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7 夏の宵
第3話
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父が来るまで、そわそわしていた祖父と、いつもはニコニコだらしない父が向かい合うと静まり帰るのだ。
ひたすらに寿司を食べる不思議な光景である。
お年頃なのだ。祖父も父もいつでも向き合えばお年頃に変わるのだ。古びた十八年前の空間がよみがえり、私と向希は卵になって押し黙っていた。
母はこの家とは無関係に身重になった自分を卑下し罪悪感から何も言えなくなる。祖母もまた、かつて妊婦であった経験から母を慮る。そんな様子が見れた気がした。
父は今の向希を通してかつての自分を見る。そしてまた今の自分に父の姿を見るのだ。祖父も、かつての自分と同じくらいになった父をどう思うのだろう。自分の分身であるほど愛しい子供の存在を負い目に感じた日々をどう思うのだろうか。
許し、許す必要があるのだろうか。時の流れは私と向希を卵ではなく、ちゃんと人間にしてくれた。ここにいる全員と、お母さん側の祖父母、留さん。全員の望んだ結果ではないか。
思春期だなあ。と、思うのだ。上の遺影のみなさんは、祖父の思春期もご存知なのだ。そう思うと、誰もがお年頃なのかもしれない。
「有ちゃん、サーモン食べなさい」
祖父が私の皿に自分の分乗せてくれた。
「わあい、ありがとう」
いつか、私も孫が出来たら寿司のネタくらい譲ってやろうと思う。孫が無邪気を装った笑顔を向けて喜ぶところが見られるかもしれない。
表向き、例年通りに済ませた昼食は長く続いた。祖父は食事が終わると、出て行ってしまった。いくらか張り詰めた空気が緩んだ。
それでも、母は家でのだらけ具合が嘘みたいに機敏に動いて見せた。父は絶対に母を顎で使ったりはしない人だが、今日は機敏な母を止めることもしなかった。母と私はここの祖父母とほぼ同じ年月の付き合いであるが、母はここでだらけることはしないだろう。
これが、ここでの母の過ごし方なのだ。連携プレーで行われた食事の後片付けが終わると、祖母は父母に
「あなたたちも盆踊りに行ったらどう?」
と、提案した。
「父さんは?」
「父さんはいつも通り顔出さなきゃならないけど、すぐに戻るわ」
祖父の動向を確認すると、父は時間があれば覗くことにする。と、婉曲に断りを入れた。
「そう」
と言った祖母の声にも、いくらかの覚悟が乗せられていて、私と向希は少し早めに家を出ようかと気を利かせた。
私たちがいたら話しにくいのだろう。祖父母へとまず話し、夜遅くにでも私たちには伝えられるだろう。父から向希へ、母から私へ。
気にはなるが、なるようにしかならないのだ。私と向希と父は縁側で過ごしている間、祖母の桐箪笥のある部屋から祖母と母の声が聞こえて来ていた。父は私と向希の会話に入らず、祖母と母の会話に耳をそばだてている様だった。
祖母に浴衣を着せて貰い、今度は向希が着せて貰っている間に、母が私にメイクを施してくれた。私も時々はお化粧をするけれど、母のように毎日したりはしない。
「浴衣の時はちょっと濃い目にしてもいいわよ」
「ふーん、似合うかな?」
「可愛いわよ。いいなあって思う」
「お母さんもお父さんさんと行ったら?」
「……うーん、はは」
ちょっと探ってみたけれど、流されてしまった。結局、髪の毛も母が可愛く結ってくれた。
「おお、さすが」
「何年女の子の母親やってると思ってんのよ」
母が鼻の穴を膨らませた。どうも、美人なのに決まらない母だ。鏡を覗いてみると、悪くはなかった。いけるじゃないか、私も。白いワンピースではないが、浴衣も十分に演出してくれる。最後に父のくれたピアスを着けた。指先でつつくと、ゆらゆらと揺れた。
