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悲劇の破壊者
しおりを挟む空間に光が走る。
この世界のものではない文字が刻まれた、光り輝く綺麗な帯。
一目見たら忘れるものか。
この美しさが色あせるものか。
リリアの稟質魔法、貪り喰らうものが縦横無尽に動き回り、私とお父様を包み込むように半球状の“殻”を作った。
同時、
地震かと錯覚するほどの揺れが私たちを襲った。地震にしては長く、不規則な震動。
原因はすぐに分かった。
揺れが収まるのと時を同じくして光の帯が消えたから。
周囲にあったはずの岩がなくなっていた。
目に飛び込んできたのは満天の星と、見上げるほどに大きなゴーレム。
見覚えがあった。
リリアが王都へ岩を運ぶために錬成したゴーレムだ。
ならば。
ならば彼女もいるのだろう。
「――この! バカっ!」
頭部に衝撃が走った。
後ろから近づいていたリリアに“げんこつ”を落とされたのだ。
痛い。
振り返ると、目元に涙を浮かべたリリアが。
私も涙がこみ上げてくるけれど、げんこつの痛みということで。
「……結構痛いよ、リリア」
「当たり前だよ痛いようにしている――」
リリアの動きが止まった。なにか変だっただろうか?
右手が切断されてしまったこと? いいや、リリアはあまり驚いていないというか、まったく驚いていなかった。まるで私が腕を失うことを知っていたかのように。
リリアは対人戦闘経験が豊富らしいから、片腕がなくなったくらいでは動揺しないのかもしれない。
では、一体何に驚いているのだろうか?
「ナユハ、口調……。それに、私の名前……」
リリアの言葉で納得した。ちょっと前まで敬語で『リリア様』と呼んでいた私が馴れ馴れしく呼び捨てにしているのだ。リリアの驚きも理解できるというもの。
やはり急に変えるのはダメだっただろうか?
忘れがちだけど私はもう平民で、リリアは貴族。罪悪感を抜きにしても――
「あ、ナユハ。そのままでいいよ。友達なんだからそっちの方が自然だもの」
先回りして釘を打たれた。眼帯を外しているから“左目”で心を読んだのかもしれない。
……なるほど。左目の力を使って私の埋まっている場所を見つけ、ゴーレムで掘り出してくれたのか。私たちを包み込んだあの貪り喰らうものは掘り出す際に岩で押しつぶされないよう保護してくれていたと。
じぃっとリリアが左目で私を見つめてくる。
不思議と、あのとき感じた恐ろしさはなかった。
「……ふぅん、ずいぶんと罪悪感がなくなったみたいだね?」
そうなのだろうか? 自分ではよく分からないけど、リリアが嬉しそうに笑っていたのでそうなのだろうと納得しておく。
「とりあえず痛み止めだね。それと増血、消毒もして、と」
リリアが私の右腕を握り、おそらくは痛覚麻痺の魔法をかけてくれた。次いで頭痛が改善したので失われた血を“回復”してくれたのだと思う。
私のやった止血は完全ではなく、リリアの手が血まみれになってしまったというのに、彼女は平然と治療を行ってくれた。
「…………」
黒髪黒目である私を恐れず、頑固で頑迷だった私の友達になってくれて、危機を救い、そして今は自分の手が汚れることを気にせず治療をしてくれている。
私は、彼女に何ができるのだろう?
一体何をすれば報いることができるのだろうか?
斯様な恩義、たとえ一生をかけたとしても――
「気にしなくていいよ」
まるで心を読んだように……いいや、きっと心を読んだ上でリリアは苦笑した。
「ナユハは自覚がないだろうけどね、私、ナユハには感謝しているんだ。今まで私がやったことくらいじゃ報いきれないほどにね」
「え?」
「だから気にしなくていいんだよ。今までのことは私がしたいからしただけ。――これからのことも、私がしたいからやるだけだもの」
むずむずと。
右手の切断面が何とも言えないかゆみに襲われた。まるで、“かさぶた”が取れる前のような……。
二の腕を見下ろすと、わずかながら、切断面が伸びていた。いや正確を期すれば切断面から腕が生えてきているのだろう。本当にわずかに、小指の爪一つ分くらいだけれども。
リリアが額に汗を浮かべながら小さく唸った。
「む~、保有魔力には自信があったのに、この調子だと足りないね。師匠みたいに効率的な魔力運用ができれば違うんだろうけど……。しょうがない、師匠に頼むと後が恐いし、奥の手を使いましょうかね」
努めて気楽な声を上げながら。リリアは異空間から大ぶりのナイフを取り出した。
そして腰まであろうかという後ろ髪を軽く纏め、迷うことなく右手に持ったナイフで――
え?
いや、
ちょっと!?
