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屋敷編
洛中の事
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洛中は屋敷で奉公する前、主様の領域から東の遠方で住処も持たず辺りをうろついていた宿無人であった。見世や商家に雇われていた事もあるが、そこで先に奉公していた先輩に生意気だと憎まれ、計略によって追い出されてしまった。洛中は当然怒り狂った。仕返しにと、深夜に先輩の所帯を訪れ、金子や食糧、着物、布団、家財全てを強奪してやった。唯一嫁御の着物だけは剥ぎ取らずにおいてやり、先輩は身ぐるみ一式奪い、褌さえも剥ぎ取った。そして、憎き先輩を簀巻きにして川に放り込んでやろうと思い立った洛中は、嫁御に助けてくれと懇願されながら先輩を縄で縛っていると、「もし」と声を掛ける者があった。洛中は出入り口の方を見た。それなりに身形の良い奉公人といった風情の人物であった。その者は洛中に何故そのような事をすると問う。洛中は今まで先輩に受けた仕打ちをつらつらと述べ、これから川流れの刑に処し、己の鬱憤を晴らしてやるのだ、と話した。先輩は嫁御に詰られながら、泣いて許してくれと叫ぶ。するとその奉公人は、「流せばよかろう」と言って洛中を手伝い出した。洛中は不気味に思いながらも、奉公人と共に先輩を川まで運搬した。
いざ、流してやろうと簀巻きにした先輩を引き摺っていると、奉公人は川の下流の方に移動して、洛中の方を見ていた。隣には、最早旦那の命を諦めて泣くばかりの嫁御がいる。洛中はチクリと良心が痛んだが、これまでの日々を思い返して先輩を川に投げ込んだ。先輩は悲鳴を上げてごうごうと流れる川に飲みこまれていく。これでやっと気持ちが晴れる、そう思って踵を返そうとした時、嫁御の「きゃあ」という声がした。何事かと振り返ると、嫁御は旦那を助けようと川へ飛び込んで、自らも流されていた。洛中は心底驚いたが、考える間もなく一目散に下流に向かって駆けた。先輩は許せないが、嫁御は別。洛中は駆けに駆けて嫁御と先輩に並走すると、嫁御に向かって手を伸ばした。嫁御は洛中の手を掴む。洛中は思い切り陸に向かって引っ張るが、流れの方が強くて嫁御の腕が痛むだけだ。洛中は嫁御に先輩を掴む手を離せと怒号を飛ばした。しかし嫁御は離さない。川の流れは速く、川に突っ込んでいる洛中の片足も踏ん張りが利かなくなってきた。ずりずりと洛中の身体が川に引かれ、ついには堪えきれなくなって2人共々川に飲みこまれた。天界に於いて、死が訪れるのは肉体の損傷が著しい時、魂が破壊された時、というのが一般的な認識である。では、川で溺れた場合は?洛中は苦しみの間際にそんな事を考える。苦痛と共に死ぬのか、それとも苦痛は川から上がるまで続くのか。遂に嫁御と先輩の顔が川に沈んだ。洛中も直にそうなるであろう。
この上ない息苦しさと、身体が岩や石に削られる痛みに苛まれていると、突如あの奉公人の声がした。何を言っているのかはわからない。しかし、3人の身体が川の水により宙に浮き、陸へと運ばれた事で、奉公人が何かしたのだという事はわかった。嫁御は咳き込みながら旦那の頬を張る。何発か強かに張ると、旦那は水を吐き出して咽び泣く。奉公人がゆっくりと歩いてきて、ぜえぜえと息をする洛中に言葉を掛ける。「憎きは流れたか」と。洛中はふてくされた顔で舌打ちを返すだけ。奉公人は「川流れの刑は終わった」と言って、先輩の縄を解いてやって嫁御とともに家に帰らせた。洛中にも居所に帰るように言うと、そんなものはないと答えた。奉公人は思案して、「ならば、知り合いの屋敷に口利きしよう」と懐から紙を出して何やら筆で書きこむと、その紙を鳥に変えてどこかへ飛ばした。それから洛中にも鳥を授けて、「この鳥を追って行け、そして屋敷の者にこの鳥を見せろ」と言い残し、何処かへ去ってしまった。洛中は、わけもわからず鳥を追って屋敷に辿り着くと、表を掃除していた屋敷の者に鳥を見せた。すると屋敷の中に通され、使用人の下っ端の衣を与えられて厨房に送られた。
「後から頭に聞いたらよ、俺を屋敷にやってくれたお人っていうのが、頭が以前奉公していた神様で、座から退いて各地を放浪してたらしい。心底悪人じゃないってんで、屋敷を紹介してくれたんだと」
「稲葉は本匠先輩に才を見いだされ…」
「嘘だろ」
(あ~~ッ!結局稲葉が付いてきてしまった…!)
