕への信頼も許可を得られた理由だ。少年は青年へと成長していた。

「コルゼット、気を付けてな。最近サブリナの近くで警備隊が大捕物をしたらしい。移動は明るい内に、向こうまでなるべく乗合の馬車を使うんだぞ」
「はい、師匠。社長に宜しくお伝えください」
「おう、それじゃあ1ヶ月後に」

師匠に見送られてコルゼットは旅立った。奥様の依頼を受けて屋敷に滞在するのは1年に一度、1か月の間だ。コルゼットはこの1か月を毎年楽しみにしていた。奥様との会話も、自由に作品を製作できる事も、仕事でここに居るという事を時折忘れてしまう程に尊い日々であった。

「奥様はお元気だろうか…?屋敷の皆さんへの手土産も途中で買って行こう」

リリナグの猛暑で地獄の暑さの狭い乗合馬車の中、コルゼットの脳内には新しいデザイン案が幾つも浮かび、体を丸めて小さくなりながらアイディアノートに書き込んだ。それこそ水を飲むのも忘れて途中くらくらとして馬車の壁に凭れ掛かる。それでも手は止まらなかった。笑う顔、悲しむ顔、驚く顔、怪訝な顔…記憶の中の奥様の姿を思い出し、その指に身体に似合う装飾を考えていると時間はあっという間に過ぎていく。

(奥様に会ったら何を話そうか……。師匠の息子さんと一緒に製作をした話?父と母の為に揃いの指輪を作って渡した事?1年前より背がまた伸びた事?上達したと褒められた事?奥様はどんな話が聞きたいのだろう…?奥様は何を話してくれるだろうか)

同乗者は皆寝静まる馬車の中、1人夜空を見上げて屋敷に着いた先の事を考えて物思いに耽る。リリナグ程の熱気はない身知った町を幾つも通り過ぎ、屋敷との距離は近付いてくる。山間部で空を見ていると、数多の星が瞬き、ころころと流れていく光景を見た。それに創作意欲をかき立てられたコルゼットは、毎年依頼を頂くお礼として、リリナグの潜源石で作ったガラスの中に発光する鉱石を散りばめて流した物を贈ろうかと考えた。勿論、今年は潜源石を持参していないので、屋敷で作る事は出来ない。実際に奥様に贈る事になるのは、来年になるだろう。そう思った所、ガタンと馬車が揺れてふと我に返った。

(ああ、もう来年の事を考えてしまっている)

コルゼットはいい加減眠ろうと身体に掛け布をして目を閉じた。朝になる頃には屋敷近くの町に着いているだろう。

(その町で服を着替えて、風呂に入って、洗濯して……身だしなみを整えて行こう。屋敷の方々への手土産は、以前美味しいと言っていた菓子を道中の町から既に購入したから、忘れずに持って行こう。奥様へは…)

掌でスーツの内ポケットに入っている小袋の存在を確かめた。リボンで口を閉められた布製の小袋の中には、小さな宝石が入っている。依頼で指輪に使用する物とは別で、コルゼットが個人的に用意した品だ。仕入れで他の町に出向いた際、混じり気のない綺麗な輝きを潜ませた原石を見つけて、コルゼット自身が研磨した宝石だった。

(喜んで頂けるだろうか……奥様……)

きちんと内ポケットにある事を確認し安心した途端、眠気が襲ってくる。馬車の中にはコルゼット以外の客は居ない。町に着いたら御者が起こしてくれるだろうと思って意識は闇に落ちてゆく。


屋敷に到着すると、いつものように執事がコルゼットを出迎えた。毎年顔を合わせるが、年々その顔に刻まれた皺は深くなっている。

「いらっしゃい、コルゼット君。今、奥様は……少しばかりお疲れでね。会うのは明日になりそうだ、すまないね」
「そうですか…わかりました。お大事になさって下さいと奥様にお伝え頂ければ。あの…これ、皆さんで召し上がって下さい」
「おやおや、ありがとう。こんなに貰ってしまって…中休みにでも皆に配ろう。コルゼット君の部屋に案内しよう」
「いえ、毎年の事ですので、場所はわかっていますよ」
「はは、そうだな。では飲み物を用意するから、暫く部屋で寛いでいてくれ」

コルゼットは執事と別れると、奥様の部屋の隣の製作部屋、またその隣の自分に用意された寝泊りの為の部屋に入った。中の様子は変わらず、テーブルの上には菓子が詰まった缶が置かれていた。

(もう子どもではないというのに。奥様が用意させたんだろうか)

荷物を置くと、スーツの上を脱いでクローゼットの中に仕舞った。帽子は鏡の側にあるコートラックの上に置いた。櫛で丁寧に撫でつけた髪は、帽子に押されてさらにきっちりと纏まっていた。本日の面会は無いと聞いたが、それでも折角纏めたのだからと、そのままにしておいた。部屋で荷物の整理をしていると、紅茶を運んできたメイドが部屋の扉をノックした。返事をすると中に入り、テーブルの上にポッドとティーカップを置いて、紅茶を注いでくれた。

「久しぶりね、コルゼット君」
「ええ、1年ぶりですね」
「すっかり大人の様な姿に……随分素敵な殿方になったって、執事が皆に言ってましたよ?」
「いえ、そんな…」
「今回も1か月間の滞在ですよね?」

荷物整理の手を止めて椅子に座ると、部屋にあった缶の中にあるのとは別の菓子を目の前に置いた。屋敷のシェフが腕を振るった、洋酒が香るしっとりと焼かれた貝の形のマドレーヌと、シナモンのスパイスがアクセントのオレンジケーキ。メイドは一つ一つ菓子の説明をして、コルゼットに勧めた。何でも最近はシェフの補助をする事があり、自身も菓子作りに興味が出て来たらしい。コルゼットは菓子を頂きながら、最近の屋敷の様子についてメイドに尋ねた。

「屋敷は前と変わりないですか?」
「ええ……おおむね」
「相変わらず見事な庭園でしたね、庭師の方はご健在で?」
「元気よ。今度はハーブなんかも裏の花壇に植えてみるって張り切っているもの」
「庭師の方は、花や木の専門じゃありませんでしたか?裏の花壇はシェフの方が珍しい野菜を植える為の場所だと」
「……心境の変化なのかしらね」

メイドとの会話は時折詰まる事があり、コルゼットは何か違和感を感じていた。それが明確になったのは、奥様の話題を振った時であった。

「奥様はお元気ですか?」

メイドは見るからに気まずそうな顔をして、何と答えようか迷っている様子だ。コルゼットはフォークを置いて、メイドに優しく問い詰めた。

「何処か具合が悪いのでしょうか?奥様にはもう何年もお世話になっていますから心配です。お教え頂けませんか?」
「…でも」
「お願いします。製作の依頼を頂き訪れましたが、御加減が優れないのであれば、ご迷惑になる前に帰りますので」

メイドは重い口を開いた。

コルゼットはメイドが帰った後、奥様の部屋の前に立っていた。小さくノックをした後、「コルゼットです」と中に声を掛けた。

「御加減が優れないと聞きました。奥様とお話しするのを楽しみにして、リリナグから参りましたが………本日はこの扉の前での御挨拶とさせていただきます。奥様にお渡ししたい贈り物を持参いたしました。床に置くのは格好がつかないので…扉近くの花瓶の後ろに置いておきます。ご自愛ください」

扉の前で礼をすると、コルゼットは自室に戻って行った。奥様からの返事は無かった。
そしてその夜、屋敷がある辺りは雷雨に見舞われていた。奥様の使用人達との夕食を終え、身を清めたコルゼットは、早々に眠りに就こうとしていた。

(奥様……旦那様の訪れが無いのを気に病んで、お身体を壊していたなんて…)

目を瞑っていてもコルゼットは奥様の事ばかり考えていた。愛人という儚い立場で、どのような心痛を味わってきたのだろうと思うと胸が張り裂けそうであった。

「…コルゼット」
「?」

扉の方で自分の名前を呼ぶ声がした。コルゼットは寝床から起き上がり、扉の方に歩を進める。雷が一瞬光る時に室内を照らしていた。扉の鍵を開けて半分程開くと、扉の外には奥様の姿があった。

「奥様…」
「コルゼット…」

髪は乱れているが、相変わらずの美しさだった。しかしその顔は悲しみに歪んでいた。

「奥さ…」

奥様の姿を見たコルゼットは驚くとともに胸の高鳴りに襲われる。寝間着姿の奥様はコルゼットの頭の後ろに腕を回すと、その唇に口付けた。コルゼットは固まった。唇が離れると、奥様は瞳を潤ませ、熱い眼差しでコルゼットを見ていた。

