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御殿編
憎悪を抱えて生きてゆく
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「恨みは捨てられなかった」
「……」
その言葉を聞いた主様は僅かに俯いたように見えた。膝に手を置いて、ナジュの話の続きを静かに聞いている。
「答えも気持ちも変わらない、座に就いて…俺は力を手に入れる。それを了承出来ないというなら、今ここで……消滅させて欲しい」
襖に耳をつけて話をこっそり聞いていた使用人達、股右衛門は息を呑む。この天界において、魂の死とは二つある。一つは転化。次の世に生を受けるために、天界の管理者の元に赴き、肉体を捨て魂だけの状態となる。そして輪廻の輪の中に加えられ、再び命を授かる。もう一つは消滅。神様達が操る神通力を用いて魂を壊す。すると肉体も魂も霧散し存在は消え失せる。ナジュが天界について股右衛門から教えて貰った時に得た知識だ。それが今、ナジュの運命の分かれ道の一方になっている。股右衛門は、こんなことなら聞かれるままに教えるんじゃなかったと後悔し始めている。畜生、と頭を抱える股右衛門の肩を叩いて、気落ちしないように励ます本匠。その側で一番新入りの瓜絵が不安そうに成り行きを聞いている。
(私は…どうすれば良いのだ……御蔭)
主様はナジュの決意は固いと見て、御蔭に一縷の望みをかけて相談する。ナジュの願いを袖にして、神になるのも消滅も許さない事は簡単だ。人格を捻じ曲げて主様を愛するように変える事も。そうしたら、2人きりで過ごす穏やかな毎日が手に入る。縁側で寄り添ってのんびり庭を眺めるというささやかな望みも叶う。しかし、神通力を使って得る幸せは、偽物でしかない。人形遊びと何もかわらない。
(御蔭……!)
「恐れながら…」
御蔭は主様の側に寄り耳打ちする。ナジュや稲葉や外で聞き耳を立てている使用人達にも気付かれないような声で。
「…ここは、願いを叶えてやるのが最善かと」
(……)
「主様がその気ならば、とうにそのお力でもって呪いを掛け、このような状況にはなってはおりますまい?…僭越ながら申しますと、今…当人の望みを叶える意外に、かの者の心が主様に向く事は少々難しいかと…」
(……あの座に、神になる手伝いをしろと言うのか)
「…直ぐに成れる訳では御座いません。保証もない。学舎で適性なしと判断されれば、この御殿に帰ってくる他御座いません。身寄りなき身の上ですから」
(…そうだろうか)
提案に揺れている主様を見て、御蔭は内心最善ではないが思い通りに事が運ぶ気配がしてほくそ笑む。
(ナジュを排斥すればいい。この御殿から追い出せれば、次第に主様の寵愛も途切れるだろう)
「主様…あまりに待たせるのは酷です。この者は相応の覚悟を持って主様の前に居ます。お返事を……」
(ナジュ……)
主様はナジュの瞳を見つめる。黒い中心に宿っている、焼き爛れる程の憎悪の炎がそこにある。主様は小さく抑えたため息を吐くと、御蔭に答えを伝えて自分は先に部屋を出る。
「お待ちくだされ!主様ー!」
1人で先んじて行ってしまった主様を稲葉が追いかける。部屋にはナジュと御蔭だけが残り、視線が絡む。灯籠に照らされた御蔭の精悍な顔の半分は影で覆われている。御蔭は主様の答えを代弁する。
「許す、と」
御蔭は僅かに微笑んでいた。
「…どちらを」
「お前を神に」
「……そうか。あいつは」
「かなり迷われたのだ、お前を手元に置いておきたいと。主様の寛大な心に感謝する事だ」
御蔭はこれからの事は後日伝えると話し、部屋から出て行った。
「……」
