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悪逆王女、大ピンチ!?②

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(ああもう、ああもう、あの男ぉ~!!)

 両手はお腹の前で縛られ、口には猿ぐつわが噛まされている。はらわたがグツグツと煮えくり返っていた。

(暗い、苦しい、そして狭いっ!!)

 私の体の自由を奪ったライナーは、自室のチェストに私を押し込めた。最初からこのつもりだったのか、服はほとんど入っていなかった。
 その代わりというように、チェストの中にはやわらかなクッションがびっしりと敷き詰めてあった。ここに閉じ込められる私への配慮かしら? やーだー、叔父様ってば優しーいっ!

(って、なるわけがないでしょうがああっ!?)

 チェストの扉を蹴り上げてやりたいのに、体は未だぴくりとも動かない。いや、動けたとしてもこのチェストは狭すぎる。音を立てて助けを求めるのは難しそうだった。

(アレン……!)

 夜が更けて私が戻らないと知れば、彼は一体どう思うだろう。――考えるまでもなく、ライナーを疑うはずだ。

「……リディア」

 ひそめた声と共に、トン、とチェストの扉が叩かれる。

「大人しくしておいで。そうして、しっかりと耳を傾けるんだ。そうすれば君は知ることができる――……あの男、アレン・クロノスの本性を」

「…………」

 本性?

 激しい憤りを感じ、ますます息が苦しくなる。

 本性というならば、ライナーの本性こそどうなのだ。
 実の姪に薬を盛ってなお、彼は罪悪感なんて微塵も感じていない。どころか、自身の行いが正しいものだと信じきっている。

 猿ぐつわを噛み締めていると、突然ノックの音が響いた。ライナーがすっとチェストから離れた気配がする。

「――入りたまえ」

「失礼いたします」

 無機質な、感情を抑えた低い声――……


 アレンだ。


「掛けなさい。君には話さねばならぬことがある」

 落ち着き払ったライナーの声が聞こえる。

「奇遇ですね。わたしもライナー殿下にお聞きしたいことがあったのですよ」

 アレンが淡々と答える。

 扉の閉まる大きな音、それから微かな衣擦れの音――……

 多分、今二人が向かい合ってソファに腰掛けた。

「申し訳ないが茶は出せない。人払いをしているからね」

「いりませんよ。わかっているでしょう? わたしが聞きたいのはただ一つ」

 激しくテーブルを叩きつける音がして、私は動かない体をすくませる。

「――貴様。リディア殿下をどこに隠した?」

 アレンの声音から、初めてはっきりとした殺気がにじみ出た。


 ◆


 目の前の男は、面憎いほど落ち着いていた。
 怒りに震えるわたしを冷めた目で見つめ、肩をすくめる。

「リディアなら無事だよ。今は城の客室でゆっくりと眠ってもらっている」

「眠り薬を盛ったのか? 相変わらず薬で人の自由を奪うことにためらいがないんだな。貴様がクズのままで心底安心したよ」

 嘲るように挑発するが、ライナーは乗ってこなかった。……ま、当然か。

 この男はいつだって、自分こそが正義だと思い込んでいるのだから。己に反論する意見など、小うるさい虫の羽音に過ぎないのだ。

 ソファに座り直し、奴の視線を真正面から受け止める。

(少なくとも――)

 リディアが無事だ、というのは嘘ではないだろう。

 この男の思考回路は嫌というほど知りつくしている。
 そう、今のこいつは「姪を間違った道から救い出す正義の味方」という役柄に酔っているはずだ。反吐が出る。

 黙り込むわたしにしびれを切らしたのか、ライナーがようやく動いた。懐から取り出した一通の書状を、わたしに見えるようテーブルに載せる。

「君の解雇通告書だ。雇い主である兄の署名もきちんとある。一ヶ月かけて兄上を説得し、昨夜やっと折れてくれたのさ。……ああ、ちなみにリディアはこれを知らないよ。僕から説明するからと、兄上には口止めしておいたからね」

