ぽっちゃり幼馴染とサムライビッチ

綾 遥人

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30話 マーキング

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午後からいよいよ凛達の出場する一般の部が始まる。
 
 凛はストレッチを初めていた。
 そばには腕組みした親父さんの会長が見守っている。
 凛は試合経験も豊富だから、何かしら自分のルーチンで集中力を高めているだろう。邪魔はしたくないので控えめに声をかける。

「何か手伝う事はないか?」
 凛がいつも飲んでいるミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。

「今は大丈夫よ。連絡したら、ここに戻って来て。それまで翔吾に用はないわ」
 水を少し飲んでストレッチを再開。ヒリつく雰囲気をだしている。

「凛、どーしたよ? 今日はえらく入れ込んでるじゃねーか?」
 会長は顎の無精髭を撫でながらどこか嬉しそうな表情で話しかけるが、凛は『うるさい』と短く声を発しただけだった。

「ハイハイ、じゃあ俺はいつも通り観客席で見てっからよ。カッカしすぎて足元掬われんなよ?」
 ひらひら肩越しに手を振りながら控え室から会長は出ていく。

「じゃあ、俺もタマの様子を見てくる。何かあればすぐ呼んでくれ」

「堂々と浮気宣言とは、殺されたいのかしら?」
 ストレッチマットからユラリと立ち上がる。純度100パーセントの殺意が俺に叩きつけられ、背中にナイフを突きつけられたような気分になる

「浮気じゃないって! タマはずっと一緒に稽古してきた仲間だ。幼馴染みなんだから! それに…… 」

「それに? 何かしら?」
 さらに濃密な殺気と氷の視線。 
 慌てて辺りを見回し、掌を口元にあて凛の耳元で小声で話す。
 
「心配するな。俺が好きなのは、凛だって」
 かなり照れくさい。二回目の告白も妬いてくれてるのも。

「そ。分かったわ。だけど、私は心配してるのではなくて、気に入らないのは…… 」
 少し柔らかい表情になった凛が、俺がしたように口に手をあてて顔を寄せてくる。

(なんだ?)

 話を聞くために耳を向ける。
 凛のサムライとワセリンの匂い。
 温かい吐息と柔らかな唇が頬に触れて小さなリップ音を鳴らす。慌ててのけ反る俺の頭を抱えるように凛の腕が邪魔をする。頬に触れた柔らかい唇は場所を変えて、耳に小さな痛みが走る。

「な…何を……」
 驚き過ぎて言葉が出て来ない。これは呪いかなにかの儀式なのか?

「何って何にも言ってないわ。幼馴染みってワードが気に入らなかっただけ。それと、いきなり気持ち悪いことを囁かないでくれるかしら。危うく喰いちぎるところだったじゃない」

「怖いこと言うなよ……」

「ここにマーキングするのはまた今度。楽しみにしててね」
 軽い笑みを浮かべた凛が、ちょんちょんと自分の唇をつつく。

「そこには俺が先にマーキングしたいんだけどな」

「そ。楽しみね。じゃあ、幼馴染みでも妹の所にでも行けば?」
「お…おう、行ってくる」

(いきなりなんだったんだ?)
 まだ火照る頬に手をあてて控え室を後にした。

 タマと美羽は武道館の外でアップをしている。他の選手達と一緒にいないほうがタマの性格からして正解だと思う。タマは第一試合。三試合目が凛の試合だ。

「タマ、体は暖まってるな?」
「うん! 大丈夫だよ」
 見慣れた紺色の河野流の道着姿。
「おにぃ遅いよ! タマ姉のミット持つのは疲れるから…… あれ、どしたん? 顔真っ赤だよ?」
「凛にいいのを二発もらったからな」
「そんな暴力女、別れたらええんやないん?」
「普段、美羽が俺を殴るより痛くなかったんだがな? まあ、そんだけ調子がいいってことだ。タマ、コンビネーションの確認しておく、準備しろ」
「分かった」

「そういえば、咲那達はどこだ?」
 咲耶はこの試合の軽量級に出場予定だった。去年の敗戦の雪辱を果たすんだと言ってたくせに同じ高校に転校してきた対戦相手と仲良く河野流の道場で稽古に励んでいたのだが……

「なんか昨日の夜から咲那先輩も雪輪先輩も急用が出来て試合出れなくなったんやって」
「そうか、化け物同士の戦いも楽しみにしていたんだがな。残念だ」
 美羽からミットを受け取ってタマの前に立ってコンビネーションを確認する。
「よし、OKだ」
 試合開始10分前、そろそろ会場に行ったほうがいいだろう。

