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作文の授業と 百合子先生の涙

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7月。もうすぐ夏休み。
蒸し暑い。空は どこまでも青い。
白い入道雲が、もくもく もく。まるで巨大な要塞ようさいだ。
遠く近く幾重いくえにも重なり、セミたちの合唱が 夏の空気を染めていた。

そんな日に。
私たちは、百合子先生の授業で、作文を書いたの。
テーマは『15年後の私』。
今が15歳だから、30歳になった自分の 未来を 想像するのよ。

百合子先生の ご指示は、
「結婚したい男性の理想像や、家庭生活に 限定しません。
自分の未来を、自由に想像してみましょう」

・・・

その翌週。
書きあげた作文を、順に ひとりずつ、発表したの。
やはり佐保里さほりの作文は、素晴らしかったわ。

━━ 佐保里の作文(抜粋) ━━
時は1999年。佐保里は外交官に なっていた。
外交官とは、日本と世界の架け橋となる お仕事よ。
佐保里は 各国を訪問し、文化の交流に力を尽くしていた。
25歳で結婚していて、『30歳の現在』は、妊娠5ヶ月目の妊婦さんでもあった。

職場の様子は、働く人たちが男女 半々。
フロアの各階に喫煙所が完備されていた。
タバコの煙は有毒なので、喫煙しない人に迷惑をかけないためよ。
お家は東京都内のマンション。夫婦仲良く協力しあって 家事をしていた。

・・・

佐保里の作文で、私は特に興味深かったところが あるの。
それは、未来社会は"ネットワーク"という仕組みが発達しているところ。
そして誰もが、自宅に居ながら、世界中の情報を知ることが できる。というところ。
一般家庭にもコンピュータが普及していて、そんな社会になっているの。

ね。まるでSFマンガみたいじゃない?
ステキな作文だったわ。
そして その時は、彼女の作文が、私自身の未来に かかわっていくなんて、思ってもみなかった。

・・・

百合子先生は、えらく感心なさったようで、いちいち 大きく うなずいていらした。
でも そのあと、何人か続いて読み上げた作文に、先生は 泣いてしまわれたの……。

「私は、奥さんに暴力を ふるわない人と 結婚していたいです……」
「私が結婚したい男性は、奥さんや子どもを怒鳴ったり、当たり散らさない人です……」
「私が産む子どもが女の子でも、大学へ行きたい希望があるなら、行かせてあげたいです。女の子を差別しない人と 結婚したいです……」
胸が かきむしられるような作文だったわ。

ていうか、これ どういうことよ?!
私、忘れてないよ。男の先生方が、Aスケたちの悪事を隠ぺいしたことが あったよね。
その時みんなの お父さんは、娘を守ろうとしたじゃないの!
女の子たちは喜んでいたのよ!
なのに家庭では……こんなこと……。

私たちが暮らしていた地方。
作文の内容は、書いた子たちの家庭の、悲しい現実だったのよ。

私は自分の両親が 理想の夫婦だったから、ありきたりの日常生活を そのまま書いたの。
私は上京して技術者になっていて、結婚もしていて、ダンナさまと助けあいながら 家事や育児をしている。
つまり、ほとんど想像してない。

そしたら、悲しい作文を書いた子たちは
「いいなあ。私も そんな家の子に生まれたかったなあ」

うっかりしてたわ。
私の家庭環境は、この地方では、かなり異色だったのよ。
思えば佐保里の家庭環境は、もっと異色だったわ。あんな作文を すらすら書けるほどにね。

百合子先生は 涙が止まらなくて、それでも授業の終わりに
「みんな一生懸命に書いてくれて ありがとう。
私も がんばります。みんなと いっしょに がんばります」
 
・・・

そして その翌日。
佐保里と私の作文が、正面玄関を入ってすぐ横の壁にある掲示板に、掲示されていたの。

たまに視察に見える、市長さんや 教育委員の方々が、お読みになって くださったそうよ。
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