127柱目の人柱

ど三一

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御殿編

後朝

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湯殿から出た主様は、佇まいを整えて御殿に戻っていた。渡り廊下を歩いても、誰ともすれ違わない。主様の寝所であり生活空間である御殿は人払いがされている。ここに許可無く出入りできるのは側人である御蔭のみ。声を出さないように、極力危険を減らした結果、静まり返った屋敷で過ごす日常を主様は寂しく思っていた。それ故に共に過ごせる伴侶を欲し、美しい蓮の池を日々通りがかっていた。

(ナジュは眠っているだろうか?私の寝所で共寝をしてみたかったのだが…)

主様は御蔭が用意した布団に座り、一つしかない高枕に肘を置いて考える。御蔭の指南通りの真心が伝わっただろうか。声を出せない代わりに、沢山触れ合い好意を伝えたかった。

(贈り物を気に入ってくれたと良いが…。御蔭にはやり過ぎだと止められてしまったのが今更気になる…!私の好きな菓子をナジュも好んでいれば、茶に誘うきっかけともなり仲睦まじく…)

主様はナジュを抱いた後でもずっとナジュのことを想っていた。

(声で伝わらぬなら筆で…後朝の文を送っても……しかし返事が来なかったら悲しい)

主様は文箱を戸棚より取り出す。先ずは書いてみることにした。

(最初に身体の心配をして良いのか…?愛おしいと気持ちが先…。湯殿で別れたが、今すぐにでも会いたい事は伝えたい。「贈り物は気に入ってくれたか?」…いや、気障ったらしい…。ああ決まらぬ…!後朝文は速さが命だと聞き齧ったというのに…!)

主様は書き損じを丸めて屑箱に入れる。ああでもない、こうでもないと何度も書き直した末に、納得できる文が出来る頃には、屑箱から紙が溢れて近くにころころ転がっていた。

(出来た…!後は私の花押を入れて…)

サラサラと書き入れると、乾かす為にそのまま置いておく。

(…香りもあるといいが)

主様は呪いで香りを付けようとして、庭先の梅が見頃だったのを思い出した。襖を開けると、履き物も履かずに庭に降りて、梅の香りが包む優雅な庭園から、梅の木の枝を一本手折った。数種類の梅の木の中で、特に甘やかな香りを放つものを選んだ。主様は部屋に戻ると、その枝を眺める。

(風流な御仁は、枝に文を付けて愛する者に贈るらしい。枝を取ったはいいが、この後は…)

手紙を巻き付けるのがいいか、枝を添えるのがいいか迷っていた。主様が恋文を贈るのは初めての事で、指南を受けようとしても頼りになる御蔭はナジュの身体を清めて手が離せない。側に使用人が控えているが、御蔭以外に恋文の相談をするのを恥ずかしく思う。

(文を巻き付けず、添えておく事にしよう)

主様は紙に要件を書いて使用人に見せる。そして文付きの枝を渡した。使用人の手に渡る寸前までこれで良いのかと不安を覚えながら胸を高鳴らせる。

(…風呂上がりだというのに、また汗をかいてしまった。少し拭うか)

主様は顔を隠している白布の結び目を解く。それを文机に置いて素顔になる。鏡面の如く磨き上げられた文机には、主様の顔が映る。さっぱりした顔立ちが、瞳の異様を際立たせている。瞳孔は瞳を縦に割り、怪し気に色を変える。主様の正体は、最初ナジュの寝ていた御簾の上の天井画に描かれていた龍。人型は変化した姿だった。神々から、信仰を集める民衆からは「双面の龍」と呼ばれていた。声を出さないようにしているのは、この呼称に理由がある。双面の龍としての主様を知らぬ相手を、伴侶に求めていた。

(ナジュにこの瞳を見せても怖がらないだろうか…)

すっきりした顔立ちに、その目だけが龍の迫力を残している。何かが逆鱗に触れ、その瞳が怒りに染まるのを神々や使用人達は恐れている。また、主様の自身も何かの拍子で声を出してしまわないかと、神通力で話をできる御蔭以外を遠ざける。

(この穏やかな縁側で、白布を外し微笑み合えれば…さぞ…)

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