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第9話 天才と天才

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「なんだとッ……!?」
 広いとは言えないORE通編集部の仕事場に島取《しまとり》の声が行きわたる。それは仕事中の愛美《まなみ》の耳にも届いた。
(いつまでサボるつもりなのかしら……。)
 愛美は呆れつつもキーボードを叩く。島取はしっかり仕事をこなす人間だ。放っておいても問題はないだろう。なにより仕事のミスをしてしまった自分には言いづらい。
「相沢ッ、こっち来い!!」
 島取が興奮した様子で愛美を呼ぶ。しかし、愛美には仕事がたんまり残っている。編集長の趣味に付き合っている暇は無い。
「私、忙しいんですけど……。」
 愛美は画面に視線を向けたまま座り続ける理由を伝える。仕事のことなら島取も引き下がるだろう、そう考えていた。
「そんなもん後で手伝ってやる!! 早く来いッ!!」
 愛美は渋々手を止めると、島取の席へと向かった。
「どうせ星竜《エルターニャ》が瞬殺するだけですよね?」
「普通の相手ならな。」
 島取は画面を食い入るように見つめる。その熱量には関心するが、愛美の脳裏にはロリコンという言葉が浮かんで消えなかった。それを上書きしたのは彼女の名前だった。
「幽鬼《スペクター》ッ――!?」
 廃墟と化した西洋建築の巨城。夕日の赤を夜の黒が塗りつぶそうと侵食している。
 その下で対峙するのは白い鎧を纏う星竜《エルターニャ》と黒衣に身を包む幽鬼《スペクター》。
 そして、戦いは始まる。
<<開戦《エンゲージ》!!>>
「必殺術《ファイナルスキル》――、」
 星竜は剣を前方に構え、瞼を閉じる。その無防備な彼女に幽鬼は一気に接近して刃を向ける。
 しかし、それは届かない。

「ありゃ防術《ガードスキル》、だよな……!?」
 島取は状況が飲み込めずいた。本来、単発系スキルの発動中に他のスキルを発動することはできない。それぞれのスキルに固有の動作が設定されているため、重複することができないからだ。
 しかし、一つだけ抜け道がある。それはスキルの同時発動である。寸分違わず発動した場合、動作は先に発動したスキルが優先されるが、後発のスキルの効果が帳消しになることはない。
「二重発動《デュアル・アクティブ》ですって……!?」
 愛美は技術としてこの手法が存在することは知っている。だが、スキルの発動にはイメージを伴うため、まったく異なるスキルを同時に、しかも実戦で行える者を見るのは初めてだった。

「竜星嵐舞《ドラゴニック・メテオ・ストーム》ッ!!」
 星竜は剣を天に掲げる。空に無数の星々が煌めき、線をつないでその姿を形成する。
 そして、宇宙を内包する竜が天から飛来する。その巨体が光の線を描きながら大地を抉る。一度ではない。間髪入れずに降り注ぐ竜の大群が城を荒地へと変貌させていく。その残骸と粉塵が衝撃波と風で巻き上げられ視界を奪った。
「戦術《タクティクス》――、」
「聖邪竜の魂《ドラゴン・ソウル》ッ!!」

「おい、なんで決闘《デュエル》が終わんねぇんだよ!? 」
 島取は愛美に説明を求めるが、彼女にも分からなかった。ただ一つ分かることは、幽鬼があの猛攻から生き残ったということだけだ。

 粉塵が晴れ始め視界を取り戻す。足元に広がっていた石畳の姿はなく、いくつものクレーターがその威力を物語っている。しかし、その場所に幽鬼の姿は見えない。
「見つけた……!」
 最初にその姿を捉えたのは星竜。翼による飛行で見下ろすことで気づくことができた。
 しかし、それは妙だった。竜星嵐舞の発動時、幽鬼は星竜に攻撃を仕掛けたため、剣の届く範囲にいた。だが、今の幽鬼はフィールドの端に立っている。瞬間移動でもしない限り、ありえない距離だ。

