三度目の庄司

西原衣都

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1 二度目の庄司

第4話

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「絶対よ、絶対だからね」

 一日の始まりに、兄の向希にこう言うようになって、二年と少し経った。

 高校生活のいつもの朝の光景に父は苦笑いし、向希は呆れ顔で「わかってる」と、頷いた。

 兄と同じ高校に行くことを嫌だと言い出せないまま高校生活は始まった。幸い、同じ中学校出身の子はいない。バレることはないだろう。  私に兄がいることは、高校で知る人は誰もいない。それを良いことに私は向希と兄妹であることを隠すことを決めたのだ。親も教師も巻き込んで、徹底して隠した。中学の時にのようになるのは嫌だったからだ。向希の妹としてではない高校生活を送りたかった。

「絶対に、兄妹だってバレないようにしてよ」
 向希は返事をするのも面倒くさくなったのか、視線だけを寄越した。

「有ちゃん、お弁当、残さず食べてね」
 語尾にハートマークでもつきそうな柔らかな声で、父親はずっしりと中身の詰まったランチボックスを入れたトートバッグをやや強引に手渡してきた。
「どうも」
 気持ちがこもらない形式上の礼を言う。この態度の悪い娘にも、にこにこ笑って
「あ、パパも一緒に出てもいい?」
 と、私にお伺いをたてる。私の父への呼び方はとっくに『お父さん』になっているのに。
「はあ、どーぞ。つか、向希と行けばいいのに」
「いや、向希と一緒なら間に合わないから」
「……じゃあ、わざわざ『いい?』なんて聞かなきゃいいのに」
 聞こえるから聞こえないかくらいの声で父親にそう言ったけれど、聞こえたとしても父親はにこにこ笑うだけだろう。


「保冷剤入れてるけどね、日当たりのいいとこには置かないで。あと、有ちゃんの好きな一口ゼリーも凍らせて入れてるから。みかん味の。お昼には溶けてると思うけど。お弁当が悪くならないように」
「……わかった」
「ああ、自転車のブレーキちゃんと利く?  週末にメンテナンスしとけばよかった」
「大丈夫」
「そう?」
「わかったから、早く行って」
「うん、行ってきます。有ちゃんも行ってらっしゃい」

 父親は私が見えなくなるまで見送ってから、駅へとむかった。あの人はいつまで私がみかん味のゼリーで喜ぶと思っているのだろうか。

「僕のはりんご味だって」
 後ろからからかう様な声が聞こえ、私は声の主にしかめっ面を返した。

「登校の時間ずらしてって言ったでしょ?」
「有ちゃん漕ぐの遅いんだもん。今日は僕が先に行くね」
「お弁当、絶対に誰にも見られないようにしてよね」
「……わかってる」

 向希は私をすいっと追い抜くと、あっという間に小さくなっていった。お弁当から兄妹だって探る子がいるかもしれない。女子は向希に関しては信じられないくらい勘が働いたりするのだ。

  あと半年ちょっとの我慢だ。マンモス校ゆえに、なかなかうまくいっていた。庄司なんていう名字は学年に二人いたとしても、すぐに兄妹だって結びつける人はいない。

 私の高校生活はこのまま平和に終わる……はずだった。

 両親はいつでも話す準備は出来ていたみたいだが、ただ、幼かった私には受け止められる度量がなかった。未だに、でもある。

 ──真実を知ってから六年近く経った、高校3年生の初夏。
「子どもたちも、もう18なんだから本人の意思を尊重すべきよね」

 朝食の時間、珍しく起きてきた母親がポツリそう言った。

「圭織ちゃん」
 父親の低く咎めるような声で母親は押し黙った。父親はいつも通りの笑顔を作り、私と向希に朝食を振る舞った。この時、父と母は二週間以上口を聞いていなかった。かろうじて父は私たちの前では母を穏便に取り扱っていた。

 パツンと何かが切れた音がした。たぶん、堪忍袋とかいうやつの緒。

 ――……一体、何度こんな目に合わないとならないのだろう。もやもやした気持ちにこの時期独特のじめじめした気候が拍車をかけた。やたらめったら揺れる電車内で、その揺れに身を任せながら、私はため息を吐いた。

 私の幸せはいつも親に左右されてきた。父と母の夫婦関係がいつ破綻したのか一度目の離婚では気づくことが出来なかった。小さい子は敏感だというが、悟らせなかった親も大したもんだ。

 だが、今回はそうもいかないのだ。二度あることは三度ある。どうも両親の言動に機敏になったしまうのだ。そういう子供に悟らせない能力に関して父は長けていたが、何分あの母のことだ隠す気なんてないのだ。

 時に今回の様子は、ただの痴話げんかではなさそうだった。

 私はまた大西有希に戻るのだろうか。それでも構わない、それならそれでこっちにだって準備がいるのだ。もう子供ではないのだから。
 
 私は綿密に計画をたて、人生で数回目の家出を実行したのだ。
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