私が止める前にリリアは腰まで伸びた美しい銀髪を切ってしまった。ばっさりと。スーパーロングヘアをミディアムかショートカットくらいに。
「おう、おぉう……」
思わず涙目になってしまった私は悪くないと思う。
魔法使いにとって髪は魔力の保存容器みたいなものであり、自分の魔力では足りない際に切って使うことはある。それは理解している。
でもリリアは魔法使いである前に貴族の娘。貴族の女は髪を長く伸ばすのが基本。今のリリアみたいに短く切ってしまうのは旦那様が亡くなるか、修道院に入るときくらい。つまり貴族の女としての人生を切り捨てるのと同義だ。
「な、な、な、何をしているのリリア!?」
「え? 魔力が足りないから髪の毛に貯めていたやつも使おうかな~って」
「リリアは貴族でしょう!? 髪を切ってどうするの!?」
「といってもレナード家の気質は貴族というより商人だし、家として私を政略結婚させるつもりもないし、そもそも私は結婚しないでだらだらのんびりスローライフするつもりだし……。むしろ髪を短くしちゃった方が余計なお見合いも飛び込んでこなくて万々歳、みたいな?」
「……おぅ、この子はだめだ、常識が狂ってる。私がしっかりしなきゃ……」
私が精神に受けた大打撃から必死に回復しようとしている間にリリアは握りしめた髪束から髪の毛を十本ほど抜き取った。
その髪をお父様に手渡す。乱雑に。投げつけるような勢いで。
ふん、とリリアが鼻を鳴らした。
「力の使いすぎで魂まで摩耗しています。そのまま消えても私は構いませんが、ナユハは気にするでしょう。今までナユハを苦しめたんです、消えるなら少しでも贖罪してから消えてください」
髪の毛が一瞬光り輝き、お父様の手の中に吸収されていく。
私は幽霊に関して詳しくはないけれど、これでもう大丈夫なのだろうとなぜだか確信することができた。
リリアは視線をお父様から外し、私の右腕の切断面に髪束の切り口を押しつけた。
空気が変わる。
どこか緊迫した雰囲気がリリアから漂ってきた。
紡がれるのは聞いたこともない呪文。いや、歌だろうか?
「――今ここに物語る」
「――喜劇の前に悲劇なし」
「―― 一流を三流に」
「――悲劇を喜劇に」
「――今、ひとときに名を借りて」
「――我が挑むは神の業」
「――嗚咽を歓声に。今ここに喝采を。悲しき未来を拒絶して、我は世界を塗り替えよう」
「――ゆえに、彼女の名は」
「――悲劇の破壊者」
銀の髪束が光り輝いた。太陽よりもなお強く、星々よりもなお優しく。
その光景は夢か幻か。
髪束が腕へと変化していく。銀の髪が銀の骨へ。骨の周りに筋肉が生まれ、血管が走り、皮によって包まれる。
一瞬の出来事。
一瞬が永遠にも感じられた。
まばたき。
した後にはもう私の右腕は治っていた。腕一本回復するという奇跡を、たった9歳の少女が成し遂げてみせたのだ。
「うん、成功。一応“左目”で確認しておこうかな?」
満足げな顔をしたリリアは綺麗な金の瞳で私の右腕を鑑定して――
「……うん?」
冷や汗を流していた。大量に。「やべぇ、」と聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
「リリア?」
私が声をかけるとリリアはビクッと身体を揺らし、あはは……と苦笑しながら近くにあった石を手にした。
リリアの手でギリギリ掴めるほどの大きさ。石と言うよりは岩という表現の方が的確かもしれない。
「な、ナユハさん、ちょっとこの岩を握ってみてくれませんか? 右手で、思いっきり」
「? 構わないけど何で敬語?」
首をひねりながらも私はリリアから岩を受け取り(回復したばかりの右手は私の思い通り動いてくれた)、指示されたとおり思いっきり握りしめてみた。
――パキィン。
と、いうような音を立てて岩が割れた。まるで柑橘類を握りつぶした――よりも楽だったな。雪球を握りつぶしたように、簡単に。
…………。
いやいや、
いやいやいや。
私は鉱山で働いているから普通よりは力があるかもしれないけど、それでも9歳の女の子だからね? 魔力による肉体強化もしていないのに、なんで岩が割れるのかな!?
私がぎこちない動きで首をリリアの方に向けると、リリアは両手を地面に突いて叫んだ。
「人の身に過ぎたパワー! 顕微鏡の調整ネジをねじ切っちゃう仮面ラ○ダーか!? 改造されたヒーローならお約束だけどさ! 非戦闘系美少女にやっちゃってどうするの私!? “未熟なるもの”か!? 私が未熟だから悪いのか!? ちっくしょうめ! どうしてこうなった!?」
なにやら理解しがたい単語を絶叫しながら地面を転がり回るリリア。
なんというか、取り乱している彼女を見て逆に冷静になってしまう私であった。
……どうしてこうなった?
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