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2 常識的な家出
第4話
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到着した日は雨だった。幸い電車を下りると祖父が迎えに来てくれていた。
「ちゃんとお父さんやお母さんには言ってきてるのか?」
「うん、大丈夫」
「そうか」
口数は少ないが、祖父が歓迎してくれているのは雰囲気でわかった。
雨は嫌いだ。真っ黒な空も、私を家に籠らせる雫も、傘を持たなきゃならないことも気に入らない。
だけど、ここの縁側はその雨を好きになる唯一の場所だった。さっそく寝そべると床板がひんやりと心地いい。体温で温まると、冷たい箇所を探して転がった。
ああ、現実から目を背けた場所の甘美なこと。雨の日もオツだなんて。私は仰向けでしっとりとした雨の色気をまとった庭に見とれていた。たくさんの植物が綺麗に手入れされていて、この長雨も植物たちにとっては“恵みの雨”って気がする。
袖垣のすそに生えたシダが、屋根から軒に伝った雨にポツンポツンと叩かれ、お辞儀をしているようだった。祖母が私を覗きに来たが、眠っていると思ったのか足音を忍ばせ戻って行った。こんなだらしなく寛ぐ私の姿さえ祖母を喜ばせるのだから、ここは素晴らしい。
「雷でも鳴りそう」
雷は苦手だが、安全な場所にいる限り大したことではない。
梅雨の始まりに見た鈍色の空はおどろおどろしかったが、ここから見ると趣がある気すらしてくるのだから、環境というのは大事である。
鈍色という色は源氏物語で知った。喪服の色だ。わかるなあ、あまり気分のいい色じゃない。
葵上が亡くなった時は物語にたくさんの鈍色がちりばめられていて、そのことから光の君は大層落ち込みなさったのだろう。大して構いもしなかったのに死んだらドーンと落ち込んで、落ち込むだけ落ち込めば、さっさと若い女のところへ行くなんて、イケメンはなんでも許されるのか……。
こんな風に思ってしまうのだから私に趣とやらは役不足だろうか。
「浮気する男なんて、くそじゃん」
独り言に返事が返ってきた。
「なに、有ちゃん浮気でもされた?」
「……び……びっくりした」
勝手口の開く音はしたけどてっきり祖母だと思っていた。
「うん。で?」
「でって、向ちゃん来ないでって言ったのに」
「うん。先に答えて。浮気でもされた? そうじゃなきゃ、父さんか母さん……」
「これ以上複雑な家庭にしないでよ。私はねぇ、ここから見る五月雨に雅な心境になってただけ」
「なるほど。『くそ』とは随分と趣があるね」
向希に言われ、カッと顔が熱くなった。苛立ちのままにガバッと起き上がると、向希がここへ来たことに抗議した。
「それより、来ないでって言ったじゃん!」
「うん。けど、有ちゃん何もしないから、俺はばあちゃんが大変だろって手伝いに来たんだよ」
「ぐ」
一先ず、『ぐぅ』の音くらいは出せた。
「あと、あの二人も、二人きりの期間が一か月もあれば何らかの進展はあるだろうなって、思ったんだ」
向希の言葉は最もだった。父と母、向き合わずして何も起きないのだから。向希は父母を向き合わせるためにここに来たのだ。私とは違う。なんとも思慮深い向希らしい。
向希は私よりずっと大人だ。
「有ちゃん、おばあちゃんが二階の洋室使ってもいいって言ってるけどどうする? 」
「ん-、布団は畳の部屋に敷くほうが気持ちいいから、私はここでいいや。縁側にもすぐ出れるし」
「そっか。じゃあ俺もそうしよ。ばあちゃーん、有ちゃん、ここでいいって」
「はーい。ごめんねぇ、天気が良かったらお布団も干せたのだけど」
「いいよ、私、気にしない」
そのうち嫌って程太陽がギンギンになるだろうし。
「あ、布団乾燥機あったよね?」
向希がそう言いながら、祖母の方へ言ってしまった。それからしばらくすると布団乾燥機を持って戻ってきた。
「いいのに」
「今からかけといたら、寝るころには冷めてると思うから」
向希はそう言って、隣の部屋に二人分の布団を広げた。向希って色々すごいわ。さっさと荷物も片づけてるし。私のは、というとまだそこに置きっぱなしだ。いいじゃないか、のんびりするために来たのだから。
「あーあ、一人になってかっこいい人でも探しに行こうかと思ってたのに」
不服を言うと、障子越しに訊かれる。
「有ちゃん、彼氏いないっけ」
「そ、だからセンセーショナルな出会いを求めて……」
フンッと鼻で笑う声が聞こえた。ムッとして私は勢いよく襖を開けた。スパーンと大きな音が鳴った。何か言ってやろうと思ったのに
「バカじゃねぇ?」