ナジュは一人、暗い喜びに浸る。恐る恐る部屋の中を覗いた股右衛門には、口端を歪に上げた横顔が見えた。
「……」
その言葉を聞いた主様は僅かに俯いたように見えた。膝に手を置いて、ナジュの話の続きを静かに聞いている。
「答えも気持ちも変わらない、座に就いて…俺は力を手に入れる。それを了承出来ないというなら、今ここで……消滅させて欲しい」
襖に耳をつけて話をこっそり聞いていた使用人達、股右衛門は息を呑む。この天界において、魂の死とは二つある。一つは転化。次の世に生を受けるために、天界の管理者の元に赴き、肉体を捨て魂だけの状態となる。そして輪廻の輪の中に加えられ、再び命を授かる。もう一つは消滅。神様達が操る神通力を用いて魂を壊す。すると肉体も魂も霧散し存在は消え失せる。ナジュが天界について股右衛門から教えて貰った時に得た知識だ。それが今、ナジュの運命の分かれ道の一方になっている。股右衛門は、こんなことなら聞かれるままに教えるんじゃなかったと後悔し始めている。畜生、と頭を抱える股右衛門の肩を叩いて、気落ちしないように励ます本匠。その側で一番新入りの瓜絵が不安そうに成り行きを聞いている。
(私は…どうすれば良いのだ……御蔭)
主様はナジュの決意は固いと見て、御蔭に一縷の望みをかけて相談する。ナジュの願いを袖にして、神になるのも消滅も許さない事は簡単だ。人格を捻じ曲げて主様を愛するように変える事も。そうしたら、2人きりで過ごす穏やかな毎日が手に入る。縁側で寄り添ってのんびり庭を眺めるというささやかな望みも叶う。しかし、神通力を使って得る幸せは、偽物でしかない。人形遊びと何もかわらない。
(御蔭……!)
「恐れながら…」
御蔭は主様の側に寄り耳打ちする。ナジュや稲葉や外で聞き耳を立てている使用人達にも気付かれないような声で。
「…ここは、願いを叶えてやるのが最善かと」
(……)
「主様がその気ならば、とうにそのお力でもって呪いを掛け、このような状況にはなってはおりますまい?…僭越ながら申しますと、今…当人の望みを叶える意外に、かの者の心が主様に向く事は少々難しいかと…」
(……あの座に、神になる手伝いをしろと言うのか)
「…直ぐに成れる訳では御座いません。保証もない。学舎で適性なしと判断されれば、この御殿に帰ってくる他御座いません。身寄りなき身の上ですから」
(…そうだろうか)
提案に揺れている主様を見て、御蔭は内心最善ではないが思い通りに事が運ぶ気配がしてほくそ笑む。
(ナジュを排斥すればいい。この御殿から追い出せれば、次第に主様の寵愛も途切れるだろう)
「主様…あまりに待たせるのは酷です。この者は相応の覚悟を持って主様の前に居ます。お返事を……」
(ナジュ……)
主様はナジュの瞳を見つめる。黒い中心に宿っている、焼き爛れる程の憎悪の炎がそこにある。主様は小さく抑えたため息を吐くと、御蔭に答えを伝えて自分は先に部屋を出る。
「お待ちくだされ!主様ー!」
1人で先んじて行ってしまった主様を稲葉が追いかける。部屋にはナジュと御蔭だけが残り、視線が絡む。灯籠に照らされた御蔭の精悍な顔の半分は影で覆われている。御蔭は主様の答えを代弁する。
「許す、と」
御蔭は僅かに微笑んでいた。
「…どちらを」
「お前を神に」
「……そうか。あいつは」
「かなり迷われたのだ、お前を手元に置いておきたいと。主様の寛大な心に感謝する事だ」
御蔭はこれからの事は後日伝えると話し、部屋から出て行った。
「……」
ナジュは一人、暗い喜びに浸る。恐る恐る部屋の中を覗いた股右衛門には、口端を歪に上げた横顔が見えた。
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