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3 五月雨と蝉しぐれ
第2話
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一人の男の子が私に気付き、彼は動きを止める。それに気付いた他の男の子たちも私に視線を寄越した。その視線に少しばかり憧憬が含まれている気がする。
知らない女の子というのは想像を掻き立てられ、魅力的にうつるのではないか。旅先では簡単に恋に落ちてしまう、あのマジックみたいなものだ。それでも、向けられた視線に悪い気はしなかった。案外いけるんじゃないか、私は。この日傘だって儚げに見せるのに一役かってるかもしれない。
さすがに下に降りていく勇気はないけれど、やっぱり橋のところまで行ってみよう。ひょっとしたら、誰か声を掛けてくれるかもしれないから。
ほのかな期待に誰も私を知らないという事実が背中を押してくれた。胸がドキドキする。私は男の子たちの視線に気づかない振りをして、橋へ向かってゆっくりゆっくり歩いた。
「庄司、庄司じゃん!」
不意に名前を呼ばれ、私は日傘を落っことしそうになった。これだけ気取っておいて知り合いだったなんて、笑えない。
「ほんとだ、向希だ」
え、向希?そっと振り返ると、いつの間にか私の少し後ろに向希がいて、男の子たちに向かって「久しぶり」なんて喋ってる。
あーあ。一気に気持ちが萎えてしまった。向希の友達かあ。それなら、私の顔なんて期待外れに違いなかった。私はこの川までの距離と、持っていた日傘に感謝した。顔を隠すのにちょうど良かった。
向希は私に
「小学校の時の同級生」
だって教えてくれた。へえ、そう。何で来たのよ、せっかく一人で出てきたのに。むくれて見せたけど、向希は気にすることなく私の横を歩き始めた。橋に差し掛かると、誰かが
「彼女ー?」って冷やかした。
難しい質問だ。違うと言えば誰ってなる。妹と言えば似てないってなる。そしたら、血が繋がってないからねって……そこまで言わなきゃならんかはわからないけど、どうするのかな、向ちゃん。向希に任せるしかなく、向希が何て答えるのか、私は黙っていた。
向希はそれに返事もせず、「いいな、水遊び。気持ちよさそう」と返した。
「オー、お前たちも来るか?」
お前たち?お前たちって、私も?やだよ。
「はは、またね」
向希はそこで大きく手を振って、男の子たちに別れの挨拶をすると、元来た道を戻った。橋に用が無くなった私も、仕方なく続く。むくれている私に気づかないことに腹が立って、更に頬を膨らませた。
驚いたことに、向希は私の手を取った。私はいつの間にか、エノコログサをどこかで手放していたらしい。
「は、何すんの」
「いいから」
男の子たちが見えなくなる頃、向希は口を開いた。
「ねえ、有ちゃんどこ行くつもりだったの? どうりでそんな服着てるわけだ」
お見通しなくせにそう聞く向希に私は頬を熱くした。
「誰かの偶像をかたちにしてみたの」
向希は訝しげに目を細めた。まあね、そうなるね。
「白いエプロンみたいなものだよ」
向希はますます眉根を寄せてしまった。むくれた女の子としかめっつらの男の子。手はまだ繋いだままだ。おそらく、干支一周しちゃうくらい、ぶりに向希と手を繋いだ。
「家に帰ると、優しそうなお母さんがね、白いエプロンをして、ほかほかの美味しそうなご飯をつくって出迎えてくれる。そんな白いエプロンは誰かの理想をかたちにしたものでしょう? この白いワンピース、だっさいけど、太陽の光を吸収して眩しく見えるでしょ? 男の子、好きそうじゃない?」
向希は目を丸くして数秒後に、ふ、ふ、ふ、と三度ほど息を漏らすと「あははははは」と仰け反って笑だした。ゲラゲラゲラゲラ。顔面崩壊してますけど。
向希はすごい笑ったけれど、一定の理解は示した
「あの人、すごい時代遅れなファッションだったんだけど。すごい“いい女でしょ”って顔してた。ダサい。けどあのテのタイプは一定数需要があって、モテるんだろうな」
向希があの人と呼んだ本当のお母さんの容姿が目に浮かぶ。
「あの人にとっては白いワンピースみたいなもんなんだね。ごめんね、ダサくって」
