4 / 48
1 二度目の庄司
第4話
しおりを挟む
「絶対よ、絶対だからね」
一日の始まりに、兄の向希にこう言うようになって、二年と少し経った。
高校生活のいつもの朝の光景に父は苦笑いし、向希は呆れ顔で「わかってる」と、頷いた。
兄と同じ高校に行くことを嫌だと言い出せないまま高校生活は始まった。幸い、同じ中学校出身の子はいない。バレることはないだろう。 私に兄がいることは、高校で知る人は誰もいない。それを良いことに私は向希と兄妹であることを隠すことを決めたのだ。親も教師も巻き込んで、徹底して隠した。中学の時にのようになるのは嫌だったからだ。向希の妹としてではない高校生活を送りたかった。
「絶対に、兄妹だってバレないようにしてよ」
向希は返事をするのも面倒くさくなったのか、視線だけを寄越した。
「有ちゃん、お弁当、残さず食べてね」
語尾にハートマークでもつきそうな柔らかな声で、父親はずっしりと中身の詰まったランチボックスを入れたトートバッグをやや強引に手渡してきた。
「どうも」
気持ちがこもらない形式上の礼を言う。この態度の悪い娘にも、にこにこ笑って
「あ、パパも一緒に出てもいい?」
と、私にお伺いをたてる。私の父への呼び方はとっくに『お父さん』になっているのに。
「はあ、どーぞ。つか、向希と行けばいいのに」
「いや、向希と一緒なら間に合わないから」
「……じゃあ、わざわざ『いい?』なんて聞かなきゃいいのに」
聞こえるから聞こえないかくらいの声で父親にそう言ったけれど、聞こえたとしても父親はにこにこ笑うだけだろう。
「保冷剤入れてるけどね、日当たりのいいとこには置かないで。あと、有ちゃんの好きな一口ゼリーも凍らせて入れてるから。みかん味の。お昼には溶けてると思うけど。お弁当が悪くならないように」
「……わかった」
「ああ、自転車のブレーキちゃんと利く? 週末にメンテナンスしとけばよかった」
「大丈夫」
「そう?」
「わかったから、早く行って」
「うん、行ってきます。有ちゃんも行ってらっしゃい」
父親は私が見えなくなるまで見送ってから、駅へとむかった。あの人はいつまで私がみかん味のゼリーで喜ぶと思っているのだろうか。
「僕のはりんご味だって」
後ろからからかう様な声が聞こえ、私は声の主にしかめっ面を返した。
「登校の時間ずらしてって言ったでしょ?」
「有ちゃん漕ぐの遅いんだもん。今日は僕が先に行くね」
「お弁当、絶対に誰にも見られないようにしてよね」
「……わかってる」
向希は私をすいっと追い抜くと、あっという間に小さくなっていった。お弁当から兄妹だって探る子がいるかもしれない。女子は向希に関しては信じられないくらい勘が働いたりするのだ。
あと半年ちょっとの我慢だ。マンモス校ゆえに、なかなかうまくいっていた。庄司なんていう名字は学年に二人いたとしても、すぐに兄妹だって結びつける人はいない。
私の高校生活はこのまま平和に終わる……はずだった。
両親はいつでも話す準備は出来ていたみたいだが、ただ、幼かった私には受け止められる度量がなかった。未だに、でもある。
──真実を知ってから六年近く経った、高校3年生の初夏。
「子どもたちも、もう18なんだから本人の意思を尊重すべきよね」
朝食の時間、珍しく起きてきた母親がポツリそう言った。
「圭織ちゃん」
父親の低く咎めるような声で母親は押し黙った。父親はいつも通りの笑顔を作り、私と向希に朝食を振る舞った。この時、父と母は二週間以上口を聞いていなかった。かろうじて父は私たちの前では母を穏便に取り扱っていた。
パツンと何かが切れた音がした。たぶん、堪忍袋とかいうやつの緒。
――……一体、何度こんな目に合わないとならないのだろう。もやもやした気持ちにこの時期独特のじめじめした気候が拍車をかけた。やたらめったら揺れる電車内で、その揺れに身を任せながら、私はため息を吐いた。
私の幸せはいつも親に左右されてきた。父と母の夫婦関係がいつ破綻したのか一度目の離婚では気づくことが出来なかった。小さい子は敏感だというが、悟らせなかった親も大したもんだ。
だが、今回はそうもいかないのだ。二度あることは三度ある。どうも両親の言動に機敏になったしまうのだ。そういう子供に悟らせない能力に関して父は長けていたが、何分あの母のことだ隠す気なんてないのだ。
時に今回の様子は、ただの痴話げんかではなさそうだった。
私はまた大西有希に戻るのだろうか。それでも構わない、それならそれでこっちにだって準備がいるのだ。もう子供ではないのだから。
私は綿密に計画をたて、人生で数回目の家出を実行したのだ。