 タマの肩に手を置く。 
(こんなに細かったかな?)
十分にウォーミングアップした体から火照った体温と花束のような香りが伝わってくる。

「使ってくれてるんだな、香水」
「今日は特別な日だから初めてつけてみたんだよ。普段はもったいなくて使えないよ」
「使ってもらいたくてあげたんだ。タマに合ってると思う」
「ありがとう、翔くんに褒めてもらってスッゴク嬉しいんだけど試合のアドバイスも欲しいな」
「作戦は変わらない。前に前に出るタマの組み手をするだけだ。顔面へのパンチが禁止されてるんだ、怖がらずに突っ込んでいけ。だけどガードはしっかり上げておけよ。前蹴りと膝蹴りは特に注意しろ。蹴りが伸びる前に間合いを潰せ」
「うん! 翔くんに言われると不思議だね、怖くなくなる……」
 タマがふっと笑って顔を見上げる。上目づかいがあざといってよく言うが、この角度、顔が痩せて見えるんだな。芸能人の自撮りは上からのアングルが多いとも聞く。

(どんどん綺麗になっていくな……)
 一瞬、痩せた幼いタマの顔が思い浮かんで息が詰まる。
 タマは俺のシャツの裾を少しつかんで胸におでこをコツンとあてる。
 おそるおそるタマの少し汗ばむ髪をぽんぽんと撫でる。
「ごめんね、今日で最後にするから」
 タマの腕が背中に回りきつく抱きついて来る。
「おっおい、タマ……最後って……」
俺の腕はどうしていいか分からず空中でふらふらと彷徨っている。。

「お~タマねぇ大胆!」
傍で突っ立ていた美羽がにやけた顔で嬉しそうな声を上げる。
その声で我に返った。
「タッタマ、そろそろ時間だ。行かないと……」
背中を軽くタップするとタマが身体を離す。
「いっぱい、力をもらえたから私は大丈夫。これから頑張れるから。じゃあ、行ってくる!」
真っ赤な顔をしたタマが走っていく。

「タマ! 【石鉄斬しゃくまざん】と【蛇影だえい】は出来るなら最後まで使うな!」
「分かった!」
  走っていくタマの背中に最後のアドバイスを送る。
 
「おにぃ、タマ姉とこそこそ練習してたのは【石鉄】? 剣術の技やろ?【蛇影双穿掌だえいそうがしょう】はうちもこの大会では使わんかったんやけど……」
 会場まで美羽と並んで歩いていると美羽が不思議そうな顔で聞いてくる。

「タマが凛と対戦すると思って、試合で一度も使わなかっただろ?」
「バレてたか。でも【石鉄】って肘を使った技だからこの大会じゃ禁じ手やん」
「ディフェンスで使うんだよ。試合見ながら教えてやるよ」
「う~い、楽しみ!」
 【石鉄斬】も【蛇影】も松山河野流兵法師範 河野好古が編み出した技だ。中国拳法や古式空手を学んだ師範が剣術や体術に応用して生まれたと言っている。

 第一試合、タマの試合があるフロアの傍に腕を組んでフロアを眺める凛の隣に立つ。
「遅かったわね。もう試合が始まるわよ」
 タマはフロアの上で緊張した表情で胸に手を当てて深呼吸している。凛はその様子を瞬きもせずに見つめている。
「翔吾はどっちが勝つと思う?」
「タマに決まってるだろ? 俺の予想じゃ30秒でタマの勝ちだな」
「へぇ…… 初戦はじっくり攻めさせるんじゃないんだ」
「あれこれ考えるより一気に突っ込んでいって勝負を決める。タマのパンチは男子並みだ。いいのが当たれば腹に穴が開くレベルだな」
「冗談でもそんなこと言わないでよ」
「まぁ、見ていれば分かるよ」
 決して冗談を言ったつもりじゃないんだがな。
くすっと笑って凛が腕を絡めてくる。
「試合中いちゃいちゃ禁止!」
 美羽が俺の腕を抓ってくる。凛が美羽にデコピンの連撃を叩きこんでいる。
(俺が知らないうちに仲良くなっているな)
「翔吾、何を笑っているのかしら?」
「うん? いや、なんでもない」

 試合を告げる太鼓が鳴った。
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