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現世と幽世

第84話「眼鏡を掛けた白熊」

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 そう斗哉に呼びかけられた白熊は、ゆっくり斗哉の方に視線を向けたが、しばらくすると再び手元の本に視線を落とした。

『はっ? この熊が心乃香? どういうこと?』

 クロの炎はわけが分からないと、斗哉の周りを飛び回った。

 まったく人間の頃の姿には似つかないし確証もないが、斗哉には目の前のこの白熊が「如月心乃香」であると感じていた。

「この熊から、鈴の音が聞こえた気がしたんだ」
『鈴?』

 斗哉は神社でかつての神主が言っていた、御守りの効果を思い出した。

“諦めなければ、その御守りが必ず貴方たちの縁をお助けします。一度結ばれた縁というのは、そうは簡単に切れないのです”

 斗哉は目頭が熱くなった。

***

「如月、如月だろ。オレ今こんな姿だけど、八神斗哉だよっ」

 斗哉は猫の身で、白熊の乗っているハンモックの周りを飛び回った。だが白熊は斗哉に目もくれず、黙々と読書を続けている。言葉が通じていないようだった。

『本当にこの熊が心乃香なの? 何かの間違いじゃないの。これじゃ本当にイザナミだよっ』

 クロの炎が怪訝に声を掛けてくる。斗哉は、心乃香と出雲に行った時のことを思い出していた。

“いつか何処かの孤島に移住して、一人でひっそり好きなことだけやって暮らしたい”

 かつて心乃香が言っていた言葉だ。今の彼女はこの小さな島の上で、ハンモックに揺られ、好きな本を優雅に読んでいる。あの言葉が彼女の本当の望みだったとしたら、今の彼女は本当の幸せを手に入れたのかもしれない。

 現実に生きることが人の絶対の幸せではない。人によって幸せはそれぞれだ。確かに彼女はもう現実にはいないが、ここで永遠に幸せになれるのなら、それは彼女の本当の幸せかもしれない。

 こんな形で彼女の幸せが叶うとは皮肉なものだ。彼女の幸せは、自分と現実世界に帰ることではなく、ここで永遠にあり続けることかもしれない。

 斗哉はそんな当たり前のことに気がついて、白熊の周りを飛び回るのをやめた。

(本当にオレは勝手だ。如月と一緒にいたかったのはオレだけだ。なにが助けるだ。如月は微塵もそんなこと望んでない)

 斗哉は後ろを振り返った。自分の本体と魂を結ぶものは、細く長く今にも切れそうになっている。如月が犠牲を払って救ってくれた自分の人生だけは無駄にはしてはいけない。この先どんなに寂しかろうが。斗哉は深く息を吸い込み、吐き出した。

「……クロ、帰ろう」

つづく
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