「それ、見た目より高いから、落としてこないでよ」
母がこっそり教えてくれた。
「男の人が買ってくる物って、思ったより高いからびっくりしちゃう」
……確かに、自分では買わないデザインで、これに高いお金はかけないかもしれないなあ。そのジュエリーやアクセサリーの物価を知らない感じが、嬉しいのだ。馴れない売り場で私を思って買ってくれたのだろうから。
そして、私が浴衣を着ることを知ってるのは、向希のせいだ。何かしら助言をしたのだろう。それでいて『僕には?』なんて言うのだから、向希は。
「まぁ、可愛い」
「ほんっと、可愛い」
祖母と父が私が二階から下りてくるなり、そう言って、私は顔が熱い。笑うくらいしか出来なくて、自分の浴衣を着た姿に祖母は満足そうにする。父は自分の選んだピアスをぴったりだったと喜んだ。私は気恥ずかしさから向希を急かした。向希は
「もう、お父さんより大きいんじゃない?」
と、父に並ばされ、向こうは向こうで気恥ずかしさから早く家を出たがった。二人して顔を赤くして逃げるように出掛けた。
庭に咲く桔梗の花の色は向希の帯の色にも似ていたし、私の帯の色にも似ていた。
「はあ、ああいうの、勘弁して欲しいよね」
「ねえ。何で成長を確かめたがるかね。そして、感傷的にも感動的にもなるんだよ」
「なあ。とっくに父さんより大きいっての」
「えっ!?」
「……なんだよ」
「嘘!? 全然気づかなかった」
「まあ、滅多に並ばないし、じっとしてないしね。それに……」
「それに?」
「4ミリだから」
「細かい! でもそっちの家系はおばあちゃんも大きいしな」
私はまだ祖母より小さい。抜かせるかどうかわからない。丈は、おはしょりで何とかなるけど、袖は少し長い気がする。はっと気がついた。ごく自然に口から出ちゃったけれど、向希の背は家系に関係がないのかもしれないということを。
向希の顔を見る勇気は出かなかったけど、向希は「そうだね」と、穏やかな口調で言った。
ひたすらに寿司を食べる不思議な光景である。
お年頃なのだ。祖父も父もいつでも向き合えばお年頃に変わるのだ。古びた十八年前の空間がよみがえり、私と向希は卵になって押し黙っていた。
母はこの家とは無関係に身重になった自分を卑下し罪悪感から何も言えなくなる。祖母もまた、かつて妊婦であった経験から母を慮る。そんな様子が見れた気がした。
父は今の向希を通してかつての自分を見る。そしてまた今の自分に父の姿を見るのだ。祖父も、かつての自分と同じくらいになった父をどう思うのだろう。自分の分身であるほど愛しい子供の存在を負い目に感じた日々をどう思うのだろうか。
許し、許す必要があるのだろうか。時の流れは私と向希を卵ではなく、ちゃんと人間にしてくれた。ここにいる全員と、お母さん側の祖父母、留さん。全員の望んだ結果ではないか。
思春期だなあ。と、思うのだ。上の遺影のみなさんは、祖父の思春期もご存知なのだ。そう思うと、誰もがお年頃なのかもしれない。
「有ちゃん、サーモン食べなさい」
祖父が私の皿に自分の分乗せてくれた。
「わあい、ありがとう」
いつか、私も孫が出来たら寿司のネタくらい譲ってやろうと思う。孫が無邪気を装った笑顔を向けて喜ぶところが見られるかもしれない。
表向き、例年通りに済ませた昼食は長く続いた。祖父は食事が終わると、出て行ってしまった。いくらか張り詰めた空気が緩んだ。
それでも、母は家でのだらけ具合が嘘みたいに機敏に動いて見せた。父は絶対に母を顎で使ったりはしない人だが、今日は機敏な母を止めることもしなかった。母と私はここの祖父母とほぼ同じ年月の付き合いであるが、母はここでだらけることはしないだろう。
これが、ここでの母の過ごし方なのだ。連携プレーで行われた食事の後片付けが終わると、祖母は父母に