「奥様……っ!」

コルゼットは奥様に口付け、その身体を掻き抱いた。奥様を部屋に入れ鍵を閉めると、2人は寝床で縺れた。かつての少年は、青年であり男へと成長していた。

外は轟音のような雷雨。少年の幼気な恋は、嵐の夜に愛と成った。



グンカは風呂上がりに、ニスからナガルの元で働く事になった経緯を聞き出していた。

「それで、漁師として働いていた訳か。では一向に日焼けしたままなのも、漁に出ていたからだったのか」
「そう…船に乗って沖に行ったり、岩場で貝を獲ったり。網の修理の時は少し遅くなって…」

ギャリアーはリリナグ芸術祭に向けての作品作りと、正体不明の依頼主の所望する作品作りに没頭していた。豊作祭で仕入れた材料を使用し、毎日少しずつ作品を作り上げていく。工房からは夜遅くまでコツコツといった音が部屋に漏れていた。

実は最初の手紙が来た次の週に、追加の手紙が配達員により届けられていた。内容は、製作の労いと、早目に作品が出来上がれば、直ぐに受け取りたい、以前のギャリアーが製作した作品と並べて展示するつもりである、という旨であった。

「急かされてるのか?まあ、前払いされているし、前からの客だろうから、少し前倒しで進めるか」

潜源石のガラス玉が煌々と工房を照らしている。職人の手で刻まれた木材は、完成とは遠い大雑把な形を得て、それからまた削られてゆく。その度に木屑がふわふわと落ちてギャリアーと床に降り積もる。ある程度削ったならば一度離れて全体を見て、また少し削って調整、それを繰り返す。途方もない作業である。

そろそろ眠ろうか、という時には、額に背中に汗をかいて、風呂に入った甲斐がない。工具を手入れして仕舞い、服から木屑を払い落として掃除をする。どんなに忙しい時でも、手入れと掃除は欠かさないように、という師匠の言い付けを忠実に守っていた。最後に工房に置いてあるガラス玉に布を被せて、工房から出ると、すうすうと寝息を立てるグンカの姿を確認して、その隣にニスが眠っているか確認する。

「?…居ない」
「お疲れ様…」

声のした方に目を向けると、ニスはコップを持って、台所の影になっている場所で立っていた。窓から入る風は赤い髪を揺らし、その少し跳ねた毛先を月の光が照らしている。

「お水、飲む…?それともお酒…?」
「酒にしようかな」

ニスは、コップに3センチ程ワインを注いで渡す。いつもその位を飲んでいるのを知っていた。ギャリアーは礼を言ってコップを受け取った。コップを少し傾けて、生温い気温の室内の中、酒をちびちびと飲む。本来は一気に飲み干してから、水を飲んで眠るのだが、ニスが起きているのでゆっくり飲む事にした。

「起こしたか…?」
「いえ、少し喉が渇いただけ……手紙の依頼…?」
「ああ、早めに出来たらすぐに連絡してくれってさ」
「いつでもって話だったわよね…」
「新しい手紙が届いたんだ。多少余裕はあるし、前払いの客だから都合はつけるさ。…どうやら俺が前作ったのと一緒に展示するらしい」
「前?…あっ」

ニスが風でふわりと舞い上がった前髪を押さえた。日焼けした腕が月光に照らされる。

「文章を読むに…ここ最近の客じゃないかな…?ここに店を構える前かも」
「ずっとここじゃないの…?」
「うん。前はリリナグ・ピオンで技師やってた」

暗闇でギャリアーの方を振り返ったのだろう、赤い毛先が月の光の届かない陰に隠れた。

「知らなかった…」
「そうだっけ?」
「ええ」

輝く月も瞬く星も見えない室内で、穏やかに夜が更けていく。布から漏れる潜源石の輝きが、ぼんやりと室内を照らし、眩い月光は2人の一部と寝ているグンカを照らす。

「そう言えば…ここに来てから知り合った人には言ってなかったかも」
「…秘密主義?」
「……そうだな」

あと一口を飲み干すと、冷蔵庫から水のボトルを出して濯いだコップに注いだ。ニスにも要るか?とボトルを掲げてみせると、「いえ」と小さな声の返事が聞こえた。

「似た者同士なのかも」

ギャリアーはコップの水を一気に飲み干すと、「暑いな…」と言って作業着の上をはだけた。月明かりが汗をかいた肌を白く照らしている。

「俺は軽く汗流してから寝るよ」
「ええ、お休みなさい」

持っていたコップを洗ってホルダーに戻すと、衣服の前のボタンを全て開けて脱ぎながら脱衣所の方へ歩いていく。布から漏れるか細い潜源石の中の光がその背中の凹凸を照らして影を作った。

「……」

ニスは月光届かぬ暗闇の中、温くなってしまった水を煽った。

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