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16.私、単なるモブですけど
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「……ん……」
ゆっくりと意識が浮上する。
(ここ、は……?)
暗い部屋の中、最初に覚えたのは耐えがたいほどの喉の渇きだった。
それから、節々の痛み。石のように硬いベッドに横たわっていたせいで、体がすっかり強ばっていた。
ここは自宅ではないのだ、とすぐに気がついた。だって病気がちな私のために両親が買ってくれたベッドは、体が沈み込むほどやわらかなはずだから……。
「おや。お目覚めですか?」
私は再びきつく目をつぶる。
流れ込むように一気に記憶が蘇った。
突然私の家に現れた、魔族の男。私、この男にさらわれたんだ――……
「魔王城へようこそお出でくださいました、勇者の姫君よ。……明かりをつけましょうね。それからお茶とお菓子もどうぞ」
楽しげな言葉通り、室内がぱっと明るくなる。
独房のような部屋に閉じ込められているのかと思いきや、中は意外に広くて清潔だった。硬いベッドの他にはテーブルと椅子が二脚だけという、ひどく殺風景な部屋ではあるけれど。
(魔王城……ここが……?)
苦心しながらも起き上がり、笑顔の男を睨みつける。
虚勢を張っているだけだ。本心では怖くて怖くてたまらないけれど、強がってないと泣き出してしまいそうだったから。
男は気にする素振りもなく、華奢なティーカップにお茶を注いだ。湯気の立つそれを、「どうぞ」とテーブルに置いて椅子を示してみせる。
「ずっと寝ていらっしゃったので、喉が渇いているでしょう? ああご安心を、このお茶もお菓子も安全ですよ。何せ、アリサさんのご自宅から失敬してきたものですから」
絶句する私に、男が笑みを深くした。
「人間は魔界の飲食物を受け付けません。僕のこの体も人間ですから、ご相伴に預からせていただきますね?」
私は震える呼吸を飲み込んで、テーブルへと歩み寄る。けれどお茶には手を付けず、椅子に座る男の前に立った。
「あなたは、いったい……っ」
声がかすれて、うまく言葉にならなかった。
唇を噛む私を見て、男が小馬鹿にしたように肩をすくめる。
「はあ? そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ。――あなたは一体、何なのですか?」
「……え」
「勇者エーリクの幼馴染。ですが、それだけではありませんよね? どうしてだかあなたは未来を知り、そして僕の正体までも知っている――」
椅子から立ち上がった男に気圧され、私は思わず後ずさりした。
すぐに壁まで追い詰められ、男の腕に囚われる。
「最初の数回はね、あなた方の会話を魔術でこっそり傍受していたのですよ。けれどね、あまりにくだらないものだから僕はすぐに興味を失ってしまった。……今思うと、我ながら手痛い失敗でした」
私は茫然と立ち尽くした。
会話を傍受。最悪だ。
(私がエーリクに冒険の助言をしているのに、この男は気づいたんだ……!)
「最近になってようやくですよ。まるで先を見通したように動くあの勇者に、入れ知恵をしているのがあなただと知ったのは」
にやにやと笑い、男はぱっと私から離れた。手のひらを上に向けると、その手の中に透き通った水晶が現れる。
「まあ、もうそんな瑣末事はどうでもいいのです。――ご覧なさい。今現在の勇者たちの様子です」
「え……!? エーリクの?」
思わず吸い寄せられるように水晶を覗き込んだ。
会いたくて会いたくて――渇望してたまらなかった幼馴染の姿が、そこにあった。
遠目でよくは見えない。
けれど輝く大剣を軽々と振り、身の丈以上に大きな魔物を次々と屠っているのはわかった。その頼もしい姿に胸がいっぱいになる。
(エーリク……本当に、強くなったんだ……!)
嬉し涙をぬぐっていたら、男が険しい眼差しを私に注いでいるのに気がついた。私は怯えて水晶から顔を離す。
嘘くさい笑みはすっかり消えていて、男が忌々しそうに私を睨み据えた。
「いかがです? これを見て、僕があなたをここへ招待した理由がわかったでしょう」
「……へ?」
いや、全然わからないけど。
男は私の答えを持つように黙り込むが、わからないものはわからない。仕方なく、私は首をひねりながらもう一度水晶に目をやった。
さっきよりもカメラ(?)が引いていて、エーリクだけでなく仲間たちの姿も見えた。
ピンク髪の少女から巨大な光の矢が放たれ、妖艶な美女が炎の大爆発を起こし、筋骨隆々の男がこぶしで地面を叩き割った。大量の魔物たちがなすすべもなく吹っ飛んでいく。
「…………」
強っ。
なんだこの規格外な集団は。
「どうです、わかったでしょう? さあさあさあ?」
水晶を遠ざけて、男がぐいぐい顔を近づけてくる。
私は若干引き気味になりながら、なんとか言葉を絞り出した。
「えっと……。めちゃくちゃ、強いですね……?」
これって単なる感想だよな、と自信なく発言したのだが、意外にも男は「そう! そうなんですよ!」と得たりとばかりに頷いた。
「強いんです。強くなりすぎているんです。だというのに連中は、まだしつこくしつこく修行を積んでいる!」
「そ、そうですね?」
「あの強欲者どもめ、満足という言葉を知らないのか! ようやく僕の、積年の目的が果たされるというこの時に! このままではあの化け物集団に、僕の夢が台無しにされてしまう!!」
(……ああ、なるほど)
私はぱちぱちと瞬きした。
ここに来てようやく、男の言いたいことが理解できた。
男――この物語の黒幕、宰相ヴァールには秘めた目的がある。
――それは己こそが、現魔王に取って代わること。
宮廷魔術師コリーの精神を乗っ取ったヴァールは、人間界側から魔界との境界を弱めるよう働きかけた。
そして狙い通り境界が揺らぎ、魔族や魔物が人間界に侵攻してきたが、エーリクという勇者が現れてしまった。かつて魔族を魔界に封じた、神竜の相棒を引き連れて。
(……だけど、それすらもヴァールの計画のうちだったんだよね)
虎視眈々と魔王の地位を狙っていたヴァールは、人間の勇者に魔王を殺させようと考えたのだ。小出しに人間界を襲っていけば、いずれは封じられた神竜が目覚め、相応しき人間を選ぶに違いない、と。
宮廷魔術師の姿を借りたヴァールは、最初から勇者一行の旅路に協力的だった。要所要所で助言を与えすらしたのは、勇者に魔王を殺させる、ただその一事のためだった。
「えっと、それなのにエーリクがなかなか来ない……どころか、想定外に強くなりすぎちゃったんですね? このままじゃ魔王どころか自分の身まで危険になると気づいた、と」
「その通り!!」
ささやくように確かめる私に、男が鼻息荒く頷く。なるほど、そういうことね……。
私はとほほと肩を落とした。
「じゃあつまり、私をさらってきたのはエーリクへの餌に使うため、なんですね?」
「そうです。さすがにあの戦闘狂いの非常識勇者も、恋人が魔王城に囚われていると聞けば助けに来るでしょう? ふふふふ、愚かな脳筋勇者も僕の知略の前に敗れ去るというわけです」
知略、ってほどでもないと思うけど。
あきれながら、私はお腹に力を入れて男を睨みつける。そう、エーリクのためにも、これだけはちゃんと言っておかなくちゃ。
「――恋人なんかじゃ、ありません」
「……は?」
「私とエーリクは、兄妹同然に育った幼馴染です。エーリクの運命の相手はマリア姫なんだから! そこだけは絶対に勘違いしないようにっ!」
ぴしゃりと宣言すると、男が目を丸くした。
ゆっくりと意識が浮上する。
(ここ、は……?)
暗い部屋の中、最初に覚えたのは耐えがたいほどの喉の渇きだった。
それから、節々の痛み。石のように硬いベッドに横たわっていたせいで、体がすっかり強ばっていた。
ここは自宅ではないのだ、とすぐに気がついた。だって病気がちな私のために両親が買ってくれたベッドは、体が沈み込むほどやわらかなはずだから……。
「おや。お目覚めですか?」
私は再びきつく目をつぶる。
流れ込むように一気に記憶が蘇った。
突然私の家に現れた、魔族の男。私、この男にさらわれたんだ――……
「魔王城へようこそお出でくださいました、勇者の姫君よ。……明かりをつけましょうね。それからお茶とお菓子もどうぞ」
楽しげな言葉通り、室内がぱっと明るくなる。
独房のような部屋に閉じ込められているのかと思いきや、中は意外に広くて清潔だった。硬いベッドの他にはテーブルと椅子が二脚だけという、ひどく殺風景な部屋ではあるけれど。
(魔王城……ここが……?)
苦心しながらも起き上がり、笑顔の男を睨みつける。
虚勢を張っているだけだ。本心では怖くて怖くてたまらないけれど、強がってないと泣き出してしまいそうだったから。
男は気にする素振りもなく、華奢なティーカップにお茶を注いだ。湯気の立つそれを、「どうぞ」とテーブルに置いて椅子を示してみせる。
「ずっと寝ていらっしゃったので、喉が渇いているでしょう? ああご安心を、このお茶もお菓子も安全ですよ。何せ、アリサさんのご自宅から失敬してきたものですから」
絶句する私に、男が笑みを深くした。
「人間は魔界の飲食物を受け付けません。僕のこの体も人間ですから、ご相伴に預からせていただきますね?」
私は震える呼吸を飲み込んで、テーブルへと歩み寄る。けれどお茶には手を付けず、椅子に座る男の前に立った。
「あなたは、いったい……っ」
声がかすれて、うまく言葉にならなかった。
唇を噛む私を見て、男が小馬鹿にしたように肩をすくめる。
「はあ? そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ。――あなたは一体、何なのですか?」
「……え」
「勇者エーリクの幼馴染。ですが、それだけではありませんよね? どうしてだかあなたは未来を知り、そして僕の正体までも知っている――」
椅子から立ち上がった男に気圧され、私は思わず後ずさりした。
すぐに壁まで追い詰められ、男の腕に囚われる。
「最初の数回はね、あなた方の会話を魔術でこっそり傍受していたのですよ。けれどね、あまりにくだらないものだから僕はすぐに興味を失ってしまった。……今思うと、我ながら手痛い失敗でした」
私は茫然と立ち尽くした。
会話を傍受。最悪だ。
(私がエーリクに冒険の助言をしているのに、この男は気づいたんだ……!)
