引きこもり魔女と花の騎士

和島逆

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66.秘密の場所

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 幕が下りてからしばらく、ロッティは身じろぎ一つできなかった。
 どうやらそれはロッティだけでなく、隣に座るフィルも、客席を埋め尽くす他の観客達も同じだったらしい。息遣いすら聞こえないほどしんとした静寂が満ちた後、突如爆発的な歓声が沸き起こった。

 全員が席から立ち上がり、体全体で打ち鳴らすようにして拍手する。「クリスティアナ! クリスティアナ!」という熱狂的な声が響き渡る。

 ロッティも無我夢中で手を叩いた。

 兄王子を助けるため、華やかなドレスを脱ぎ捨てて剣を手にした勇敢な姫。凛々しく戦う姿は男性そのものなのに、ふとした時に見せる表情からは、彼女の切ない本心が滲み出ていた。

 悲しい、怖い、戦いたくない――。

 揺れる心情、姫の迷いをクリスは見事なまでに表現していた。気付けばロッティの頬を涙がつたう。

 再び幕の上がった舞台では、演者全員が集合して客席に手を振っていた。どの顔も皆、今日の舞台をやり終えた達成感と開放感にあふれていて、クリスティアナもまた頬を輝かせていた。

「……凄いな」

 呻くような呟きに、ロッティははっとして隣を見る。
 唇をきつく引き結んだフィルが、拍手もせず棒立ちになっていた。挑むような光をたたえた瞳は、舞台のクリスティアナに釘付けだ。

 ロッティは拍手するのをやめると、ためらいがちにフィルに手を伸ばした。驚いたようにロッティを見たフィルの、硬かった表情がゆるむ。

 そうして二人手を繋ぎ、嬉しげに笑むクリスティアナの姿を見守った。

 クリスティアナがドレスの裾をつまんで艶やかに礼を取った途端、またもわっと歓声が弾ける。

 フィルの方を見ないまま、ロッティは夢見心地で口を開いた。

「……すごく、感動しました」

「ええ」

「クリスティアナさん、今までで一番綺麗だった……」

「そうですね」

 淡々と同意するだけのフィルに、ロッティはくすりと笑みをこぼした。そっと肩をぶつけ、屈んでくれた彼の耳元に囁きかける。

「クリスティアナさんに、手を振りませんか?」

 いたずらっぽく提案すると、フィルは一瞬固まった。けれど、すぐに「仕方ないな」と言いたげに苦笑する。

 ロッティと繋いだ手を勢いよく振り上げ、舞台に向けて激しく揺らした。

「――クリスティアナ! 最高の舞台だった!!」

 腹の底から響く声でフィルが叫ぶと、それまで笑顔を振りまいていたクリスティアナが凍りついた。目を見開き、食い入るようにフィルを見つめる。

 泣き出しそうに顔を歪めたものの、涙がこぼれるぎりぎりで踏みとどまった。わななく唇を噛み、クリスティアナは今日一番の笑みを浮かべる。


 ――大歓声に包まれる中、舞台の幕が静かに下りた。



 ***


「終わっちゃった……」

 観客達が帰ってがらんとしたホールで、ロッティは崩れ落ちるように座席に座り込む。まだもう少しだけ、美しい物語の余韻に浸っていたかった。

 一生懸命に叩きすぎた手がじんじん痛むが、それすらも気にならなかった。ほうっと長い息を吐くと、黙然として立ち尽くすフィルを見上げる。

「あの、楽屋にお邪魔したらご迷惑でしょうか……? クリスティアナさんに、直接感想をお伝えしたいんですけど」

「ああ……、いや……」

 なぜかフィルがうろたえたように視線を泳がせた。
 瞬きするロッティから目を逸らし、ひどく緊張した様子で空咳する。

「その……実は今から、ロッティに会わせたい――いえ。ロッティにぜひお会いしたい、と熱烈に希望されているお方がいらっしゃいまして……」

「…………はあ?」

 しどろもどろに告げるフィルに、目を丸くしてしまう。彼をまじまじと見つめ、首をひねって考え込んだ。

(私に、熱烈に会いたいひと……?)

 一体どんな変わり者だろう。

 眉根を寄せたヘンテコ顔をしていると、フィルが慌てたように手を差し伸べてきた。

「お願いします。先方――彼も、そう時間は取らせないとおっしゃっていますから。どうか会うだけ会ってみてもらえませんか?」

「ええと……。フィルさんが、一緒なら……?」

 ロッティはおずおずとその手を取る。

 本音を言うならば、知らない人と会うのはいまだに緊張する。それでもフィルの必死な様子を見るに、よほどの事情があるに違いない。

 勇気を出して了承したのに、なぜかフィルが一瞬息を呑んだ。すぐさま「当たり前です!」と声を大きくする。

「僕があなたと他の男を二人きりにするはずが――!……あっ、いや失礼」

 何でもありません、と顔を赤くした。

 誤魔化すように力強くロッティの手を握ると、ホールの出口に向かってせかせかと歩き出した。
 小走りで追いかけながら、ロッティはその後ろ姿をこっそり見上げる。フィルの耳は隠しようもなく真っ赤に染まっていた。

 ロッティはじっと俯いて唇を噛む。

(……フィルさんの、あの日の告白)


 ――無かったことに、なってなかったみたい?


