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屋敷編
一ヶ瀬の事
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主様の領域から近い仲見世、谷町。道の両側にずらりと並んだ見世が渓谷のようだと、この町を訪れた誰かが言ってその名が流れ始めた。また、その仲見世にて営む者達がその町を呼ぶ、別の呼び名も存在する。先頭の文字は、町に程近い場所にいらっしゃる神様である、双面忌福の龍神様の龍を頂いて付けている。その名も龍谷町。主様の屋敷では、主人以外にも全使用人の分の食糧も含めて大量に仕入れる為、一番の御大尽として町をあげて迎え入れている、と印象付ける打算的な目論見もある。だから花見宴会の時期になると、屋敷の者達は商人たちに足止めされ、いつ宴会の予定か、良い品を用意したと捕まってしまう。
「いいですか稲葉殿。商人たちにちやほやされたからと言って、買い付けの約束などされませぬように。その時は、稲葉殿の給金から没収いたしますので、ゆめゆめお忘れなきように」
一ヶ瀬の目は本気だった。なあなあで済ませてやろうと企んでいた稲葉も、一時沈黙してしまう程の気迫であった。その言葉が本気であると、信じるに足る根拠を出してきたことも大きい。一ヶ瀬は懐から呪いの掛かった誓約書を出してきた。
「これに指をついて下さい」
「せ、せいやくしょ!?」
「何だそりゃ」
稲葉が持っている誓約書を洛中が覗き込む。すると一ヶ瀬の部下達も集まり、誰かが紙面に書かれた内容を読んだ。”一ヶ瀬の承認を得ずに花見宴会の食材の売買契約をした場合、契約者が毎月の給金にて返済致します”
「ここに名前と押印を…」
「い、稲葉を信頼していないのですか!?一ヶ瀬先輩!?」
「ああ、俺が信頼するのは本匠殿だけだ」
「酷う御座います!可愛い後輩稲葉にそのような物言いを!」
「いや、本匠殿以外信じていないから…別に稲葉だけではないので安心してくれ」
「おいおい、とんでもねえ事言ってるぞ!?」
一ヶ瀬の光の無い瞳から本気を感じ取った稲葉は、絶対に一ヶ瀬に許可を取るからとお願いして誓約書は勘弁して貰った。
「そういえば、一ヶ瀬殿が屋敷で奉公するきっかけを聞いてませんね」
「そうだな。おい一ヶ瀬、話してみろよ」
「……面白い話でもありませんよ?」
一ヶ瀬から語られたのは、洛中の経緯が霞む程の物語であった。
「生前、西の方で人切りをしていまして。この天界に昇ってからも、仇討の代理、辻斬り等をしておりました所、神様も切り捨てられる武器があるとの噂を耳にしまして。それで仇討を請け負いながら各地を流浪していました。偶々剣術の練習がしたくなりました私は、闇に乗じて人を襲ったのですが、それが本匠殿でした。本匠殿は呪いも使わずに、圧倒されまして…私はついに、私より強い剣の使い手に出会い、病以外で死を迎えられると大変喜んでいたのですが…」
粛々と語る一ヶ瀬に、背筋が凍っていく一同。稲葉は不仲だった洛中と身を寄せて、一ヶ瀬から距離を取っていた。
「死ぬ前に身の上を話せと言われて、私を打ち負かす使い手の命ならば従わなければと思い、生まれてから…初めて人を切った時、見出されて人切りとして活動し、西国に名を残す程になったこと…いつしか自身より強き者に倒されたいと願望を持つようになったこと等を話しました。打ち負かした相手の言う事ならば聞くのか、と本匠殿が仰り、私は肯定しました。そんな事で本匠殿が私を屋敷に連れ帰り、ご指導くださったのです」
「そういえば…先輩たちに聞いても、一ヶ瀬先輩はいつから居たのかわからないと…」
「ああ、私は中々人切り衝動が抜けませんで、まだ使用人達と共に過ごすには早いと、ほぼ幽閉のような状態で学んでおりました。勿論主様も御蔭様も御存じの事です」