「あなたたちも盆踊りに行ったらどう?」
と、提案した。
「父さんは?」
「父さんはいつも通り顔出さなきゃならないけど、すぐに戻るわ」
祖父の動向を確認すると、父は時間があれば覗くことにする。と、婉曲に断りを入れた。
「そう」
と言った祖母の声にも、いくらかの覚悟が乗せられていて、私と向希は少し早めに家を出ようかと気を利かせた。
私たちがいたら話しにくいのだろう。祖父母へとまず話し、夜遅くにでも私たちには伝えられるだろう。父から向希へ、母から私へ。
気にはなるが、なるようにしかならないのだ。私と向希と父は縁側で過ごしている間、祖母の桐箪笥のある部屋から祖母と母の声が聞こえて来ていた。父は私と向希の会話に入らず、祖母と母の会話に耳をそばだてている様だった。
祖母に浴衣を着せて貰い、今度は向希が着せて貰っている間に、母が私にメイクを施してくれた。私も時々はお化粧をするけれど、母のように毎日したりはしない。
「浴衣の時はちょっと濃い目にしてもいいわよ」
「ふーん、似合うかな?」
「可愛いわよ。いいなあって思う」
「お母さんもお父さんさんと行ったら?」
「……うーん、はは」
ちょっと探ってみたけれど、流されてしまった。結局、髪の毛も母が可愛く結ってくれた。
「おお、さすが」
「何年女の子の母親やってると思ってんのよ」
母が鼻の穴を膨らませた。どうも、美人なのに決まらない母だ。鏡を覗いてみると、悪くはなかった。いけるじゃないか、私も。白いワンピースではないが、浴衣も十分に演出してくれる。最後に父のくれたピアスを着けた。指先でつつくと、ゆらゆらと揺れた。
「それ、見た目より高いから、落としてこないでよ」
母がこっそり教えてくれた。
「男の人が買ってくる物って、思ったより高いからびっくりしちゃう」
……確かに、自分では買わないデザインで、これに高いお金はかけないかもしれないなあ。そのジュエリーやアクセサリーの物価を知らない感じが、嬉しいのだ。馴れない売り場で私を思って買ってくれたのだろうから。
そして、私が浴衣を着ることを知ってるのは、向希のせいだ。何かしら助言をしたのだろう。それでいて『僕には?』なんて言うのだから、向希は。
「まぁ、可愛い」
「ほんっと、可愛い」
祖母と父が私が二階から下りてくるなり、そう言って、私は顔が熱い。笑うくらいしか出来なくて、自分の浴衣を着た姿に祖母は満足そうにする。父は自分の選んだピアスをぴったりだったと喜んだ。私は気恥ずかしさから向希を急かした。向希は
「もう、お父さんより大きいんじゃない?」
と、父に並ばされ、向こうは向こうで気恥ずかしさから早く家を出たがった。二人して顔を赤くして逃げるように出掛けた。
庭に咲く桔梗の花の色は向希の帯の色にも似ていたし、私の帯の色にも似ていた。
「はあ、ああいうの、勘弁して欲しいよね」
「ねえ。何で成長を確かめたがるかね。そして、感傷的にも感動的にもなるんだよ」
「なあ。とっくに父さんより大きいっての」
「えっ!?」
「……なんだよ」
「嘘!? 全然気づかなかった」
「まあ、滅多に並ばないし、じっとしてないしね。それに……」
「それに?」
「4ミリだから」
「細かい! でもそっちの家系はおばあちゃんも大きいしな」
私はまだ祖母より小さい。抜かせるかどうかわからない。丈は、おはしょりで何とかなるけど、袖は少し長い気がする。はっと気がついた。ごく自然に口から出ちゃったけれど、向希の背は家系に関係がないのかもしれないということを。
向希の顔を見る勇気は出かなかったけど、向希は「そうだね」と、穏やかな口調で言った。
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