「説明してくれ相沢!! 俺にはさっっっぱり分からんっ!!」
 島取は背もたれに身をゆだねて頭を掻く。しかし、愛美にも見当がつかない。彼女はその手管を探るため戦闘ログを確認した。
「……幽鬼は防術《ガードスキル》を使ってますね。」
「シャドーなんとかか! 強すぎねぇかそれ!」
「いえ、竜星嵐舞は黒影潜転《シャドウダイバー》じゃ防げないはず……!!」
 黒影潜転《シャドウダイバー》は影に身を潜むことで攻撃を回避するスキルだ。必然的に影が必要になる。しかし、竜星嵐舞《ドラゴニック・メテオ・ストーム》は強い閃光を放つため、影が消失してしまう。星竜《エルターニャ》の足元も防術《ガードスキル》によって侵入はできない。仮に影に入ったとしても無敵ではないため、そこに竜が突っ込めばお終いだ。
「戦術《タクティクス》を先に使ってる……?」
 ログを遡ると、幽鬼が最初に取った行動は戦術だった。幽骸《リビング・デッド》は短時間の接触判定操作をするスキル。攻撃判定を無視すれば事実上の無敵になれる。しかし、その発動時間では対処しきれないはず。
「幽鬼は衝撃波と風圧を利用したんですよ。」
 突如、愛美たちの背後から男の声がする。振り返った視線先にいるのは、この界隈で名前を知らない者はいない、あの男。
「星我《せいが》くんっ――!?」
 天道星我《てんどうせいが》。またの名を勇剣《ヴレイブ》。だが、今は彼の手には剣は握られていない。代わりに差し出された彼の手には紙袋が握られていた。
「妹がご迷惑をおかけしたので、謝罪に参りました。」
 星我は深く頭を下げた。だが、それは非常に困る。お得意様の企業の看板ともいえる人物に謝罪をさせてしまうことは、むしろキモが冷える。
「いえいえ、もとはこちらが不躾な態度を取ってしまったので!!」
 愛美と島取は慌てて椅子から立ち上がり、頭を下げ返す。姿勢を崩さないギリギリ限界まで下げる。なんなら土下座も辞さない覚悟だった。
「頭を上げてください。それよりも、」
 星我は画面の方へと手を向ける。
「星羅を見てやってください。この勝負は間違いなく記事にしたくなるはずですから。」
 星我は笑みを浮かべる。そのビジネススマイルにはどこか含みを感じた。
 愛美たちは再び画面へを向き直る。星我を加えて。
「さっきの幽鬼《スペクター》の手品を説明しましょう。」
 愛美は映像を竜星嵐舞の発動中まで戻す。
「幽鬼が戦術を使ったのは竜が数発落ちた後です。このタイミング。」
 星我が映像を止める。粉塵の隙間からかすかに幽鬼の姿を見ることができる。彼女はバランスこそ保っているものの、吹き飛ぶように後退しているのがわかる。
「幽鬼は竜が落ちた衝撃と風圧を利用して距離を取ったんです。」
「でも、それだけだと舞い散る瓦礫や他の竜にぶつかってしまう。だから戦術を使って判定を無効化した。」
「それでも十分でないと判断した彼女は防術で城壁の影へと転移した。粉塵が舞えば影もできるし、吹っ飛んだことで安全な影まで接近することができた。というわけです。」
 愛美たちは内容を理解しつつも、その芸当をやってのけたという事実を受け入れきれずにいた。そして、それを瞬時に理解する星我も信じがたかった。
「さ、続きを見ましょう。」
 愛美は一瞬反応が遅れて再生を始めた。