と、言葉通りバカにした表情の向希の顔がそこにあった。そうだ、さっきから妙な違和感があった。
「ちゃんとお父さんやお母さんには言ってきてるのか?」
「うん、大丈夫」
「そうか」
口数は少ないが、祖父が歓迎してくれているのは雰囲気でわかった。
雨は嫌いだ。真っ黒な空も、私を家に籠らせる雫も、傘を持たなきゃならないことも気に入らない。
だけど、ここの縁側はその雨を好きになる唯一の場所だった。さっそく寝そべると床板がひんやりと心地いい。体温で温まると、冷たい箇所を探して転がった。
ああ、現実から目を背けた場所の甘美なこと。雨の日もオツだなんて。私は仰向けでしっとりとした雨の色気をまとった庭に見とれていた。たくさんの植物が綺麗に手入れされていて、この長雨も植物たちにとっては“恵みの雨”って気がする。
袖垣のすそに生えたシダが、屋根から軒に伝った雨にポツンポツンと叩かれ、お辞儀をしているようだった。祖母が私を覗きに来たが、眠っていると思ったのか足音を忍ばせ戻って行った。こんなだらしなく寛ぐ私の姿さえ祖母を喜ばせるのだから、ここは素晴らしい。
「雷でも鳴りそう」
雷は苦手だが、安全な場所にいる限り大したことではない。
梅雨の始まりに見た鈍色の空はおどろおどろしかったが、ここから見ると趣がある気すらしてくるのだから、環境というのは大事である。
鈍色という色は源氏物語で知った。喪服の色だ。わかるなあ、あまり気分のいい色じゃない。
葵上が亡くなった時は物語にたくさんの鈍色がちりばめられていて、そのことから光の君は大層落ち込みなさったのだろう。大して構いもしなかったのに死んだらドーンと落ち込んで、落ち込むだけ落ち込めば、さっさと若い女のところへ行くなんて、イケメンはなんでも許されるのか……。
こんな風に思ってしまうのだから私に趣とやらは役不足だろうか。
「浮気する男なんて、くそじゃん」
独り言に返事が返ってきた。
「なに、有ちゃん浮気でもされた?」
「……び……びっくりした」
勝手口の開く音はしたけどてっきり祖母だと思っていた。
「うん。で?」
「でって、向ちゃん来ないでって言ったのに」
「うん。先に答えて。浮気でもされた? そうじゃなきゃ、父さんか母さん……」
「これ以上複雑な家庭にしないでよ。私はねぇ、ここから見る五月雨に雅な心境になってただけ」
「なるほど。『くそ』とは随分と趣があるね」
向希に言われ、カッと顔が熱くなった。苛立ちのままにガバッと起き上がると、向希がここへ来たことに抗議した。
「それより、来ないでって言ったじゃん!」
「うん。けど、有ちゃん何もしないから、俺はばあちゃんが大変だろって手伝いに来たんだよ」
「ぐ」
一先ず、『ぐぅ』の音くらいは出せた。
「あと、あの二人も、二人きりの期間が一か月もあれば何らかの進展はあるだろうなって、思ったんだ」
向希の言葉は最もだった。父と母、向き合わずして何も起きないのだから。向希は父母を向き合わせるためにここに来たのだ。私とは違う。なんとも思慮深い向希らしい。
向希は私よりずっと大人だ。
「有ちゃん、おばあちゃんが二階の洋室使ってもいいって言ってるけどどうする? 」
「ん-、布団は畳の部屋に敷くほうが気持ちいいから、私はここでいいや。縁側にもすぐ出れるし」
「そっか。じゃあ俺もそうしよ。ばあちゃーん、有ちゃん、ここでいいって」
「はーい。ごめんねぇ、天気が良かったらお布団も干せたのだけど」
「いいよ、私、気にしない」
そのうち嫌って程太陽がギンギンになるだろうし。
「あ、布団乾燥機あったよね?」
向希がそう言いながら、祖母の方へ言ってしまった。それからしばらくすると布団乾燥機を持って戻ってきた。
「いいのに」
「今からかけといたら、寝るころには冷めてると思うから」
向希はそう言って、隣の部屋に二人分の布団を広げた。向希って色々すごいわ。さっさと荷物も片づけてるし。私のは、というとまだそこに置きっぱなしだ。いいじゃないか、のんびりするために来たのだから。
「あーあ、一人になってかっこいい人でも探しに行こうかと思ってたのに」
不服を言うと、障子越しに訊かれる。
「有ちゃん、彼氏いないっけ」
「そ、だからセンセーショナルな出会いを求めて……」
フンッと鼻で笑う声が聞こえた。ムッとして私は勢いよく襖を開けた。スパーンと大きな音が鳴った。何か言ってやろうと思ったのに
「バカじゃねぇ?」
と、言葉通りバカにした表情の向希の顔がそこにあった。そうだ、さっきから妙な違和感があった。
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