「最近になってようやくですよ。まるで先を見通したように動くあの勇者に、入れ知恵をしているのがあなただと知ったのは」
にやにやと笑い、男はぱっと私から離れた。手のひらを上に向けると、その手の中に透き通った水晶が現れる。
「まあ、もうそんな瑣末事はどうでもいいのです。――ご覧なさい。今現在の勇者たちの様子です」
「え……!? エーリクの?」
思わず吸い寄せられるように水晶を覗き込んだ。
会いたくて会いたくて――渇望してたまらなかった幼馴染の姿が、そこにあった。
遠目でよくは見えない。
けれど輝く大剣を軽々と振り、身の丈以上に大きな魔物を次々と屠っているのはわかった。その頼もしい姿に胸がいっぱいになる。
(エーリク……本当に、強くなったんだ……!)
嬉し涙をぬぐっていたら、男が険しい眼差しを私に注いでいるのに気がついた。私は怯えて水晶から顔を離す。
嘘くさい笑みはすっかり消えていて、男が忌々しそうに私を睨み据えた。
「いかがです? これを見て、僕があなたをここへ招待した理由がわかったでしょう」
「……へ?」
いや、全然わからないけど。
男は私の答えを持つように黙り込むが、わからないものはわからない。仕方なく、私は首をひねりながらもう一度水晶に目をやった。
さっきよりもカメラ(?)が引いていて、エーリクだけでなく仲間たちの姿も見えた。
ピンク髪の少女から巨大な光の矢が放たれ、妖艶な美女が炎の大爆発を起こし、筋骨隆々の男がこぶしで地面を叩き割った。大量の魔物たちがなすすべもなく吹っ飛んでいく。
「…………」
強っ。
なんだこの規格外な集団は。
「どうです、わかったでしょう? さあさあさあ?」
水晶を遠ざけて、男がぐいぐい顔を近づけてくる。
私は若干引き気味になりながら、なんとか言葉を絞り出した。
「えっと……。めちゃくちゃ、強いですね……?」
これって単なる感想だよな、と自信なく発言したのだが、意外にも男は「そう! そうなんですよ!」と得たりとばかりに頷いた。
「強いんです。強くなりすぎているんです。だというのに連中は、まだしつこくしつこく修行を積んでいる!」
「そ、そうですね?」
「あの強欲者どもめ、満足という言葉を知らないのか! ようやく僕の、積年の目的が果たされるというこの時に! このままではあの化け物集団に、僕の夢が台無しにされてしまう!!」
(……ああ、なるほど)
私はぱちぱちと瞬きした。
ここに来てようやく、男の言いたいことが理解できた。
男――この物語の黒幕、宰相ヴァールには秘めた目的がある。
――それは己こそが、現魔王に取って代わること。
宮廷魔術師コリーの精神を乗っ取ったヴァールは、人間界側から魔界との境界を弱めるよう働きかけた。
そして狙い通り境界が揺らぎ、魔族や魔物が人間界に侵攻してきたが、エーリクという勇者が現れてしまった。かつて魔族を魔界に封じた、神竜の相棒を引き連れて。
(……だけど、それすらもヴァールの計画のうちだったんだよね)
虎視眈々と魔王の地位を狙っていたヴァールは、人間の勇者に魔王を殺させようと考えたのだ。小出しに人間界を襲っていけば、いずれは封じられた神竜が目覚め、相応しき人間を選ぶに違いない、と。
宮廷魔術師の姿を借りたヴァールは、最初から勇者一行の旅路に協力的だった。要所要所で助言を与えすらしたのは、勇者に魔王を殺させる、ただその一事のためだった。
「えっと、それなのにエーリクがなかなか来ない……どころか、想定外に強くなりすぎちゃったんですね? このままじゃ魔王どころか自分の身まで危険になると気づいた、と」
「その通り!!」
ささやくように確かめる私に、男が鼻息荒く頷く。なるほど、そういうことね……。
私はとほほと肩を落とした。
「じゃあつまり、私をさらってきたのはエーリクへの餌に使うため、なんですね?」
「そうです。さすがにあの戦闘狂いの非常識勇者も、恋人が魔王城に囚われていると聞けば助けに来るでしょう? ふふふふ、愚かな脳筋勇者も僕の知略の前に敗れ去るというわけです」
知略、ってほどでもないと思うけど。
あきれながら、私はお腹に力を入れて男を睨みつける。そう、エーリクのためにも、これだけはちゃんと言っておかなくちゃ。
「――恋人なんかじゃ、ありません」
「……は?」
「私とエーリクは、兄妹同然に育った幼馴染です。エーリクの運命の相手はマリア姫なんだから! そこだけは絶対に勘違いしないようにっ!」
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