「やっぱり、防ぎきりますか……!!」
 聖邪竜の力によって飛行する星竜。彼女は戦慄しながらも、心の内に熱い衝動が沸き上がるのを感じた。幽鬼には勝ちたいが、自分に負ける幽鬼であって欲しくない。ある意味で彼女の望みは叶った。
「では、次ですッ!!」
 星竜は荒れ果てた地面に足をつけると、剣を構える。
「剣術《ソードスキル》――、」
「まさかっ――!!」
 愛美はかつてこの攻撃を受けたことがある。だからこそ理解できた。彼女が何をしようとしているのかを。
「神が隠した十字星《サザン・クロス》・覚醒極技《マスターレベル》!!」
 神が隠した十字星《サザン・クロス》は剣による属性攻撃の攻撃座標を移動させることができる。離れた相手であっても、その位置が分かればいかなる遮蔽物も無視してピンポイントで攻撃できる。しかし、相手の位置を把握するためには目視は欠かせない。ゆえに入り組んだ場所では有効に機能させることは難しい。
 だが、今このフィールドは荒れた更地と化している。
「全部、計算の内ってわけ……!?」
 光の十字切りが幽鬼を襲う。だが、幽鬼はそれを容易く避けてみせた。十字で切ると理解していれば剣筋を読むのは簡単だからだ。しかし、幽鬼は背後から切りつけられた。
「がっ、はッッッ――!?」
 幽鬼は反射的に回避行動を取って致命傷を避けた。しかし、それでは終わらない。再び前方に光の十字が現れる。
「ぁぐッッッ――!!」
 横切りを剣で防ぐが、縦切りには間に合わない。首は避けたものの、上半身を光の刃が切り抜けた。
「終わりですッ!!」
 最後の十字切り。一際大きく、眩く光る。それは高熱を放ち、陽炎が視界を揺らす。荒れた大地を、残った城壁をそれは焼き切った。だが、幽鬼には届かない。
 彼女は躊躇なく地面へと転がり込み、十字切りを掻い潜った。剣筋が分かるからできる手段だが、もし、星竜がそれを読んでいれば即死していた。
「しぶといっ……!!」
 星竜の頬に汗が伝う。すでに彼女は全てのスキルを発動してしまった。聖邪竜の魂があるとはいえ、もう後がない。しかし、防術を使っているため、幽鬼も幻影呪刺《ファントムペイン》が使えない。分が悪いわけではないが、安心できる状況ではなかった。
 星竜は飛行を利用して距離を一気に詰める。幽鬼が攻勢に回れば逆転されかねない。そのためにも必ず先手を打ちたい。
「必殺術《ファイナルスキル》――、」
 幽鬼は上半身を捻って構える。この構えから放たれるのは悲劇開幕《グランギニョル》。最初の一撃には麻痺属性が付与されるため、食らったら最期、逃れることはできない。
 星竜《エルターニャ》に与えられた選択肢は二つ。このまま正面から突っ込むか、止まって隙を伺うか。
「はぁぁぁああああッッッ!!!!」
 彼女は突っ込むことを選んだ。これはチャンスだ。幽鬼がこちらのスキルの性質を理解して対処したように、こちらも相手のスキルを理解していれば対処できる。純粋な剣技勝負よりも分の良い勝負だ。
 一瞬の攻撃。互いがすれ違い刃が切り抜けた。土が瓦礫が血が宙を舞う。どちらも立ったまま動くことはない。
 誰もがその行く末を固唾を飲んで見守る。どっちだ、どっちなんだと目を見開く。
「――悲劇開幕《グランギニョル》。」
 幽鬼《スペクター》の周囲に紫の瘴気が立ち込め、上半身だけの鎧が剣を構えて動き出す。
「幽鬼の勝ち……!!」
 愛美は無意識に口から言葉が零れ落ちた。星竜《エルターニャ》は間違いなく全力だった。その実力も間違いなく最強に到達するものだった。それでも、幽鬼がその上を行った。事実として理解していても、真実として理解するには時間がかかるだろう。
 だが、まだ真実には到達していない。
「まだ、です……!!」
「なんでっ――!?」
 悲劇開幕が発動したということは初撃が命中したということだ。すなわち、星竜は麻痺して動けないはず。だが、彼女はぎこちないものの、自らに襲い掛かった鎧の幽霊を迎撃してみせた。何度も叩き切られ、白い片翼が赤黒く染まっていた。それでも彼女は立っている。
「あれは聖者の加護《ソウル・オブ・エーデルシュ》。あらゆる状態異常に耐性を得るスキルです。」
 星我は画面から目を離さずに応える。しかし、表情はわずかに険しい。
「覚醒極技《マスターレベル》で得た、「オマケ」です。」
「そんなのって……!」
 ズルい。愛美はその言葉を口にしそうになった。だが、それを思い止まった。止まらなければならなかった。星羅が吐露した胸の内。その意味を深く理解したからだ。これほどの力だ。誰もが羨み、憧れ、妬むだろう。それを背負うということがどれだけの苦しみを与えるのだろうか。
「私……は、絶対にっ……、負けられないッ!!」
「負けないって誓ったからッ!!」
 星竜《エルターニャ》は力の入らない身体で剣を構える。視界は定まらず、片方の世界は赤く染まって見えていた。それでも彼女は立っていた。立ち続けようとした。

「……慈悲は、ねぇのか?」
 島取は頭を抱えて塞ぎこんだ。愛美も幽鬼の勝利を手放しには喜べなかった。
 星竜の胸を赤い剣が貫いていた。無慈悲かつ冷徹に。ここは勝負の世界だ。勝者がいれば敗者も当然生まれる。無慈悲で無情な世界だ。
 だからこそ、人は夢を見る。あの瞬間、人々は夢を見た。苦しみを乗り越えた少女が強敵を打ち勝つという夢を。
 その結果はほとんどの人にとって、望んだ結末ではなかったのかもしれない。
<<終戦《オーバー》!!>>
<<勝者《ウィナー》、幽鬼《スペクター》!!>>
 ただ、無情な勝負の世界がそこにあった。



