上 下
92 / 95
現世と幽世

第92話「光の輪」

しおりを挟む
 長い時間が経ったような、そうでもないような不思議な感覚に襲われていた。暗闇に永遠に居続けると人はおかしくなると言うが、何故だろうかと心乃香は言い知れない不安の中で考えていた。

 まず、暗闇では視覚刺激が極端に減少し、脳が情報を処理する能力に影響を与えることが一因だろう。また暗闇にいると視覚以外の感覚が敏感になり、聴覚や触覚が増幅される。これにより人は恐怖や不安を感じやすくなり、心理的な影響が現れるのだろう。今は人ではないのにと、心乃香はフッと微笑んだ。

 見た目はこんなになってしまったが、自分はやっぱりちっぽけでくだらない人間だ。それがこの不安と恐怖で思い知らされる。本当に身も心も白熊だったら、こんな気持ちにはならないだろう。

 でも今は戻りたい。

 こんな風に考える時がくるなんて、心乃香は思いもしていなかった。何故?

 それはこの肩に乗っている八神斗哉のせいだ。何とも思ってなかったのに、大嫌いになって、いつの間にか心の大事な部分に居座っている。戻れなくても良かったのに。気が付いたら一緒に帰りたくなっていた。本当にずるい男だと黒猫になった斗哉を、心乃香はそっと撫でた。その時、心乃香は目の前に漂うクロの魂の炎がわずかに揺らぐのを見た。先程よりも脆弱になっている。めいいっぱい必死に輝いているように感じた。

(……お願い、もう少しだけ頑張って。永遠にだって歩き続けるから。私も諦めない)

 心乃香の瞳に覚悟の炎が宿った。

***

 ふわっと前方に綿毛のような光が見えてきた。心乃香の肩に乗っていた斗哉は、身軽にクルッと地面に着地し、前方の光に向かって走り出す。本当に現金なやつと、心乃香もつられて走り出した。

 光のトンネルを潜ると、そこは竹林の中だった。青臭い竹の香りがあたりに漂っている。体が軽い。重量を感じない。

 あたりには黒猫も蒼い炎も見当たらない。トンネルを抜ける時、逸れてしまったのかと、心乃香はいい知れない不安に襲われた。

「八神、クロ、どこなのっ」

 心乃香は叫び声を上げて、その自分の声に心臓が飛び跳ねた。高い声。白熊の時の声ではない。慌てて自分の両手を確認する。人の手だ。両腕で自分の体を抱え込む。人の体だ。頬や頭を触ってみる。人の頭部だ。

 どうやらよく知っている、自分の体に戻ったようだ。痩せ細っていて、見窄らしくて何の愛着もなかったはずの体なのに、今はたまらなく愛おしい。心乃香は自分の体を抱きしめた。

『如月、良かった、戻ったんだっ』

 心乃香の頭の周りを透けた白い炎が、ぐるぐると飛び回る。

「八神? また魂に戻っちゃったの?」
『そうみたいだ。暗闇から抜けたら、こうなってた』
「クロは?」
「こっちだよっ」

 竹林の向こうから、高く澄んだ声が突き抜けてくる。黒猫がこっちこっちと手招きしている。

「もう夜が明ける、時間がないっ、走って!」

 心乃香はその声に突き動かされるまま、人間に戻った足に力を込め、地面を蹴ってクロのいる方に走り出した。斗哉の魂も心乃香の後を追う。

 全力疾走。

 今まで生きてきて、こんなにがむしゃらに走ったことはない。いつだって力を温存し、本気になったことなどない。本気になったって、自分には何も変えられない成し得ないと、心乃香は生きてきた。弱者は何も変えることなど出来ないと。哀れな弱者は、必死になるだけ無駄だと。

 無駄かもしれない。間に合わないかもしれない。でも今ここで走らなかったら、一生後悔する。弱者が世界を変えられないなんて誰が決めた? 決めつけてたのは自分自身だ。自分を弱者と決めつけてたのは自分自身だ。

 弱者なんかじゃない。自分は「如月心乃香」以外の何者でもないと、心乃香は心に刻んで懸命に走った。

 心乃香と斗哉の魂が近づくのを見計らうと、クロは大きく息を吸い込みグッと体に力を込めた。その瞬間クロの体は金色に光だし、大きな輪っかに変形した。

 心乃香はこの輪に見覚えがあった。「茅の輪」だ。参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願すると言われている。

 この輪の向こうに帰るべき場所がある。心乃香は直感でそう感じ、迷うことなくその輪の中に飛び込んだ。

 輪の中は光で溢れており、温かさと優しさが心乃香たちの身を包む。

(やっぱり幽世まで行って良かった。今度は会えて良かった。諦めないで良かった。……じゃあね)

 クロの言葉が鋭く心を引っ掻く。心乃香が言葉を発する前に、光は消えて、心乃香と斗哉の魂は薄暗い空間に放り出された。鬱蒼と茂る林の中、ポツンと古びたお堂がある。このお堂には見覚えがある。

 帰ってきたのだ、あの神社に――

つづく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

【完結】碧よりも蒼く

多田莉都
青春
中学二年のときに、陸上競技の男子100m走で全国制覇を成し遂げたことのある深田碧斗は、高校になってからは何の実績もなかった。実績どころか、陸上部にすら所属していなかった。碧斗が走ることを辞めてしまったのにはある理由があった。 それは中学三年の大会で出会ったある才能の前に、碧斗は走ることを諦めてしまったからだった。中学を卒業し、祖父母の住む他県の高校を受験し、故郷の富山を離れた碧斗は無気力な日々を過ごす。 ある日、地元で深田碧斗が陸上の大会に出ていたということを知り、「何のことだ」と陸上雑誌を調べたところ、ある高校の深田碧斗が富山の大会に出場していた記録をみつけだした。 これは一体、どういうことなんだ? 碧斗は一路、富山へと帰り、事実を確かめることにした。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜

赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。 これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。 友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!

処理中です...