「なぁ。あの人ももう結婚してるだろうに」
「間違っても白いエプロンは着けないだろうね」
思わず、イメージから言うと、向希はだろうねと言うように肩をすくめた。
「有ちゃん、大丈夫?」
結局向希は受験勉強を投げ出して、真実を知った私を心配して追いかけてきてくれたのだ。この手だってきっとそう。繋いだ手はじんわりどちらも汗が滲んでいた。
「うん。大丈夫。夏に乗じて許してあげようと思って」
誰も悪くはないのだ。両親が今喧嘩してることに不便を強いられていること以外は。
「そっか」
「うん。だから、残りの夏は楽しむつもり」
「その楽しむってのが、見知らぬ男に声でもかけるってこと?」
ぐ、向ちゃんどこから見てたんだろ。
「ちゃんと恋愛するとかじゃないよ、ただ数日遊ぶ男の子が欲しかっただけ」
「絶対に紹介しないからな」
向希は低い声で言い放った。
「いらないよ。向ちゃんの知り合いなんて絶対に嫌」
向希が足を止めて私をきつくにらんだ。
「違うってば、ちょっとくらい浮かれるでしょ。ここは私にとっては旅先みたいなもんなんだから。そういうのは良くないとか、みんなが心配するとか、そんなつまらない事言わないでよ」
「わかった」
向希は渋々歩き出した。
「そ、実際あるわけないんだから」
「そうかな、あいつら、有ちゃんのことじっと見てたよ」
そうだよ、私だってまんざらじゃなかった。でも向希と並んだらひどいもんだよ。
「川から距離があったからね」
「いや、あれくらいならちゃんと見えるよ」
「日傘で顔隠れてたんじゃない?」
「下から見上げてるんだから日傘で隠れないだろ」
「じゃあ、白いワンピースが効いたんだ」
私がそう言うと向希は笑い出して、私も遂に吹き出してしまった。私たちはそこで変なきのこでも食べたかのように笑った。
「私ねぇ、お父さんが可愛い可愛い言うもんだから、自分のこと可愛いって思ってたの。中学で向ちゃんと兄妹だってことをみんなが知ったら酷い目にあったよ。ある意味現実を知れてよかったかもね。勘違い女になるとこだったよ」
呼吸を整えながら、そう言った。
「ごめん」
「は、別に向ちゃんは悪くな……」
責めたつもりじゃなかったし、向ちゃんのせいじゃない事くらい私はわかっていた。なにより、もういいのだ。さっき言った通り『ある意味よかった』と思えるくらいには気持ちを整理出来ていた。
知らない女の子というのは想像を掻き立てられ、魅力的にうつるのではないか。旅先では簡単に恋に落ちてしまう、あのマジックみたいなものだ。それでも、向けられた視線に悪い気はしなかった。案外いけるんじゃないか、私は。この日傘だって儚げに見せるのに一役かってるかもしれない。
さすがに下に降りていく勇気はないけれど、やっぱり橋のところまで行ってみよう。ひょっとしたら、誰か声を掛けてくれるかもしれないから。
ほのかな期待に誰も私を知らないという事実が背中を押してくれた。胸がドキドキする。私は男の子たちの視線に気づかない振りをして、橋へ向かってゆっくりゆっくり歩いた。
「庄司、庄司じゃん!」
不意に名前を呼ばれ、私は日傘を落っことしそうになった。これだけ気取っておいて知り合いだったなんて、笑えない。
「ほんとだ、向希だ」
え、向希?そっと振り返ると、いつの間にか私の少し後ろに向希がいて、男の子たちに向かって「久しぶり」なんて喋ってる。
あーあ。一気に気持ちが萎えてしまった。向希の友達かあ。それなら、私の顔なんて期待外れに違いなかった。私はこの川までの距離と、持っていた日傘に感謝した。顔を隠すのにちょうど良かった。
向希は私に
「小学校の時の同級生」
だって教えてくれた。へえ、そう。何で来たのよ、せっかく一人で出てきたのに。むくれて見せたけど、向希は気にすることなく私の横を歩き始めた。橋に差し掛かると、誰かが
「彼女ー?」って冷やかした。
難しい質問だ。違うと言えば誰ってなる。妹と言えば似てないってなる。そしたら、血が繋がってないからねって……そこまで言わなきゃならんかはわからないけど、どうするのかな、向ちゃん。向希に任せるしかなく、向希が何て答えるのか、私は黙っていた。
