三度目の庄司

西原衣都

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2 常識的な家出

第8話

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「相手に打ち明ける前に相手が亡くなったんだ。バイクの事故」

 それは、到底立ち直れる話ではない。お腹にいた子供が唯一の希望とかいうやつか?

「それが、友達と競争して事故ったらしいんだ。完璧に自分が悪い。だからといって母さんが救われるわけじゃないだろ? 妊娠したことを誰にも言えず、どこかへ行きたくて、でも、行き詰まって、そこのバス停にぽつんと座っていたらしい。そこにどこかへ行きたくてバス停に向かった父さんと出会った」

 どこか、つくりものの話を聞いてるようで、若い頃の二人が並ぶ姿は綺麗だっただろうなあ。と考えるに留まった。

「父さんが、産むなら一緒に育てようって」
「はあ?」
「その反応が正しいな。とにかく両家の親、大反対。揉めに揉め。そこに生まれたての俺も参戦。揉めに揉め。それでも産まれて来たわけだ、有ちゃん。だから、父さんもここのじいちゃんばあちゃんとよそよそしいし、母さんも向こうのじいちゃんばあちゃんとよそよそしい。根に持ってんだろな。その時のこと。父さんも母さんもこぶつき初婚。有ちゃんが3歳なったくらいにやっと二人は結婚した。親が折れた。どっちもこぶつきだからね、お互い妥協したってわけ」

「それで、また離婚するー?」
「まあ、そう思うよね。そこが二人らしいというか……」

 なんというか、なんというか。私はここに大人たちの底力を見た。大したもんだと思う。だれ一人、子供に不便はかけなかったのだから。

 私たちのせいで揉めに揉めたのに、私たちのために家族を結成し、完璧なまでに家族を演じきったのだから。

 そう、まさか血が繋がってないなんて微塵も思わないほどに。血が繋がっていないという部分だけは私が知らなかったお陰で、友人たち誰も知らなかった。幸い、誰も知らなかったのだ。高校で他人のふりを出来た所以だ。

 事実というものは私たちが生まれる前から何一つ変わっていないのだ。

 ただ、それをいつ知るか。知っているのか、知らないのか。それだけの事なのに、ずいぶんと無機質なくせに、辛辣だ。

「本当の意味で家庭をかきまわした諸悪の根源たちはさっさと目の前から消えた。何なら有ちゃんのお父さんはこの世から消えた。不本意だっただろうけども」

 悪口なんて口にしたことない向希がこう言うのだから、万が一普通の血縁関係で結ばれた家庭になっていたら……。もっと普通でない家庭になっていただろうことが想像出来る。こっちの家庭の方が普通。変なの。

「はあ、揉めてもちゃんとやり遂げるんだからすごいよ、みんな」
 ほええと息を吐きながら言う。
「そうそう。有ちゃん、血が繋がってないってわかっててもここへ平気で来るくらいだからね」
 茶目っ気たっぷりで言われたけど、向希はそれでいいんだと思っているのだ。

 私の今の年で子供を産むということを考えてみる。私は子供を育てたことはないけれど、それが簡単なことでないのは想像できる。まして、高校生になんか……。やりたいことも普通の若者ができうる楽しみもなく、両親とも険悪になるなんて。
 父と母の18年は消えたのだ。私たちのために、消えたのだ。
 普通なら、私たちがいなければ、一つの恋が終わって次の恋に落ちて、いくつもの恋をくぐり抜けて、やがてこの人っていう相手に出会う。母は高校卒業後、進学せずに働いている。やりきれない思いが胸を覆った。

「有ちゃん、何も18年前のことで悩む必要はないよ。解決してるんだから。俺たちだって被害者だ、なんて思ってないけど、それなりに悩みが増えてるのは確かだし」
「そうだね」

 とはいえ、しょうがないよねなんて軽くは思えなかった。

 父の本当の子供じゃないってわかった時、すべてが虚構に思えた。いつか見たドラマの家族、白いエプロン。作り物だってわかって見ているのと、本物だと信じていたものが作り物だった心の持ち方はちがう。
 それでいて自分勝手に再び家庭を壊そうとする両親に苛立ちを覚えた。騙されてた、偽物だった。疑わなかった父の愛は抜かりない演技だったのか。血がつながってないというだけで疑いの心が芽を出し、日に日に心の霧が濃くなった。

 私はどうやってあの家族というコミュニティから抜け出そうかと考えるようになった。早く大人になりたかった。高校生になれば、ある程度の自由は手に入れた。祖父母宅ではないどこかへ行って一人で暮らそうかとも思った。

 だけど、そう思う度、数々の常識が私の前に立ちはだかり、抜け出せない理由を語りだすのだ。その常識はいつも父の姿をしていた。無駄にイケメンで無駄に優しく、最後には泣く。泣き落とししてくるのだ。まともな生活が出来ない事を知っている。甘ったれた発想だってことも。ひとつ年をとるごとに子供であることを痛感している。大人になりたい気持ちと同じくらい子供でいたい気持ちが同居していることも。私は、甘ったれている。

  私は父から家族ゆえの乱雑な扱いすら受けたことがなかった。自分と同い年程度の男子がそれをやってのけるだろうか。同じくらいの年になったからこそ父を思いやれる気持ちも出てくる。単純に無理だ。高校を出てすぐの男の子に二人の子供を引き受けることなんて。

 向希は私が物思いにふけっている横で静かに待っていてくれた。

 向希なら……どうしただろうか。相変わらず同い年とは思えない横顔で庭を見ている。私の視線に気づくと笑って見せた。笑ってるよ。これ、同類相憐れむってやつか?と探ってみるが、向希は自分も私も憐れとも思ってないに違いなかった。

「ねぇ、向ちゃん。ここへ家出してきてよかったのかな? どこか誰も知らない所へ行ったほうが……」
「破天荒なのがかっこよく見える年齢は過ぎただろう」
 向希が嗜めた。
「はい。迷惑かけちゃうもんね」
「心配かけるっつてんの」
 
 そうだ。私は父は父であって父以外では嫌なのだ。苛立ちでごまかしてきたけれど、仕方がないことが一番つらいのだ。向希もそれをわかっているのだろう。そして、受験生のくせにここへの家出についてくるくらい私のことも心配している。

 そして、受験生がここについてくることをわかっていて、期待どうりになって満足している私は、おのれの気持ちが傷ついたというアピールを目的に、周りの気遣いをを盾にして、家族に甘ったれ過ぎているのだ。

「二人ともいるの?」

 キッチンから祖母の声が聞こえた。

「はーい」
 私は祖母に返事をすると、向希に言った。
「私が行くね」
 向希は素直にうなづいた。向希は私に同情しなかった。私が、可哀そうじゃないからだ。私も、本当はそう思う。
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