「……もう今日仕事できない。」
 島取は椅子の上で体育座りで縮こまる。星竜《エルターニャ》は予告通りにあの戦いを最後にして配信を終えた。彼女の気丈に振る舞う姿に多くのファンが心を痛めていた。中には幽鬼《スペクター》を批判する者もいたが、星竜が釘を刺して注意したことで鳴りを潜めた。
「ふざけたこと言わないでください。誰が仕事の手を止めさせたと思ってるんですか。」
 愛美は島取を放って対応すべき相手を変える。
「星我くん、本っ当にごめんなさい! 色々迷惑かけてしまって……!」
 愛美は改めて頭を下げた。
「構いませんよ。こちらこそご迷惑をおかけしました。」
 星我も頭を下げる。だがいつまでも謝罪していても仕方がない。星我は最後の要件だけ伝えることにした。
「妹……星羅はまだまだ未熟ですが必ず強くなります。今以上に。」
「それまで見届けてやってください。よろしくお願いします。」
 星我は穏やかな笑みを浮かべて握手を求める。
「こちらこそお願いします。」
 二人が握手を終えると星我は編集部を後にした。
「私もあんなお兄ちゃんが欲しかったわ……。」
「……人のこと言えねぇじゃん。」
 島取は縮こまったままぼそりと呟く。
「二十六歳と十九歳なら問題ないわよっ!!」




 晴れた休日。優希が買い物を終えた帰り道だった。少し奮発しすぎたせいか、両手に荷物を抱えていた。重たいものの、幸せな重さだった。
 駅前にある大型モニターの前を通りかかったとき、スピーカーからある言葉が耳に届けられた。
「――と、いうわけで、昨日のトップトレンドワードは幽鬼《スペクター》でした~~~!!」
 画面に映る女性が幽鬼の名を口にした。それに思わず優希は反応して視線を向ける。その先には見覚えはあるが、名前は知らない女性が二人いた。おそらく有名人なのだろう。周りには真剣に視聴する人の姿も散見した。
「じゃあ、トワ! なんで話題になったか教えてくれるかなっ?」
 茶髪の女性の方が少しわざとらしく話を振る。優希と歳は近そうに見えるため、このような仕事には慣れていないのかもしれない。
「ご説明するね、千代ちゃん。」
 もう一方の女性は生身ではなく、立体映像のようだった。それで優希は思い出した。小学生の頃、クラスでトワというバーチャルAIシンガーの曲が流行していた。優希も興味はあったが、厳しい祖父の元では叶わなかった。
「もう自由に聴けるんだ……。」
 優希が感傷に浸っている間にも話は進んでいた。
「――賞金三百万~~~っ!?」
 千代の絶叫が大音量でスピーカーから放たれる。その爆音にも驚いたが、自分の懐事情に言及されたことに優希は一番動揺した。
「そう、ヴレイン・ヴレイドでは勝つと賞金がもらえるんだけど、その金額は観戦者数とか広告の再生数とかで決まるの。」
 トワの言う通り、賞金はランクでは決まらない。もちろん強ければ観戦者は増えるし、そうなれば広告収入も増えるため、比例はするが絶対ではない。黄金《ゴールド》ランクのプロも実在する。
 そのため、プロに求められるのは集客力だ。幽鬼は強さこそあったものの、不定期な活動と退屈になるほどの強さからあまり賞金は貰えていなかった。だが、星竜《エルターニャ》と対戦は彼女のファンに加えて、話題性が人を集めた。その結果、賞金額が跳ね上がったのだ。
「でも一番の注目は円卓の騎士への挑戦権を得たことだよ。」
「もし勇剣《ヴレイブ》に勝ったら、前人未到の無敗一位だよ。これからも注目だね。」
「へぇ~、その時は一緒に観戦しようね、トワ。」
「楽しみだね! 千代ちゃん!」
 二人は互いの小指を絡ませて指切りをする。その瞬間、悲鳴が上がった。事件かと思い優希は振り向くが、単にファンが興奮しただけのようだった。彼女は周りに軽く頭を下げていた。
「「以上、推しロックがお伝えいたしました!」」
「バイバ~イ。」
 画面が広告に切り替わると足を止めていた人々がまばらに歩き始めた。優希も自らの帰路を歩む。
 彼女には一つ不安があった。昨日の一戦以来、取材の連絡がひっきりなしに寄せられていた。今の時点では問題は起きていないが、強引に接触を試みる輩もいるかもしれない。先ほどの放送を見る限り正体は不明のままのようだが、用心するに越したことはない。しばらくは決闘を控えるつもりだった。

「もういっそバラちゃおうかな……。」
 無事に帰宅した優希だが、その心中は穏やかではなかった。尾行されないように遠回りをし、アパート周辺も警戒して帰宅した。こんな生活を続けていたら精神が持たない。世間が知りたがっているのなら教えてしまえばいい。そうすれば楽になれる。身バレしない程度に情報を出す分には問題ないだろう。
 だが、それには条件がある。本物の幽鬼《スペクター》だと信用されなければならない。急遽、SNSや動画サイトなどで伝えても信用されないだろうし、拡散力が足りないため効果は薄いように思える。悪意ある改変などをされても困ってしまう。
 信用と拡散力を併せ持ち、信頼できそうな存在はなにか?
「ORE通の人……!」
 優希は本に挟んでいた愛美の名刺を取り出した。


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