道中までの暇を潰そうとして、各々が屋敷で奉公するきっかけとなった話を披露していた。何だかんだ盛り上がり、今更稲葉は帰れと言える雰囲気ではない。稲葉の嘘を早々に見破った洛中に、部下達も声をあげて笑った。
いざ、流してやろうと簀巻きにした先輩を引き摺っていると、奉公人は川の下流の方に移動して、洛中の方を見ていた。隣には、最早旦那の命を諦めて泣くばかりの嫁御がいる。洛中はチクリと良心が痛んだが、これまでの日々を思い返して先輩を川に投げ込んだ。先輩は悲鳴を上げてごうごうと流れる川に飲みこまれていく。これでやっと気持ちが晴れる、そう思って踵を返そうとした時、嫁御の「きゃあ」という声がした。何事かと振り返ると、嫁御は旦那を助けようと川へ飛び込んで、自らも流されていた。洛中は心底驚いたが、考える間もなく一目散に下流に向かって駆けた。先輩は許せないが、嫁御は別。洛中は駆けに駆けて嫁御と先輩に並走すると、嫁御に向かって手を伸ばした。嫁御は洛中の手を掴む。洛中は思い切り陸に向かって引っ張るが、流れの方が強くて嫁御の腕が痛むだけだ。洛中は嫁御に先輩を掴む手を離せと怒号を飛ばした。しかし嫁御は離さない。川の流れは速く、川に突っ込んでいる洛中の片足も踏ん張りが利かなくなってきた。ずりずりと洛中の身体が川に引かれ、ついには堪えきれなくなって2人共々川に飲みこまれた。天界に於いて、死が訪れるのは肉体の損傷が著しい時、魂が破壊された時、というのが一般的な認識である。では、川で溺れた場合は?洛中は苦しみの間際にそんな事を考える。苦痛と共に死ぬのか、それとも苦痛は川から上がるまで続くのか。遂に嫁御と先輩の顔が川に沈んだ。洛中も直にそうなるであろう。
この上ない息苦しさと、身体が岩や石に削られる痛みに苛まれていると、突如あの奉公人の声がした。何を言っているのかはわからない。しかし、3人の身体が川の水により宙に浮き、陸へと運ばれた事で、奉公人が何かしたのだという事はわかった。嫁御は咳き込みながら旦那の頬を張る。何発か強かに張ると、旦那は水を吐き出して咽び泣く。奉公人がゆっくりと歩いてきて、ぜえぜえと息をする洛中に言葉を掛ける。「憎きは流れたか」と。洛中はふてくされた顔で舌打ちを返すだけ。奉公人は「川流れの刑は終わった」と言って、先輩の縄を解いてやって嫁御とともに家に帰らせた。洛中にも居所に帰るように言うと、そんなものはないと答えた。奉公人は思案して、「ならば、知り合いの屋敷に口利きしよう」と懐から紙を出して何やら筆で書きこむと、その紙を鳥に変えてどこかへ飛ばした。それから洛中にも鳥を授けて、「この鳥を追って行け、そして屋敷の者にこの鳥を見せろ」と言い残し、何処かへ去ってしまった。洛中は、わけもわからず鳥を追って屋敷に辿り着くと、表を掃除していた屋敷の者に鳥を見せた。すると屋敷の中に通され、使用人の下っ端の衣を与えられて厨房に送られた。
「後から頭に聞いたらよ、俺を屋敷にやってくれたお人っていうのが、頭が以前奉公していた神様で、座から退いて各地を放浪してたらしい。心底悪人じゃないってんで、屋敷を紹介してくれたんだと」
「稲葉は本匠先輩に才を見いだされ…」
「嘘だろ」
(あ~~ッ!結局稲葉が付いてきてしまった…!)
道中までの暇を潰そうとして、各々が屋敷で奉公するきっかけとなった話を披露していた。何だかんだ盛り上がり、今更稲葉は帰れと言える雰囲気ではない。稲葉の嘘を早々に見破った洛中に、部下達も声をあげて笑った。
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