 じんわりと喜びがあふれ、頬がだらしなくゆるんだ。嬉しくて嬉しくて、うっかり鼻歌まで飛び出しそうになってくる。

 黙っていてもご機嫌な雰囲気がにじみ出ていたのか、フィルがちらりとロッティを振り返った。

「……先方は、劇場の屋上庭園でお待ちなんです。彼も今日の公演をご覧になったのですよ」

「えっ、屋上庭園!?」

 我に返ったロッティは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 王立劇場の屋上に、そんな素敵なものがあるとは知らなかった。知っていれば、前回来た時にも登ってみたのに。

 大興奮でまくし立てると、フィルが苦笑してかぶりを振った。

「残念ながら、普段は立ち入り禁止です。イベントの時など一般公開される場合もありますが、それ以外は身分の高い方々のための特別な場所なんです」

 淡々と告げられた事実に、ロッティがつんのめって急停止する。
 驚いたフィルも足を止め、「ロッティ?」と怪訝そうに顔を覗き込んだ。

「フィ、フィルさん……っ」

 ロッティは震えながらフィルの団服を引っ掴む。

「てことはもしかして、今からお会いするのも身分の高い方なんですかっ? 私、私、ちゃんとした礼儀作法なんか知らないですっ」

「ああ、心配せずとも大丈夫ですよ。気さくな方ですし、それに今日はあくまで個人的な会合ですから」

 にこやかに受け流すと、フィルはまたさっさと早足で歩き出した。赤い絨毯を辿った先は階段に続いていて、警備員らしき黒服の男が二人に向かって頭を下げる。

「ようこそお越しくださいました。フィル・ウォーカー様、そしてロッティ・レイン様。どうぞこちらへお進みくださいませ」

「ありがとう」

 余裕たっぷりに返事をして、フィルがロッティに再び腕を差し伸べた。ロッティも観念して腕を絡める。

 階段を登った先にも黒服の男がいて、両開きの扉を開いてくれた。ひんやりとした夜風を感じ、ロッティは気持ちよさに目を細める。

「わあ……っ」

 そこは建物の屋上とは思えないほど、緑と美しい花々で溢れかえっていた。惜しみなく明かりが灯された庭園は、まるで真昼のように明るい。
 煉瓦で区切られた小道に、石造りの真っ白なベンチ。中央の広場には、優美なテーブルと椅子まで用意されている。

「あれ? おかしいな……」

 フィルが動揺したように辺りを見回した。
 それでロッティも我に返り、戸惑いながらフィルを見上げる。待ち合わせ相手はここにいるはずなのに、庭園には人っ子ひとり見当たらなかった。

「もしかして、お待たせしすぎて帰っちゃったり――」

「していない。こっちだ、こっち」

 笑みを含んだ声が遠くから聞こえ、二人はぎくりと硬直した。顔を険しくしたフィルが、ロッティの腕をそっと外してひとりで歩き出す。

 小道から芝生へ出て、ずんずんと迷いのない足取りで進む彼を、ロッティも慌てて追いかけた。フィルはある一点で止まると、すうっと胸を膨らませる。

「――殿下っ!! 護衛も付けず、なぜ芝生に寝っ転がっていらっしゃるのですっ!!」

(……でんか?)

 ロッティの思考が停止する。

 急に芝生が盛り上がった――かと思えば、それは華奢な体格の少年だった。十五、六といったところで、見事な銀髪に大量の葉っぱが絡まっている。

 ぱたぱたと葉っぱを払うと、少年は端正な顔をほころばせロッティに笑いかけた。

「はじめまして、『宝玉の魔女』殿。いつぞやはわたしの婚約者のために、素晴らしい魔石をあつらえてくれてありがとう。後ろが透けて見えるほど澄んだ黄の色に、我が婚約者殿も言葉を失って見惚れていたよ」

「は……、えっ……?」

 殿下。
 婚約者。
 黄色の魔石――?

 『王族』と名の付く人に、ロッティが魔石を作った経験は一度しかない。そう――婚約者である隣国のお姫様に贈るのだと、地の魔石を注文したその人は。

「――だっ、だだだだ第一王子殿下っ!!?」
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