「あ、主様は心が広すぎで御座います!」
「ご安心を。今は人切り癖が抜けましたから。本匠殿のお墨付きです」
「なら大丈夫でございますね!いやあ~稲葉はいつ切り捨てられるかと!はっはっは」
呑気に笑う稲葉にそれでいいのか?と疑問に思う一同であったが、洛中は意外と骨のある奴かもしれないと稲葉を勘違いしたのだった。
「いいですか稲葉殿。商人たちにちやほやされたからと言って、買い付けの約束などされませぬように。その時は、稲葉殿の給金から没収いたしますので、ゆめゆめお忘れなきように」
一ヶ瀬の目は本気だった。なあなあで済ませてやろうと企んでいた稲葉も、一時沈黙してしまう程の気迫であった。その言葉が本気であると、信じるに足る根拠を出してきたことも大きい。一ヶ瀬は懐から呪いの掛かった誓約書を出してきた。
「これに指をついて下さい」
「せ、せいやくしょ!?」
「何だそりゃ」
稲葉が持っている誓約書を洛中が覗き込む。すると一ヶ瀬の部下達も集まり、誰かが紙面に書かれた内容を読んだ。”一ヶ瀬の承認を得ずに花見宴会の食材の売買契約をした場合、契約者が毎月の給金にて返済致します”
「ここに名前と押印を…」
「い、稲葉を信頼していないのですか!?一ヶ瀬先輩!?」
「ああ、俺が信頼するのは本匠殿だけだ」
「酷う御座います!可愛い後輩稲葉にそのような物言いを!」
「いや、本匠殿以外信じていないから…別に稲葉だけではないので安心してくれ」
「おいおい、とんでもねえ事言ってるぞ!?」
一ヶ瀬の光の無い瞳から本気を感じ取った稲葉は、絶対に一ヶ瀬に許可を取るからとお願いして誓約書は勘弁して貰った。
「そういえば、一ヶ瀬殿が屋敷で奉公するきっかけを聞いてませんね」
「そうだな。おい一ヶ瀬、話してみろよ」
「……面白い話でもありませんよ?」
一ヶ瀬から語られたのは、洛中の経緯が霞む程の物語であった。
「生前、西の方で人切りをしていまして。この天界に昇ってからも、仇討の代理、辻斬り等をしておりました所、神様も切り捨てられる武器があるとの噂を耳にしまして。それで仇討を請け負いながら各地を流浪していました。偶々剣術の練習がしたくなりました私は、闇に乗じて人を襲ったのですが、それが本匠殿でした。本匠殿は呪いも使わずに、圧倒されまして…私はついに、私より強い剣の使い手に出会い、病以外で死を迎えられると大変喜んでいたのですが…」
粛々と語る一ヶ瀬に、背筋が凍っていく一同。稲葉は不仲だった洛中と身を寄せて、一ヶ瀬から距離を取っていた。
「死ぬ前に身の上を話せと言われて、私を打ち負かす使い手の命ならば従わなければと思い、生まれてから…初めて人を切った時、見出されて人切りとして活動し、西国に名を残す程になったこと…いつしか自身より強き者に倒されたいと願望を持つようになったこと等を話しました。打ち負かした相手の言う事ならば聞くのか、と本匠殿が仰り、私は肯定しました。そんな事で本匠殿が私を屋敷に連れ帰り、ご指導くださったのです」
「そういえば…先輩たちに聞いても、一ヶ瀬先輩はいつから居たのかわからないと…」
「ああ、私は中々人切り衝動が抜けませんで、まだ使用人達と共に過ごすには早いと、ほぼ幽閉のような状態で学んでおりました。勿論主様も御蔭様も御存じの事です」
「あ、主様は心が広すぎで御座います!」
「ご安心を。今は人切り癖が抜けましたから。本匠殿のお墨付きです」
「なら大丈夫でございますね!いやあ~稲葉はいつ切り捨てられるかと!はっはっは」
呑気に笑う稲葉にそれでいいのか?と疑問に思う一同であったが、洛中は意外と骨のある奴かもしれないと稲葉を勘違いしたのだった。
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