伊予ノ国ノ物ノ怪談

綾 遥人

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2章

38話 六花

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 毘沙門さんがツナギのポケットから術札を抜く。

「……四柱神を鎮護し、五神開衢、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る……」
 はらりと落ちた2枚の術札。スルスルと地面から黒い影が湧きあがり華奢な少年と少女の姿に変わる。
 少年は袖のない作務衣の様な着物を着て、夜にもかかわらずその肌は赤黒い。艶やかな黒髪を乱暴に後頭部辺りで紐で縛り、手には体格に見合わない金属製の棍棒をぶら下げている。
 青白い肌の少女は浴衣の様な着物を着ている。両手にはの巨大な鉈をたおやかな手が握っている。

「厄介な式神だねぇ。久しぶりだよぉ、鬼なんかぁ見たのはぁ」
 オリーブ色の瞳に剣呑な光を宿らせた鬼灯が長い尾をくねらせる。
 鬼灯には街頭に照らされた二人の顔が見えていた。

 額から伸びる2本の角
 口元から覗く長い犬歯
 血を流したような深紅の双眸

 歳相応の愛らしい顔立ちを台無しにしている。

「桃太郎に襲われた鬼が島の生き残りだよ。うちの奥さんが苦労して手に入れたお気に入りでね。旦那の僕が嫉妬するくらいに可愛がってて、『僕の敵を倒せ』と命令されている」
 毘沙門さんはさらにポケットから形代と呼ばれる札の束を取り出し紙ふぶきのように頭上に投げる。術札は蝶のように羽ばたき渦を巻く様に舞っている。

「それじゃ、始めようか? 雪輪ちゃんは僕に任せて颯馬君は咲耶ちゃんを頼むよ」
 こちらを振り返り微笑む毘沙門さん。
「はっはい」
 毘沙門さんの前にたたずむ二人の鬼から放射される強力な妖気。一人一人が剣牙狼と言われた雨霧様と同等かそれ以上だ。 僕は大男3人に向かってダッシュする。

 背後では鬼灯か鬼達か? 空気を震わす咆哮が上がり、鋼と鋼を打ち合わせる甲高い金属音が響く。

 レイさんは先ほどの戦闘で足をやられ、おまけに麻痺状態で動けない咲耶を守るため2人の人狐の前に踏みとどまり牙を剥いている。猫又もレイさんと同じ状況だが、越智から精気をもらえず、越智に振り下ろされるバットを自らの身体を盾にして受け続けている。

【……人間。私はこれまでの様です。理恵さまを……守ってください】
「猫! すぐ行くけぇ我慢せぇ! 咲耶! 咲耶! 起きろ!」
 咲耶からは返事がない。
 レイさんをいたぶっていた人狐が振り返り僕の前に立ちふさがる。
 猫はもう限界だろう。さっきと比べて大きさは半分くらいまで小さくなっている。人狐は下種な笑みを浮かべて闘気を込めたバットを見せびらかすように振り上げる。
 
「猫! 諦めんなぁ! 【どけぇ!】」
 化身を越智の前に出現させる。刀を抜く暇はない!
 男が振り下ろすバットを手刀で弾き足払いの様なローキック。100キロ近い巨体は足を掬われて一瞬宙に浮かぶ。
「【オオオォォォ!】」
 飛び上がるように男の顎へ右ストレートを叩きこむ。河野流兵法体術――【迎雷むかえかずち
 化身の右手に顎が砕ける感覚が伝わってくる。

 倒れた人狐は顎を抑えて転げまわっている。

【おいっ猫、大丈夫か?】
 化身で猫を抱え上げる。真っ白だった毛並みは半透明に姿がぼやけて、黒い煙のような血をあちこちから流している。
【……人間、私は…もうすぐ…身体が…現出できなく…なります…】
【お前は、そんなぁでええんか? 越智をこれからも守るんじゃろがぁ! そっそうじゃ! 僕の眷属になれ! そうすれば助かるんじゃろ?】
 咲耶がレイさんを救ったように、猫を僕の眷属にすれば…きっと助かる!