向希はそれに返事もせず、「いいな、水遊び。気持ちよさそう」と返した。
「オー、お前たちも来るか?」
お前たち?お前たちって、私も?やだよ。
「はは、またね」
向希はそこで大きく手を振って、男の子たちに別れの挨拶をすると、元来た道を戻った。橋に用が無くなった私も、仕方なく続く。むくれている私に気づかないことに腹が立って、更に頬を膨らませた。
驚いたことに、向希は私の手を取った。私はいつの間にか、エノコログサをどこかで手放していたらしい。
「は、何すんの」
「いいから」
男の子たちが見えなくなる頃、向希は口を開いた。
「ねえ、有ちゃんどこ行くつもりだったの? どうりでそんな服着てるわけだ」
お見通しなくせにそう聞く向希に私は頬を熱くした。
「誰かの偶像をかたちにしてみたの」
向希は訝しげに目を細めた。まあね、そうなるね。
「白いエプロンみたいなものだよ」
向希はますます眉根を寄せてしまった。むくれた女の子としかめっつらの男の子。手はまだ繋いだままだ。おそらく、干支一周しちゃうくらい、ぶりに向希と手を繋いだ。
「家に帰ると、優しそうなお母さんがね、白いエプロンをして、ほかほかの美味しそうなご飯をつくって出迎えてくれる。そんな白いエプロンは誰かの理想をかたちにしたものでしょう? この白いワンピース、だっさいけど、太陽の光を吸収して眩しく見えるでしょ? 男の子、好きそうじゃない?」
向希は目を丸くして数秒後に、ふ、ふ、ふ、と三度ほど息を漏らすと「あははははは」と仰け反って笑だした。ゲラゲラゲラゲラ。顔面崩壊してますけど。
向希はすごい笑ったけれど、一定の理解は示した
「あの人、すごい時代遅れなファッションだったんだけど。すごい“いい女でしょ”って顔してた。ダサい。けどあのテのタイプは一定数需要があって、モテるんだろうな」
向希があの人と呼んだ本当のお母さんの容姿が目に浮かぶ。
「あの人にとっては白いワンピースみたいなもんなんだね。ごめんね、ダサくって」
「なぁ。あの人ももう結婚してるだろうに」
「間違っても白いエプロンは着けないだろうね」
思わず、イメージから言うと、向希はだろうねと言うように肩をすくめた。
「有ちゃん、大丈夫?」
結局向希は受験勉強を投げ出して、真実を知った私を心配して追いかけてきてくれたのだ。この手だってきっとそう。繋いだ手はじんわりどちらも汗が滲んでいた。
「うん。大丈夫。夏に乗じて許してあげようと思って」
誰も悪くはないのだ。両親が今喧嘩してることに不便を強いられていること以外は。
「そっか」
「うん。だから、残りの夏は楽しむつもり」
「その楽しむってのが、見知らぬ男に声でもかけるってこと?」
ぐ、向ちゃんどこから見てたんだろ。
「ちゃんと恋愛するとかじゃないよ、ただ数日遊ぶ男の子が欲しかっただけ」
「絶対に紹介しないからな」
向希は低い声で言い放った。
「いらないよ。向ちゃんの知り合いなんて絶対に嫌」
向希が足を止めて私をきつくにらんだ。
「違うってば、ちょっとくらい浮かれるでしょ。ここは私にとっては旅先みたいなもんなんだから。そういうのは良くないとか、みんなが心配するとか、そんなつまらない事言わないでよ」
「わかった」
向希は渋々歩き出した。
「そ、実際あるわけないんだから」
「そうかな、あいつら、有ちゃんのことじっと見てたよ」
そうだよ、私だってまんざらじゃなかった。でも向希と並んだらひどいもんだよ。
「川から距離があったからね」
「いや、あれくらいならちゃんと見えるよ」
「日傘で顔隠れてたんじゃない?」
「下から見上げてるんだから日傘で隠れないだろ」
「じゃあ、白いワンピースが効いたんだ」
私がそう言うと向希は笑い出して、私も遂に吹き出してしまった。私たちはそこで変なきのこでも食べたかのように笑った。
「私ねぇ、お父さんが可愛い可愛い言うもんだから、自分のこと可愛いって思ってたの。中学で向ちゃんと兄妹だってことをみんなが知ったら酷い目にあったよ。ある意味現実を知れてよかったかもね。勘違い女になるとこだったよ」
呼吸を整えながら、そう言った。
「ごめん」
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