「…………」

 わたしは無言で書状に視線を走らせた。

 昨日の日付けと共に、「本日をもって王女リディアの従者の任を解く」とはっきり記されている。

 きつくこぶしを握り締めた。
 目を閉じ、激情が過ぎ去るのを待つ。

 ライナーはそんなわたしをじっと観察し、目を離さないまま再び口を開いた。

「解雇の理由はわかっているね? さあ、君の口から罪を認めるがいい。舌先三寸でリディアを言いくるめ、彼女を傀儡にして権力を握ろうとしたのだと――」

「そもそもなぜ、レオン陛下がわたしをリディア殿下の従者に任命したと思う?」

 男を遮り、わたしは鋭く問い掛ける。
 せっかくの得々とした演説を邪魔されて、男は不快げに眉を上げた。

 答えようとない男に構わず、わたしは薄く笑みを浮かべる。

「正解は、わたしが王家に仕える魔法使いだからだ。リディア殿下は先祖の呪いを受けていると陛下を騙し、呪いを解けるのはわたしだけだと主張したんだ。お陰でわたしはまんまと殿下の従者に収まった」

「……はあ?」

 取り澄ましたような男の仮面が、ここにきて初めて崩れた。
 間の抜けた声を上げ、唖然として固まってしまう。ややあって、みるみる表情を険しくした。

「兄上は一体何を考えて……!? 愚かな、魔法などこの世に存在するわけがなかろう! まさかそんな与太話を信じるとは……!」

 苛々と髪を掻きむしる。

 動揺する男を冷淡に眺めながら、わたしは両の手を音を立てて打ち鳴らした。男がはっとこちらを見る。

「何を――……うわぁぁッ!?」


 キィィィィン――!


 突如、耳触りな高音が長々と響き渡った。
 ライナーは思わずといったように耳を押さえ、床に崩れ落ちる。

「失礼。この部屋に障壁を張らせてもらった」

「障壁、だと……?」

 無様な格好のまま、血走った目でわたしを見上げた。

「ああ。これで誰もこの部屋に入ることは叶わないし、音すら聞こえない。便利な魔法なんだが、少々やかましいのが玉に瑕だな。……さて」

 足を組んでゆうゆうとソファに座り直し、パチンと指を鳴らす。
 テーブルの上に果物が山のように盛られた籠、そしてワインと食器類が出現した。

「はッ。兄上ならともかく、誰がそんな手品に騙されるものか!」

 跳ねるように起き上がった男に、わたしは平然とソファを勧める。ナイフを空中で操ってリンゴの皮を剥き、一口サイズに切ってからの皿の上に着地させる。

「……!」

 リンゴの皿にフォークも添えて給仕してやった。
 これらは全て我が家の厨房から転移させたもの。……と思い、饗応の準備をしておいて正解だった。

 血のように赤いワインも手を使わずに注ぎ、グラスを男の手に飛ばす。真っ青になった男が肩を震わせた。

 怯える男を、わたしは唇を歪めてせせら笑う。

「どうして今になって、レオン陛下がわたしの解雇に同意したのだと思う? 貴様は自分の功績だと思っているようだが、本当はそうじゃない」

「……え?」

 男が虚を突かれたように目を丸くする。
 わたしは自分のワイングラスを傾け、揺れる赤い水面をつまらなく眺めた。

「昨日の朝、わたしは陛下にこう申し上げた。『もう安心です。リディア殿下の呪いは完全に解けました』と。無論、レオン陛下は涙をこぼして喜ばれた」

「な、なぜ……?」

 うめく男を冷たく眺め、空中を漂っていたナイフを呼び寄せる。ぴたぴたと刀身を叩けば、男がヒッと息を呑んだ。

 ナイフを手に、にこやかな笑みを浮かべる。

「ライナー殿下。理由をお教えする前に、少しだけ昔話に付き合っていただけませんか? いえ、そう長くはかかりません」

 うやうやしく告げ、コツコツ、とわざと靴音を立てて男の背後に回る。
 男はたまらず逃げ出して、一目散に扉に飛びついた。けれど不可視の障壁が、ドアノブに触れようとした手を弾く。

 痛みに悲鳴を上げ、男が愕然とわたしを振り返った。

「どうぞ、お掛けください。これからお話するのは、無力で無能で、この上もなく愚かな男の話。己の罪を無かったこととするために、何度も同じ時を繰り返し、今なおもがき苦しんでいる憐れな男――……」


 ――『時戻しの魔法使い』の物語を。
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