【魅力的な…話ですね…飛びついて…しまい…そうですが…契約…前に…お願いがあります】
【なんじゃ? 早ぉ言えやぁ!】
【人間の…眷属になった後も…理恵様…を見守る…事を…承知…して…】
【越智の事じゃな? 分かったけぇ、名前を教えろ! 早ぉ!】
【私の…真名は『ゆき』】

 消滅寸前の『ゆき』の口に僕の血を含ませる。
【主様、私に名前を……】
「……お前の名前は『六花』、綺麗な雪の結晶の名前じゃ。僕は河野颯馬」
 この美しい猫の物の怪と僕の中の何かが共有されて精気が流れ込んでいく。
 弱弱しく僕の腕の中にいた六花は白銀の毛並みを取り戻し、僕の前で優雅に座っている。

【六花ですね。良い名です。これは……先代の主様をはるかに超える力が流れ込んできます】
 六花は自分の身体を確かめるように肩のあたりをぺろりと舐める。
【まずは、醜い狐を全て倒します】
「殺すなよ?」
【善処します。人間のわがままは相変わらずですね。私達の様な物の怪は軽々しく滅するのに…… 】
 咲耶を守るレイさんと人狐の間に滑るように割り込む六花。

【猫又、邪魔をするな! 儂の獲物じゃ!】
【後は私に任せて、ご老体は後ろに下がって見物していてください】
【誰が、ご老体じゃ! お前こそ邪魔じゃ、そこをどけぇ!】
 レイさんが牙をかみ合わせ人狐へ向かい紅い火球を吐き出す。
 人狐がバットで弾き返そうとするがうまくいかず火柱に男は包まれ悲鳴を上げる。

【どうじゃ! 小娘!?】
 得意満面で牙を剥くレイさん
【そんな術があるなら、最初から使えばいいのです。おかげで私の出番がなかったじゃないですか】
【なんじゃと?】
 きゃんきゃんと六花の周りを回りながら文句を言っているが、六花はレイさんには一瞥もくれず、戦況を眺めている。最後の人狐は僕が仕留めた。越智と咲耶を安全な場所に移動させ、人狐達をうつ伏せに寝かせてレイさんと六花で見張ってもらう。

 毘沙門さんのところの戦闘もどうやら終わりそうだ。

 鬼灯は鬼達に囲まれ右腕をかばいながら膝を付いている。
 右腕はいびつな形に折れ曲がり、肘から先はちぎれ落ちそうだ。頬や太腿には深い切り裂いた傷がありアスファルトに黒い雫が断続的に滴り落ちている。

「そろそろ、その身体から出ていく気になったか?」
 聞いたこともない毘沙門さんの厳しい声。
【こんなにぃ、壊れちゃったらぁもういいかなぁ?】
 身体のあちこちに張り付いた人型の形代を忌々しそうに破り捨てながら鬼灯はいう。

【だけどぉ、私はぁ、気に入った玩具はぁ…… 飽きたらぁ、人にあげるんじゃなくってぇ、壊して捨ててしまうタイプなんだぁ……】
 頬まで裂けた口から青紫の長い舌が口の周りをぺろりと舐める。
「なにっ、まさか……」

【グオオオオオォォォォォォ!!】
 鬼灯は婦人警官の身体に残ったすべてのエネルギー、魔力・闘気・精気を爆発的に奪い取り術を起動させている。
 鬼灯の身体はメキメキと形状を変えて巨大な蛇に姿を変えていく。
 変身シーンでは敵も味方も手を出してはいけないというルールは無い!
 鬼達が喜々として攻撃を打ち込んでいく。
 蛇の尻尾を潰し、顎を砕き、堅牢な鱗はあちこち剥がれ落ち抉れた傷口を見せている。

「やめろ! 死んでしまうっ!」
 毘沙門さんの叫びに、鬼達は攻撃を中止し金棒や鉈の上に腕を置き不貞腐れた態度で不満を表明している。

【悪いねぇ、この身体が死ぬまでぇ、出ていく気はないからぁ。まぁ、持って15分位かねぇ?】
 巨大になった身体と違い、さっきまでの禍々しい妖気は格段に低下している。

【颯馬様、この人間から蛇の物の怪を追い出せばいいのですか】
 鬼灯の前にふわりと現れる六花。
「六花、出来るのか?」
【颯馬様からこれだけ力を頂ければ『憑依の術』が使えます】
 その術が使えればどうにかなるのか? 頼むしかない。
「六花、頼む!」

かしこまりました】


*作中の鬼が島は……

 瀬戸内海に浮かぶ女木島。香川県高松市の沖に浮かぶこの島に鬼無町という町があり桃太郎が鬼を退治したため鬼がいなくなったのが町名の由来だとか。
 鬼が島の伝説は愛知、岡山、香川など各地に伝わっているそうです。ちなみに、香川県三豊市には浦島太郎が玉手箱を開けて煙になって天に昇ったという紫雲出山もあります。


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