三度目の庄司

西原衣都

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第3話

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 外で時間を潰すというのに限界があった。なんせ暑いし、何もないし、雨でも降ろうものなら雨宿りする場所すらない。向希も怖い。

 私はバスに乗って出かけることに決めた。ショッピングモールは涼しいし、何かしら時間は潰せる。向希が受験に失敗しようものなら、私にも責任がある。むしろ、私にしか責任がないのだから、出かけることくらいしようと思う。

 私がショッピングモールで日傘を忘れてこないように、向希はバス停まで私を送ると日傘を引き取って帰るのだ。そこまでして日焼けしたくないわけではないのだが、なぜかそうしている。
 
 向希は気にするなって言ったが、時間を潰すという意味ではかなり成功していた。が、数日後にはすることがなくなった。そりゃあ、そうだ。毎日来るようなところではない。

 服を見ようにも、平日の午前中とあれば、店員が三人も暇そうにしているのに客は自分だけというような気まずさがあった。

 ふと、目に入った特設の浴衣売り場へ足を運んだ。祖母の浴衣は何色だろうか。向希が着る浴衣はどんなのだろうかと考えながら見ていた。

 ハンガーポップやポスターに浴衣を着たがイメージモデルがディスプレイされていた。

 向ちゃんの方が、格好いいな。そう思ってしまい、一人で顔を扇いだ。店員さんに声を掛けられ、私は『どんな浴衣にも合う』と言われたバレッタを一つ買うことになった。

 いいのだ。さすがに祖母も髪留めまで持っていないと思うから。

  帰る前に美味しそうなフルーツゼリーを二つ買った。大粒のピオーネがたっぷり乗ったものとシャインマスカットがたっぷり乗ったもの。寛大な私はどちらがいいか向希に選ばせてあげようと思っていた。保冷剤も入れてもらったし、おやつに食べよう。

 夕方までいるつもりだったが、このくらいの時間ならお昼ご飯は遅めで家で食べられる。いつもは向希にあらかじめ帰るとメッセージをしておくのだが、この日はそうしなかった。

 勉強の邪魔はしたくなかったし、毎回日傘のためだけにバス停で待たせるのは申し訳なかった。


 そっと静かに家へ入る。耳をそばだててみたが、勉強している気配さえなかった。寝ているのかと音をさせずに襖を開けた。

 何だ、起きてるじゃん。そう思った私は向希をちゃんと認識した瞬間、心臓が止まるかと思った。

 向希は壁にもたれた姿勢のまま、何も映さない虚ろな目でくうを見ていた。血の気の引いた白い肌が人形みたいで、片方の手はだらんと垂れ下がっていた。私は「ひっ」両手で口を押さえた。鼓動が嘘みたいに早くなる。

 向希の眼球が動いて私を捉えると、張り付けたような笑顔を浮かべた。

「何だ有ちゃん、早いな」

 向希は何もなかったみたいに言ったけど、涙でぐしゃぐしゃの顔に気づかないのだろうか。死んでるのかと思った。私はガクガクする膝で向希に近づくと
「向ちゃん、向ちゃん」
 すがり付いて泣くしか出来なかった。

 向希の膝の上には紙が落ちていて、向希はそれを拾い上げると
「どうしたんだよ。ご飯食べる? 僕、何か作ろうか」
 そう言って立ち上がろうとする。

「向ちゃん、泣いてるよ。向ちゃん!」

 向希はハッとすると、手で自分の顔に触れ、濡れた手のひらを見ると、崩れ落ちるように座り込んだ。

「何があったの?」
「何もない」
「向ちゃん!」
「何もないんだよ、有ちゃん。18年前から何も。ずっと事実は変わらない」

 私は向希の目を覗きこんで頷いた。
「知りたいよ、向ちゃん」
「有ちゃんに、言えなかった」

 掠れた声で、向希は言った。ごめんねって前置きをする。
「僕は、父さんの本当の子供じゃない」

 向希に何を謝ることがあるのだろうか。私は向希をぎゅうぎゅう抱き締めた。

「母さんも知らなかったみたいで、今回の喧嘩は僕のせいなんだ」
「向ちゃんのせいじゃない!」

 こんな情けないことがあるだろうか。向希の方がつらいのに、家出に付き合わせて、愚痴に付き合わせて、私のフォローまでさせて。

「申し訳なくて。父さんにもじいちゃんばあちゃんにも、本当の子供を、孫を持つ機会を俺が奪った」
「そんなの、向希のせいじゃない!」

 私には慰める言葉が見当たらなかった。誰もいない時間を選んで一人泣いてる向希に、私は何をしてあげられるだろうか。無邪気さをどこかに置いて一人大人になるしかなかった向希に何が出来るだろうか。

 向希が拾い上げたのは、ルーズリーフに書かれた家族年表だった。

 以前書いて、あんまり意味なかったねって笑ったもの。
「これ、本当はさ、俺はここに載らない。俺の名前だけ宙ぶらりんで浮いてるんだ」

 向希はこれをどんな気持ちで書いたのだろう。

「ごめん、有ちゃん」

 身体を小さくして私に謝る向希を強く包み込む。

「いいよ、向ちゃん。謝ることじゃないよ」

 向希の震えが止まるまで、私は抱き締めて、背中を撫でていた。言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだろう。家族年表は、向希のそうだといいなって望みだったのかもしれない。

 父も母も向希を愛しているし、祖父母だって愛してる。本当の子供のように。この『ように』の部分が私たちを苦しめた。何が不満なのかわからない。だけど、本当の子供じゃない。ただそれだけで目の前の愛が偽物のように感じてしまうのだ。

 それを口にしたら、みんなが悲しむ。愛されているからだ。向希は誰も傷つけたくはなかったのだろう。

 父と母が若くで結婚したにも関わらず、二人の本当の子供を持たなかったのは、もしかしていずれ本当のことを知る私たちに、気遣ったのだろうか。

 お父さんと血が繋がってないって知った時、ショックだった。向希もそうだろう。だけど、向希は母とも、父とも血が繋がってななかったのだ。その心は私でさえ計り知れなかった。
 
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