一日の始まりに、兄の向希にこう言うようになって、二年と少し経った。
高校生活のいつもの朝の光景に父は苦笑いし、向希は呆れ顔で「わかってる」と、頷いた。
兄と同じ高校に行くことを嫌だと言い出せないまま高校生活は始まった。幸い、同じ中学校出身の子はいない。バレることはないだろう。 私に兄がいることは、高校で知る人は誰もいない。それを良いことに私は向希と兄妹であることを隠すことを決めたのだ。親も教師も巻き込んで、徹底して隠した。中学の時にのようになるのは嫌だったからだ。向希の妹としてではない高校生活を送りたかった。
「絶対に、兄妹だってバレないようにしてよ」
向希は返事をするのも面倒くさくなったのか、視線だけを寄越した。
「有ちゃん、お弁当、残さず食べてね」
語尾にハートマークでもつきそうな柔らかな声で、父親はずっしりと中身の詰まったランチボックスを入れたトートバッグをやや強引に手渡してきた。
「どうも」
気持ちがこもらない形式上の礼を言う。この態度の悪い娘にも、にこにこ笑って
「あ、パパも一緒に出てもいい?」
と、私にお伺いをたてる。私の父への呼び方はとっくに『お父さん』になっているのに。
「はあ、どーぞ。つか、向希と行けばいいのに」
「いや、向希と一緒なら間に合わないから」
「……じゃあ、わざわざ『いい?』なんて聞かなきゃいいのに」
聞こえるから聞こえないかくらいの声で父親にそう言ったけれど、聞こえたとしても父親はにこにこ笑うだけだろう。
「保冷剤入れてるけどね、日当たりのいいとこには置かないで。あと、有ちゃんの好きな一口ゼリーも凍らせて入れてるから。みかん味の。お昼には溶けてると思うけど。お弁当が悪くならないように」
「……わかった」
「ああ、自転車のブレーキちゃんと利く? 週末にメンテナンスしとけばよかった」
「大丈夫」
「そう?」
「わかったから、早く行って」
「うん、行ってきます。有ちゃんも行ってらっしゃい」
父親は私が見えなくなるまで見送ってから、駅へとむかった。あの人はいつまで私がみかん味のゼリーで喜ぶと思っているのだろうか。
「僕のはりんご味だって」
後ろからからかう様な声が聞こえ、私は声の主にしかめっ面を返した。
「登校の時間ずらしてって言ったでしょ?」
「有ちゃん漕ぐの遅いんだもん。今日は僕が先に行くね」
「お弁当、絶対に誰にも見られないようにしてよね」
「……わかってる」
向希は私をすいっと追い抜くと、あっという間に小さくなっていった。お弁当から兄妹だって探る子がいるかもしれない。女子は向希に関しては信じられないくらい勘が働いたりするのだ。
あと半年ちょっとの我慢だ。マンモス校ゆえに、なかなかうまくいっていた。庄司なんていう名字は学年に二人いたとしても、すぐに兄妹だって結びつける人はいない。
私の高校生活はこのまま平和に終わる……はずだった。
両親はいつでも話す準備は出来ていたみたいだが、ただ、幼かった私には受け止められる度量がなかった。未だに、でもある。
──真実を知ってから六年近く経った、高校3年生の初夏。
「子どもたちも、もう18なんだから本人の意思を尊重すべきよね」
朝食の時間、珍しく起きてきた母親がポツリそう言った。
「圭織ちゃん」
父親の低く咎めるような声で母親は押し黙った。父親はいつも通りの笑顔を作り、私と向希に朝食を振る舞った。この時、父と母は二週間以上口を聞いていなかった。かろうじて父は私たちの前では母を穏便に取り扱っていた。
パツンと何かが切れた音がした。たぶん、堪忍袋とかいうやつの緒。
――……一体、何度こんな目に合わないとならないのだろう。もやもやした気持ちにこの時期独特のじめじめした気候が拍車をかけた。やたらめったら揺れる電車内で、その揺れに身を任せながら、私はため息を吐いた。
私の幸せはいつも親に左右されてきた。父と母の夫婦関係がいつ破綻したのか一度目の離婚では気づくことが出来なかった。小さい子は敏感だというが、悟らせなかった親も大したもんだ。
だが、今回はそうもいかないのだ。二度あることは三度ある。どうも両親の言動に機敏になったしまうのだ。そういう子供に悟らせない能力に関して父は長けていたが、何分あの母のことだ隠す気なんてないのだ。
時に今回の様子は、ただの痴話げんかではなさそうだった。
私はまた大西有希に戻るのだろうか。それでも構わない、それならそれでこっちにだって準備がいるのだ。もう子供ではないのだから。
私は綿密に計画をたて、人生で数回目の家出を実行したのだ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる